東武「ザ・野田線」、清水公園から梅郷までの大変貌 路線発祥の地、野田市は単線でも巨大駅の貫禄

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東武アーバンパークライン 野田市駅
高架化して生まれ変わった東武アーバンパークラインの野田市駅。まるで新幹線でもやってくるかのような貫禄だ(撮影:鼠入昌史)

「東武アーバンパークライン」の呼び名が突如として現れたのは2014年のことだから、もう10年である。

最初の頃はいろいろ言われたりもしたけれど、もうすっかり定着した感がある。それはひとえに、アーバンパークラインが文字通り都市と郊外のちょうど狭間のようなところを走っている鉄道路線だからだろう。抽象的なようでいて、案外、的を射ている呼び名なのだ。

路線名の由来になった地

そして、そんなアーバンパークライン、大宮―船橋間のちょうど真ん中あたりに位置しているのが、千葉県野田市である。

明治時代の終わりごろ、野田でつくられる醤油を運ぶために建設されたのがアーバンパークラインのはじまりだ。

だから、野田市駅を含む野田市内の数駅は、この路線にとってはじまりの地といっていい。この区間について語るときばかりは、やはり東武野田線という正式な路線名を使いたくなる。いったい、どんなところなのだろうか。

【写真】いつの間に?野田市駅は単線区間なのにまるで新幹線駅のような立派な駅舎でホームも2面4線。同駅を含む東武アーバンパークライン(野田線)の清水公園―梅郷間には何がある?
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