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ライター
桃(Momo) フリーライター

書く人・エッセイスト。アメリカ・イギリスでの短期語学留学、ヨーロッパ鉄道周遊ひとり旅など経て、新卒でベンチャーの旅行会社に就職。現在は複数メディアにてフリーのライター兼編集者。趣味は英語で、映画は洋画を中心に年間150本を鑑賞。渡航国数は23ヶ国。

世界には日本国が国として承認している196ヶ国をはじめ、非承認の国を入れると300ヶ国以上あると言われています。せっかく地球に生まれたなら出来るだけ多くの国に行って、たくさんのものを見たい!

そんな思いで旅を続けていたら訪問カ国数が100を超えていた旅人たちに、一番たどり着くのに大変だった国・都市について聞いてきました!

質問:最も辿り着くのに大変だった国や都市を教えてください!

世界には魅力的な国や場所がたくさんあるけれど「ウユニ塩湖」や「マチュピチュ」は辿り着くのに大変って聞いたことがある!他の国でも実際に行くだけで疲れてしまう、消耗してしまう国ってあるのかな?ベテラン旅人たちはどんな体験をして来たんだろう?

そこで実際に、これまで100ヶ国以上を旅した旅人たちに、これまで一番辿り着くのに大変だった場所を聞いてきました!

旅丸sho

旅丸sho

バックパッカーで世界を5年間旅をしながら、“旅丸”“TABIMARU.com”という二つの旅ブログを運用するブロガー。現在は旅人育成企画“タビイク”を運営するBackpackers ProductionのCOO兼CFOとして会社経営をしている。雑誌や書籍への写真提供、エッセイの執筆、講演、ピースボートへの水先案内人としての乗船なども行い、2018年から外国人フリーランサーのコンサルも実施。特技はカニカマのビニールを早く剥く事。

中国からパキスタンへ入る時が一番大変でした。

中央アジアの旅を終え、中国の新疆ウイグル自治区を抜け、いよいよパキスタンに入国する際、運悪く連日の雨で道が土砂災害で埋まってしまい、いつバスが出るかわからないという状況に…。

中国はビザ無しで15日の滞在が可能だったのですが、すでに10日近く中国で過ごしていた為、残り5日しか中国での滞在はできません。

 

国境近くの街は非常に小さく、大きな都市に移動して飛行機でパキスタンに入るか、陸路で抜けれるのを待つかを選択しなければいけず、ギリギリまで陸路での入国を待つ事にし、最後1日でパキスタンへのバスが出発する事になりました。

ただし、道中の道はガタガタ、場所によっては土砂崩れでバスを押さなければいけなかったり、 道が崩れて大きな川の中を荷物を頭に乗せて渡らなければいけず、非常に大変な道のりでした。

アマゾニアン

アマゾニアン

大学時代からバックパッカーを始め、就職は蹴り29歳までバックパッカー。20代で102か国を渡航。10か月だけ日本で社会人(私にとっては日本でワーホリ)して、30歳の誕生日に独立しました。現在は旅する雑貨屋コパカバーナを経営、お店が波にのってから新しい国々を周りだし、40歳で国連加盟国193カ国にすべて渡航済み。日本最大の海外旅行オフ会の会長もしています。

国連加盟193カ国すべてに行くという目標を立てて最後に残ったのはリビアと南スーダンでした。

南スーダンは内戦の終結宣言があって、それ以降は普通に行けそうな雰囲気になりましたが、リビアは別。内戦が終わってからも10年くらいは行ける気配が全くなかったのですが、ロンドンでビジネスビザを取得して渡航できました。もちろんビジネス目的ではないのですが、そうしないと行けませんでした。

 

同様に去年訪れたサウジアラビアも10年くらい行けずでした。行くにはイスラム教の巡礼ビザか石油関係などのビジネスビザです。両方とも無理なので半ば諦めかけていましたが、旅友からサッカーの対戦があれば行けるよと聞きました。

FIFAの規定でアウェイのサポーターは絶対に受け入れないといけないとのことです。対戦が決まる数年前からサウジアラビアと当たってくれ!と願い、ラッキーなことに当たり、渡航できました。

 

現在は観光客にオープンになってきたようです。リビアに関してはグレーゾーンなのでビザ取得も入国もかなり神経を使いました。

花田 塁

花田 塁

大学卒業後の2006年に、3ヶ月間タイの田舎にある孤児院施設でボランティアをしたのがきっかけです。異文化の中で生活する楽しさに加えて、子どもの発想の豊かさや支援の必要性に触れて、職業として深く関わりたいと思い、帰国後に学童保育士や特別支援学校の教師として勤務しました。一方でもっと違う世界を見てみたいという思いから、バックパッカーとして、2018年10月現在で訪問104カ国、世界3周目の途上です。

