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普遍と平熱

かつてけっこう本気バンドをやっていて、途中で透析が始まったひとの平熱くらいの温度感の話

マイケルジャクソンに触れない人生がこの先存在するわけか

今週の月曜は通っている透析クリニックで検査があった。検査は午前でしか予約を入れられないとのことで、それならついでに検査終わりに透析して、その日は仕事をお休みにしちゃえば有意義オブ有意義なひとときが発生するじゃないかとうっきうきで月曜を迎えた。

朝、子を保育園に送り、家のことを済ませクリニックへ。検査の内容としては腹部エコーだったわけだけれども、何度検査されても何を検査しているのかがわからない。検査中、技師さんと一緒にもっともらしい顔で検査機器に映し出された自分の腹部エコーの画像を見てみるも、レントゲンほどのシンプルさがないためやっぱりわからない。

まあ、何かあれば言ってくれるんだろうし待ってればよいのか。僕の変に受け身なところはこういった病院との関わりが強くて長いからかもしれない。病院との付き合いかたってそんなにぐいぐい行くものでもないと思うし。優良患者とはそういうものである。

検査はつつがなく終了し、透析についても時間が違う以外はいつも通りに終了。時間はお昼をずいぶん回っている、検査のために朝ごはん抜きで来ているのでおなかの空きが実にちょうど良い。

こういうときは奇をてらわずに素直にラーメンを食べるに限る。クリニック近くのラーメン屋で見た目も味もよく知る家系ラーメンを食べておなかとともに心も満たした。

SNSでラーメンについて言及したら同じ値段で具を全部乗せにしてくれるみたいなキャンペーンをやっていたが、食細の民なので辞退した。

よーし、ラーメンを食べたら家に帰って久々にひとりの時間でゲームをやるぞ〜。夏に始めたFF7リバース、いまだに終わってないからな。腕まくりしてラーメン屋を出ようとしたときスマホが鳴った。

電話は保育園から。何事かと出ると「お子さん、熱が出ちゃいまして〜。お迎えをお願いしてもよいですか?」と、子の体調不良を伝える電話であった。なんというタイミング。いや、でも透析は終わっているし、なんならラーメンも食べ終わっているしこのタイミングでよかったと思うべきか。

自分時間を逸ししてしまったことは残念ではありつつも、子の体調が心配だ。いざ、迎えへ。園に到着し、子の様子を聞いたところ、熱はあるもののわりと元気らしい。小さい子って体温高いから大人の発熱の感覚と違うのだろうな。

迎えに行ったとき、子はお昼寝の延長で寝ていて、先に起きた子が傍でふとんをかけてくれたり我らが子をぽんぽんしてくれていたことの尊みがすごかった。ありがてえ光景。

園からの帰り道は小学生の下校時間と重なっており、ところどこから小学生の会話が聞こえてくる。その中で

「誰だよ、マイケルジャクソンって」

そう言ったのを聞き逃さなかった。いや、聞き捨てるわけにはいかなかった。

衝撃的過ぎる。そらまあ考えてもみればマイケルが亡くなったのは2009年なわけで、あのキッズたちが生まれるずっと前であるわけなのだけどれども、キング・オブ・ポップたる世界の至宝をご存知ないと…?

マイケル程になったら向こう100年くらいは世界中の誰もが知るほどの、下手したらちょっと有名な歴史上の人物なんて目じゃないくらいに誰もが知る人物だと思っていたけど、マイケルをもってしても時の流れにその存在を溶かして行くことには抗えないということなのか。

たぶんあのキッズたち、生まれて10年経ってないと思うけど、僕の感覚だと生まれて5年以内くらいに何度かはマイケルに邂逅することってあったと思うのだ。この現代においてでも。もしかしたら特殊な家庭環境のお子さんだったんだろうか。

それを考えると有史以降、マイケルクラスの世界に絶大な影響を与えた人物だって、場合によっては語り継がれていないことだってあり得るのかもしれないななんてことも考えてしまった。まあ、キッズ全員がマイケル知らんってこともないかもしれないけれども。

