プログラミングとデザインを続けている理由
最近になって、ひとつ気付いた事がある。
僕は仕事としてプログラミングやデザインをするのに向いていない。
一応、職業としてはソフトウェア・エンジニアという肩書きを持っており、
UI と UX を専門とする研究職という立場にはなっている。
プロジェクトの進行や状況に応じてプログラマー役、デザイナー役、ビジネスプランナー役をバタバタと切り替えているので、最近は「必要に応じてなんでもやってる感あるので、あんまり自分を専門家的に思えなくなってきたっていうかタダの小間使いでは」としか思えないのではあるが。
”何か”を作りたい、成し遂げたいと思ってものづくりに取り組んでいない
他のプログラマー、エンジニアやデザイナーが、実際どうなのかは知らないけれど自身がプログラミングを独学で始めた時によく言われた事が
「何かやりたいこととか、作りたいものが無いのに覚えたり学ぼうとしても、効果は低く、あまり意味が無い」
とか、そんな助言だった。
しかし、その時も、今でさえも、別に "何か" を作ったり、出来るようにする、その何かは持っていない。
それでも、今日まで漫然と(おそらくは平均的な同業者よりスキルが高いと思われてしまっている程まで)続けてきた
「上手くなりたい」、ただそれだけ
今も昔も、学んだり研鑽や知識の探求を続けているのはコレしかない。
絵だって、芸術家のように、何か描きたいメッセージがあるわけでも、描き続けたいテーマ、対象(可愛い女の子とか、動物とか、植物とか、クルマとか)があるわけじゃなく
「描きたいものがあるわけじゃない。ただ、絵がうまくなりたい。上手くなってどうするのかは知らない。ただ、うまくなりたいだけ」
美大を敢えて受験する事を選んだのも、振り返ればそういう事だった。
色彩計画にしろ、レイアウトの基礎理論にしろ、デッサンにしろ。
大学に受かる事が目的でも、芸術方面での卒業後の活躍のような野心とかでもなく、ただ上手くなりたい、それだけだった。
今だと、もしかするとネット上で僕の id を知る人は、僕がプログラマーである、という認識の方が多いのかもしれない。
けれど、自分の人生の大半はゲームして、技術的理論を何も知らずに下手くそな絵を描いて過ごしており、プログラミングを独学で始めたのは2007年、大学四回生、23才の後半である。twitter とか tumblr を初めてから半年以上が過ぎてからだった。
エンジニアリングのスキルセットはまだ身につけはじめてから 5年も経っていない。
芸術・デザインに関する諸々の理論や技法・技能ですら、まだ身につけはじめてから10年も経過していないのだ
ニコニコ動画を見始めた2007年の頃にはまだ Unix の cd コマンドも, C のエントリーポイントの int main すら知らなかった。
その5年後にその開発者である id:koizuka さんと仕事してて、koizuka さんの書いた C++ のコードを弄ってる事は当時の僕が聞いたら信じられないだろう
あ、この件に関して、というか、自分がエンジニアリングの世界に足をつっこんでしまった経緯には id:Yoshiori が絡んでいて、その話は別途したいので後日エントリーに起こす。
その「何か」が見つかった時にすぐ作れたり、出来るようにしたかっただけ
「上手くなりたい」というのは、今見つけられていない
「作りたい/実現したい"何か"を持ってしまった時に、さっさと、しかもとびきり高いレベルでやれるようにしたいから」
ということになる。つまり、単純に「達成したい目標ができても、それをできないでいるのが嫌なだけ」なのである。
描きたくても(随分と色々な既存のモノに目が肥えた自分にとって)下手だったり、実力が足りなくて描けないというシナリオが嫌だから練習していたのだ
「続ける理由は、続けたいから」
でも、それも人に説明がつくレベルでの表現で、もっと自分に素直に言うと研鑽と探求を続けたいから続けているのである。
プログラミングをすること、考えること。デザインをすること、考えること。それそのものが目的でいる。
自分が仕事としてプログラミングやデザインをするのに向いていない、と感じるのは「自分がもう関心を失ってしまった事」「自分でもうわかってしまっていること、単なる工夫で解決できること」に対して全く手が進まなくなったり、しようとしなくなる事があるからだ。
この自分の怠惰は過去にメンバーに大いに迷惑をかけた。この場で改めて謝りたい
結局、昔も今も、真に自分が作りたい何かを持っているわけじゃない。
ただ、関心事として「電子書籍のサービスとアプリケーションって面白そうだな、どうやって作ると良いんだろう」とか
「Windows 8 の Metro Style って面白いな、どんな風に設計するとキマるんだろう」
とか、あくまで演習のように自分の興味本位の課題として取り組んでいただけだ。
仕事として与えるなら、もっと実作業と呼ばれるようなコーディングやグラフィックワークを自分の領分から取り上げて、ストラテジーを練り上げるプランナーに追いやる方がまだ使いようがあるような気がする。(そういう役は実作業をしたプロジェクトの成功を以って実績とされ、出世しないといけないのだけど)
もしかすると、きっと今後も、死ぬまで本当に自分の作りたいものなど、出てこないかもしれない。
それでも、「いつか来る、本当に作りたいモノに出会えた時のために」今日も愚直に実らないかもしれない努力を続けるのである。