中央アジアのトルクメニスタンです。

2014年当時は個人では観光ビザを習得するのが難しく、5日間限定のトランジットビザを取得して入国するのがバックパッカーの間では一般的でした。トルクメニスタン大使館は日本国内になく、これまたビザの必要なタジキスタンにある当国大使館に行く必要がありました。

しかも形式上トランジットなので、前後に陸路出入国する国(この場合ウズベキスタンとアゼルバイジャン)のビザも取らなければなりませんでした。

 

ここからは「ビザラン」の始まりです。まずは日本にあるウズベキスタン大使館とタジキスタン大使館でビザを取得しました。その後中央アジア地域に入り、キルギスのアゼルバイジャン大使館で1週間も待ってビザを取得。

そこからタジキスタンに移動して、首都にあるトルクメニスタン大使館にてトランジットビザを取得。その際、トルクメニスタンに入国と出国する日付を決めないといけないので、間に合うようにウズベキスタンを駆け抜け、ようやくトルクメニスタン入国を果たしたのでした。

 

炎が燃えさかるガスクレーターを眺めたり、「中央アジアの北朝鮮」と呼ばれるテーマパークのような人口首都を歩いたりと、苦労に見合った貴重な体験をさせてもらいました。

旅人マリーシャ

旅人マリーシャ

世界一周122ヵ国を周った旅人です。Sサイズモデル他様々な活動をしてきた中で、「ミステリーハンターになりたい」という夢が諦めきれず、自身で旅に出ました。初のバックパックの旅は2008年、世界一周は2014年に始めました。集英社のウェブサイト「週プレNEWS」で旅コラムを連載したり、TVやラジオ等各メディアで活動中です。

旅中の移動で一番時間が長かったのは、ブラジルのナタールからベレンまでバスで40時間の移動でした。乗っているだけでしたがなかなかのストレスで、さすがに現地のブラジル人たちも疲労困憊という感じ。車内は二酸化炭素で溢れ、だいぶカオスな状態でした。

 

他に、精神的にも肉体的にも大変だったという移動ではインドのバラナシからネパールのカトマンズが一番辛かったかと記憶しています。

男性しか乗っていない深夜のローカルバスは女性としてはかなり怖かったし、ネパールに入ってからは助手席に荷物と一緒に詰め込まれるような姿勢で体がバキバキでした。

 

他にもマチュピチュへ行く崖を走るデスロード、ガラパゴスの離島へ行く揺れるゲロ船、などなどどれもそれぞれ大変でしたし、数え上げたらキリがないですね…。

河嶌佐登志

河嶌佐登志

大学生の時に深夜特急を読んで、バックパッカーになる。最初の旅で英語ができないことを痛感し、帰国後すぐに大学を休学。カナダに留学。旅行のために英語を覚える。大学を卒業後、安易な考えで旅行会社で働くが、まったく旅行ができず。現在は旅行に行きやすい外資に勤務。世界一周は計3周。好きな都市はケープタウン。

チリのイースター島。多分日本から一番行きづらいメジャーな観光地だと思います。一番簡単な行き方でも、東京からタヒチまで11時間。タヒチには朝に到着します。タヒチからは約5時間です。

 

飛行機の時間だけを聞くとそこまで行きづらいところではないのかなとは思うのですが、いかんせんタヒチからイースター島までの飛行機がとにかく取りづらい。

タヒチから1日1便で、座席の確保が大変でした。アメリカ、チリのサンチアゴ経由でも同じく飛行機は取りづらいです。タヒチからも南米本土からも5時間かかる孤島ですので、フライトが取れないことには辿り着くことができません。

 

私の友人でエコノミーが取れずビジネスクラスでなんとか予約をした人もいます。簡単に行けそうでも、フライトの便数・座席数の関係で行きたい時に一番行きづらい場所の一つです。

アクセスしづらい場所こそ見たい絶景がある


photo by shutterstock

バスで40時間やビザランなど、考えるだけでぞっとするエピソードばかりでしたね。それでもそこに行くことで見ることができる景色や体験は、計り知れないもの。ぜひ皆さんも移動に屈せず旅を続けてくださいね。

次の【100ヶ国以上を訪問した旅人に聞いてみた】は「最も危険を感じた国・都市を教えて!」です。

ライター
桃(Momo) フリーライター

書く人・エッセイスト。アメリカ・イギリスでの短期語学留学、ヨーロッパ鉄道周遊ひとり旅など経て、新卒でベンチャーの旅行会社に就職。現在は複数メディアにてフリーのライター兼編集者。趣味は英語で、映画は洋画を中心に年間150本を鑑賞。渡航国数は23ヶ国。