今知られている歌人とかだって歴史の教科書に載っているひとの中ではアーティスト枠なので、それを考えるとマイケルだって将来教科書のひととなってなんらおかしくはない。

キッズの一言にあまりに動揺して捲し立てるように書いてしまった。子には半年に1マイケルくらいずつ教え込んで、あのキッズたちくらいの年齢になる頃にはゼログラビティのままで移動するくらいにはマイケルを当たり前に感じてもらおう。

 

有象無象、跳梁跋扈の繁華街の居酒屋事情

職場の忘年会があった。それ自体としては限界酒飲みの僕からしてみれば闘いの舞台が用意されるだけのことなので大いに結構、受けて立とうじゃないかとなるのけど、幹事をやれとなると話は変わってくる。

職場の近くには飲み屋が星の数ほどあるが、有象無象と言わざるを得ない。事情を知らずに当たりを引くのは食べる煮干し1パックの中からちっちゃいカニを見つけるよりも難しい。そして僕は街の事情を知らない者代表みたいな立場の人間なので、当たりを引きようがない。

要は今回の忘年会もめちゃくちゃお店を外してしまったのである。これは酒飲みとして由々しき問題であると事態を重く受け止め、次回以降このようなことが起こらぬよう努めて参る次第だ。

思うに、ここ数回のお店選びはぐるなびだのホットペッパーだののサイトに頼っていたのわけだけれど、これがそもそもの間違いなのだろうなと今回の件で気付かされた。今さらだけど。あと、あんまり騒がしいのが嫌だからと個室を選びたいとなりがちで、それが負け要素を作り出すことにもなるのだと今回の件で学んだ。

何やら地雷ワードがあるとのことで、「完全個室」を売り文句にしているというのはもうその時点で地雷なのだそうだ。実際、今回、前回とそのような売り文句が書いてあったにも関わらず想像していた個室と言えるような席に通されず、個室とは?という個室の概念を構築し直すことになりかねないというある種の哲学を叩きつけられた格好である。

僕の想像する個室とは、通路から部屋として存在している空間を扉、引き戸等で仕切られているものとの認識でいるのだけど、ああいったお店の謳う「個室」とは電車のボックス席状のものを指しているのだ。当然通路と席を仕切る扉はない。なんなら通路側の壁もない。思春期に個室を与えられると聞いてあの席のような空間をあてがわれたら暴れること請け合いだ。そのくらいに個室感が薄い。プライバシーの侵害どころか、侵害するプライバシーが生み出されることなど到底ないであろうくらいには通路のくぼみである。

造りとしてはまさにこれ。この写真の方が個室度が高いまである。

そして単純に狭い。どう考えても4人席に6人を詰め込んでいるのが問題である。これは店側の良心の問題もあるのでワードだけからは見抜きにくい問題ではあるが、繁華街の古い雑居ビルのお店はその時点で満足な空間が用意できるとは考えにくいと想定し、その時点で避けておくのが得策なのかもしれない。

そのうえ、提供される飲食物まで微妙だったりしたらもう目も当てられないわけだが、そこもきっちり取りこぼしていないのでもう気まずさしかない。値段相応とはとても言い難い内容で、「この値段出しておけばこのラインは下回らないだろう」をあっさり下回ってくるという跳梁跋扈も甚だしい有様。同じ値段出したらサイゼで2回フルコースして浴びるほど飲める。冗談抜きでサイゼの方がクオリティが高い。

結局、がっかり居酒屋を後にし、どこか適当なお店で飲み直すかという話になり、本当に適当に入ったお店が本会場と比べ物にならないくらいに良心的なお店で、世の中こういうお店の方が圧倒的に多いはずなのにきっちりはずれを引き当てるという飲み会幹事力の低さを露呈したのであった。

もうさすがに幹事になることはないだろうなあ…

神に触れた

世の中には2種類の人間がいる。

JUDAS PRIESTのライブを見たものと見ていないものだ。

僕はついに前者となった。それが12月12日の話だ。場所は横浜 ぴあアリーナMM。

もうパッションだけで書いてしまうけど、とにかくこれはすごいことなのだ。JUDAS PRIESTと言えばメタル界でも神と言われるほどに特別視されているバンド。それもちょっとネタってぽい感じにはなっているし、実際ネタになるほどキャッチーなキャラだったりとかそういう部分はある。しかしそれがどういうことかというと、確固たるアイデンティティがあるということである。

そんなアイデンティティに直に触れることができたというのには人生経験として非常にありがたいことなのだ。いわば説法に近いものがある。もう好きが度を越して語彙が崩壊している。

もうろくなことが言えそうもないので、せめてその日のセトリをあげておこうと思う。

1.Panic Attack
2.You've Got Another Thing Comin'
3.Rapid Fire
4.Breaking the Law
5.Riding on the Wind
6.Love Bites
7.Devil's Child
8.Saints in Hell
9.Crown of Horns
10.Sinner
11.Turbo Lover
12.Invincible Shield
13.Victim of Changes
14.The Green Manalishi (With the Two Prong Crown)
(Fleetwood Mac cover)
15.Painkiller

Encore:
16.Hellion
17.Electric Eye
18.Hell Bent for Leather
19.Living After Midnight

たぶん、プリーストを知ってひとが見たら垂涎のセットリストであると思う。実際僕も現場でわかりにくいながらもテンションをあげていた。なぜわかりにくいかというというとどうでも良い自意識が邪魔をしてなんだかはしゃぎ切れていなかったというのがある。

なんというか、こういったトラッドなメタルも好きは好きではあるのだけど、そのオーディエンスのノリというのはどうも馴染めなくて会場と一体になれないみたいなところが実はあるのだ。曲は好きだけど会場の空気に馴染めないみたいな。これはV系のライブを見に行ったときにも感じることである。

しかしこの日、ライブに参戦して間違いがなかったということだけは断言しておきたい。たぶん、これまでJUDAS PRIESTのライブを体験したひとは自分の参加したライブをこれ以上ないくらいに特別な日と感じているだろうし、最高の1日だったと感じているだろうが、この日の僕の体験もそれと同等だった。なんなら僕が体験したこの日がこれまでで一番だったんじゃないかという気すらする。少なくともそう思えるくらいには素晴らしいステージだった。

ロブはスキンヘッドだし、耳は尖っているし、73歳という高齢でレザー&スタッズでハイトーンボイスを張り上げるというジャンプ漫画に出てきそうなほどのキャラ強おじいで、その存在を知らずに伝え聞いたら「それはキャラ盛り過ぎw」となるところ実在しているところがもうゴッドが過ぎるという話である。

今回最後になっちゃうんじゃないかな、なんてことでライブに参戦したけど、そんな様子は全くないくらいに凄まじいパワーだったので次回来てしまおうと思います!

 

失敗パンゲアバーグでも満足なんですよ

出社の朝、思うように準備が捗らずいつもより家を出るのが遅くなってしまった。そのうえ電車の遅れなどで遅刻するかもしれないというかなり際どいラインに。社会人として速やかに遅刻する可能性がある旨を上長に伝えるべきであるが、遅刻をしない可能性もあるわけでその可能性に賭けた。出社に刺激をの精神である。

結果、ぎりっぎりのぎりで間に合わなかった。

が、オフィスに到着してみると上司や同じ島の姐さんが小型の暖房機器を囲んでやいやい言っており、その暖房効率について議論を繰り広げていた。「あ、おはよ」と上司。遅刻していることを気づいているのか気づいていないのか、相変わらずゆるい。それなら寝た子を起こすような真似しなくてもよいかとめちゃくちゃ平熱で仕事を開始した。

まあ、実際のところ上司は恒常的でなく、事情がきちんとあれば5分やそこらの遅刻は事後報告で良いというタイプであるのでそれに甘えた格好であったのだけど。刺激を、とか言っておいて角界も閉口するほどの八百長試合であるのだった。

遅刻した分その分頑張ったかと言われるとそうでもないが、お昼になればおなかが空く。お昼ご飯について確固たるアイデアを持っていなかったが、ここ数日ハンバーグの生焼け問題が炎上していたこともあり、まんまとハンバーグが食べたくなっていたものの、なんだかお米の気分でもないということで安定の麺をチョイス。どう考えても、何度食べてもうまかっちゃんみを拭えない博多ラーメンとした。

博多ラーメンって替え玉前提の量になっていて少食の民には助かる量

店内を見まわしたところ、替え玉24玉を達成したひとがいると掲示してあった。「挑戦者求!」とも書いてあったけど、たぶん本人の談ではなくお店が煽っている風だったので、挑戦者が現れたとしたらただ単にお店で提供される麺の量が増えるだけであるのだろうなと想像した。イッツ替え玉商法。全然関係ないけど替え玉24玉もあったらその麺を全部繋げて線路に並べたら博多くらいまで余裕で到達しそうだ。だからどうだという話であるが。

当然僕は1玉でちょうど良い塩梅のお腹になり、この日の午後の仕事をこなした。

 

そして本日。在宅勤務ではあったのだけど、前日のハンバーグの口が拭いきれておらず、そのうえ白米わっしわし気分だったので午前のうちからお昼はハンバーグと仮決めとした。

迎えたお昼。これはもうハンバーグしかないという気持ちにまでボルテージは上がっているわけなのだけれど、この時の気分はハンバーグの中でもナツメグ感のあるハンバーグだった。家の近所にはその手のハンバーグを提供しているお店がない。ウーバーも考えたが不経済。なんだかんだ自分が作ったハンバーグがけっこう好きだったりするんだよな、ナツメグも調整できるし。なんてことを思いつつもさすがに昼休憩の間にハンバーグを自作するほどの時間はない。

そこで閃いた。準手作りであれば良いのだ。近所のスーパーであとは焼くだけという状態にまで出来上がっているハンバーグを売っている。前に食べたとき、結構牛っぽさはあったし、ナツメグ感もなくはなかったように記憶している。

最適解を見つけ出し揚々とスーパーに向かい、無事準手作りバーグをゲット。家に帰ってきて調理した。のだけど、わりと厚みのある作りとなっていて、流行りにのって生焼けになっても特に騒ぐオーディエンスもいないので薄く潰して焼いたところ

パンゲアバーグの出来上がり

見事なまでの失敗バーグの爆誕となったのであった。ま、食べるのは誰あろう僕なわけなのでこれが仮にひき肉いためとなっていたとしても味がハンバーグならこの際良い。見た目はひどいが味に関しては今日の気分に7割くらいマッチしており、僕にしてはお米わっしわし案件となった。

やっぱり食べたい気分のときに食べたいもの食べるの、大事よ。最近前に比べてその傾向が強くなった気がする。透析することによって一食の重みが増したからだろうけど。だとしたら透析も悪いことばかりでもないよなと楽天的発想に至るのだった。

 

 

 

 

平成歯医者脳人間からのアップグレード

いつぶりだか覚えてないくらい久しぶりに歯医者に行った。どう直近で考えてもコロナ以前が最後なので、4年や5年は軽く行っていなかったことになる。

その間、奥歯の詰め物は取れたまま放置されていた。「いつかは行かなきゃな〜」の「いつか」がやっと訪れたわけだが、いつかが過ぎる。寿命が1000年くらいあるひとのスパンである。

正直、歯の詰め物が取れたことに関してはどうでも良くなりかけていたというか、もう「そういう歯の形をしている者」としてやっていけば良いかくらいのことは思っていたのだけど、最近詰め物と関係ない箇所の歯が痛むような気がして放置するとろくなことがないだろうと思っての通院となった。穴っぽこのあいた歯は放置しておいて君は何を言っているのかと激詰めされたら推し黙ることしかできないが、色々結果オーライということで僕の人生が凝縮されている出来事である。

せっかく通い始めたのだからひととおりは処置をしてもらうつもりで、歯の詰め物はもちろん入れ直してもらうし、虫歯があれば治してもらい、ついでだから歯のクリニーンングなんかもやってもらおうと思っている。

結果、全体的に診てもらったところ、そんなに緊急性の高い虫歯はなかったようでひと安心。じゃああの微妙な痛みはなんだったんだろうなと思いつつも、なんか原因があるんでしょうねと歯の痛みについては自分の中の”わりとどうでも良いことリスト”入りを果たした。

今回の歯医者は初めて行く歯医者ではあるのだけど、歯医者自体が久しぶり過ぎて歯医者のお作法を学び直すこととなった。

まず、歯のレントゲンを撮ることからのスタート。治療内容云々じゃなく、とりあえず撮るみたいな感じなんだっけ?とわけもわからずそれ用の撮影装置へ案内される。撮影時、頭の周りをぐるぐると装置が回転している最中エリーゼのためにが流れて、エリーゼのためにと回転する動きって相性が良いなと感心してしまった。なんかそういう絶妙な相性ってありますよね。競争といえば天国と地獄みたいな。ただの刷り込みなんだろうか。だとしたら何で回転=エリーゼのためにと刷り込まれたのか謎ではあるが。

その後、問診の後に治療を開始。多少歯を削ったりもあるとかでそのための麻酔を打つとの由。削るときって麻酔なんて打ったっけ?と思いつつも何しろ平成歯医者脳人間なので大人しく受け入れた。麻酔の痛みそのものよりも、歯茎に注射を打つというその行為そのものにお尻の穴がきゅっと閉まる思いであったが、目にタオルを乗せられて目隠しをされている格好であったので、そもそも本当に注射していたのかは不明だ。

思えば、眼に見える至近距離であれこれ行われているのに、その様子が一切わからず感触だけで状況を理解しなければいけないというのは他の治療に比べて特殊といえば特殊といえるかもしれない。それもあるので不安と恐怖が増すこととなり、歯医者に対して苦手意識を持つひとがわりと多いのかもしれないと口内をあれこれと処置してもらいつつ思ったりした。

麻酔は少し痛かったけれど、そのおかげで歯を削る際の痛みは皆無。必要な処置を施され、あれよあれよと歯の穴は埋まっていった。記憶だと変なガムみたいのを噛まされて型を取り、それに基づいて詰め物を作ってはめ込むみたいなことをやるイメージだったのだけど、30分たらずの作業であっという間に歯が埋まったので歯医者の技術革新を感じずにはいられない。

驚き過ぎて先生に「これ、何が詰まってるんですか?」と聞いてみたところ、レジンを流し込んで紫外線で固めているそう。レジンといえばアクセサリーなんかで使うものと思っていたので、それが自分の身体の一部となっているのだから、これで腫れて僕も令和歯医者人間である。

感心していたら「これで驚いているっていつから歯医者行ってないんですか」とツッコまれてしまった。平成とか令和とかの問題じゃないかもしれないことを悟りこれ以上余計なことを言わんとこと曖昧な笑いを返しておいた。

こうしてひとまずはこの日のミッションは完了。だがしかし、なんと歯の詰め物が取れている箇所はまだある。あと数回は通うこととなりそうだ。歯医者っていっかいいっかいの時間は短いんだけど、回数を重ねることになるから途中でなんだか投げ出しちゃうんだよな、なんてことを思っていたら、院内にはあらゆるところに当日キャンセル禁止が声高に叫ばれており襟を正した次第である。

せっかくの機会なので自分メンテフルコンプ(歯編)目指してみようかと思いやす🦷

このスタイルは昭和から変わっていなかった

 

AI使って出向上司気分

木曜は出社をして勤務。最近割と手元の仕事が落ち着いてきたことがあり、本筋の仕事以外の共有ファイルの作成に精を出している。

ファイルはエクセルで作成されていて、利便性を高めるためにマクロを利用する必要がありそうではありつつも、僕はほぼVBAが書けない。ちょっと勉強はしてみたが、基礎のところで(これは何に活かされるんだ…?)という実用前の段階の知識で挫折してしまった経緯がある。

たぶん、楽器の練習とかでもそうなのだけど、もう最初から知ってる曲を演奏するくらいしないと”できるようになる喜び”みたいなものを実感しにくいので、おそらくプログラムなども現場に放り込まれて覚えるしかないみたいな状況にならなければ覚えなそうだ。

実際、僕がギターを弾くようになったのは好きな曲を練習しはじめてからだった。最初は教則本で基礎から学ぼうと思ってピックの持ち方とか、ストロークの方法、チョーキングの具合などを文字を読みつつたぶんヴァンヘイレンとかのロックレジエンド曲(その当時は1曲も知らない)で練習していたけど、さっぱり面白くなくて匙を投げたことがある。それで半年くらいギターを放置していた。

その後、BUCK-TICKを弾くようになり、全部は弾けないながらもなんかできてるかも感を掴みギターの面白さに目覚めたのだ。いわゆるコピーである。これをプログラムで言うと実行させたいコードを丸写しして「なんかこのあたりはもしかしてここが関係ある?」みたいのを掴んでいくということになるだろうか。習得の方法として相性が悪そうな方法ではある。

というか出来ているコードがあるならそれを使いなはれという話である。そもそも出来てるコードなんてないでしょうに。となるが、それがある。なのでそれを使っちゃう。

どう言うことかといえばAIさんの登場である。僕の中でAIさんといえば過去にほぼコントみたいなやりとりとなったことがあり、ものを尋ねるのには注意が必要だと構えていたが、最も向くのは的確な指示のもとのコードの書き出しだと聞き、今般試してみた次第だ。

そしたらなんと目的の動作をするVBAコードを書き出してくれたのだ。一発で成功とはいかなかったが、指示内容の試行錯誤を繰り返し結果として目的を果たせてしまった。僕はコード一切書けないのに。これはすごいことだと思う。

実務を何ひとつ知らないのにあれこれ口出ししてくるどこぞから出向してきた司になった気分である。そして半端にプロジェクトを成功させちゃったりするもんだから「おれ、イケちゃうのでは?」と勘違いして後で凋落して夜の新宿西口公園のダンボールハウスの隙間から高層ビル群を眺める立場になっちゃうやつだ。

そんなことにはなりたくないので、吐き出されたコードをつぶさに観察し、この部分はこれで、とできるだけ理解を深めて手を動かせる上司になろうと思う。僕はたぶんマネジメント力ゼロ人間だと思うけど。

えっと、何の話をしてたんですっけ。

そうそう、AIがすごい話だ。職場としてもAIで色々できるように様々な昨日を実装しているようだし、それを使いこなせる側になる必要がありそうだなと感じる。というかそうならないと本当に立場が危ういのではという本気で心配しなければいけない日もそう遠くなさそうだ。

コード書けるようになりたいという憧れはある

 

昼食戦線に新戦力投入

焼き魚を食べるたびに「うんま!こんなうまいもんそうないな!」と本気で思う。しかし滅多に食べることはない。

自宅の魚焼きグリルがめちゃくちゃ洗いづらい形状をしているので食べたあとの洗い物のことを想像するとその面倒臭さに二の足を踏んでしまうのだ。かといって魚焼きグリルを使わないと良い具合に魚は焼けない。「じゃあ他のもん食べますか」になる。

では外食時にで食べれば良いじゃないという話になるが、焼き魚を提供するようなお店には必ずフライがある。なんなら唐揚げまである。揚げ物も家で調理するには心理的ハードルの高い食べ物であるので、同じ”家で調理するのが面倒なもの”対決となると揚げ物に軍配が上がってしまう。男子とは魚とお肉が並べられていたらお肉をとってしまう生き物である。

それが一昨日までの僕だ。しかし昨日の僕は違った。

朝、出社時から焼き魚が食べたいという思いに支配されており、お昼ご飯は焼き魚一択、なんなら釣りにでも行きかねないパッションをもって午前中の仕事をこなしたのであった。たぶん、今の職場で働き始めてからお昼ご飯に焼き魚を食べに行ったことはないと思う。昼食戦線としては一大事である。

そして迎えたお昼休み。事前に目星をつけていたお店にイン。数あるランチメニューの中、脇目も振らず焼き魚定食を注文した。

僕はほぼ一番乗りだったので、注文の品を待つ間に数名のお客さんが入店。それぞれが思い思いの品を注文している。少し離れた席に座っている女性が漬け丼を頼んでいて「前の僕ならそれいっちゃてるな〜」などと本日をもって”焼き魚の男”になったことを誇りに思いながら焼き魚の提供を待った。

少しの後、想定していたよりも早い段階で店員さんが注文の品を持ってきた。しかし、その焼き魚定食は僕より後に入店した斜め前に座っている男性に提供されたのだった。おや?と思うも、「まあ…多少順番が前後するくらいはね…」と再び提供を待つことに。この時点からまあ若干の嫌な予感はしていた。

それから最初に斜め前の男性に品が提供された時間待ってみたが一向に提供の気配はない。先ほどの女性の漬け丼も提供されている。ただ、一度店員さんが何らかの注文の品を男性の後ろまで持って行って、そのままはっとした顔で注文の品ごと調理場へはけて行った。これはよもやである。

意を決して店員さんに「あの…オーダーって通ってます…?」と尋ねたところ、確認の結果を伝えられる前に「焼き魚定食一丁!!」の声が調理場方面から聞こえた。今からかい。

その後店員さんから謝罪があり、やはり提供ミスであった旨、急いで調理する旨を伝えられたので再び待つことに。もう時間的にリカバリーもできないし何が何でも焼き魚を食べていかねば。こうしてやっとの思いで提供された焼き魚定食。

鯖と…なんだ…?

焼き魚定食はその日おすすめの二種の魚を提供されるとのことで、たぶん鯖ははずさないだろうなと思っていたので想定内。しかしもう一種がわからない。なんとなく、ホッケなんじゃないかなと思うんだけど、ホッケってこんなだったっけという味わい。ホッケって油がのっていてジューシーなイメージだったんだけど、この魚は若干水っぽさがあるし。ホッケを最後に食べたのもだいぶ前の話なので思いでが美化されすぎてしまっていたのかもしれない。それかホッケが退化したかのどちらかだ。

食べている最中、店員さんは斜め向かいの男性にも提供ミスの謝罪を行っていた。その内容が聞こえてしまったのだ。

「申し訳ありません。ブリカマ焼き定食でしたよね」

と。

おいおいおい。全然違うじゃん!男性が食べていたのって焼き魚定食で、僕が食べてたのと一緒のものですよ?しかも男性、わりと躊躇なく食べ始めてた。ブリカマっていったらその名の通りの鎌の形をしていて、大きさだってまあまあある。どう考えても提供されたものと違うでしょうに。疑問を持て。違和感を抱け。

もしかしたら提供ミスということは気づいたけど、そこから作り直しの時間も煩わしかったからそのまま食べてしまったという可能性もあるにはあるが、その食べ始めた焼き魚定食が僕のものだったとは思い至らなかったようだ。そう、僕のだったんすよ。

トラブルはあったものの、最終的には目当てのものを食べられたのでこの日おお昼ご飯は勝利であったと言えるだろう。これからは焼き魚の男として職場近くの焼き魚定食を提供しているお店を巡ってみようと思う。

ちなみに、お会計のとき答え合わせしたら鯖じゃない方の魚はホッケでした。