平成24年7月某日
福岡空港でもち豚丼を食し、羽田空港に着いたまきまきなのねは京急にて日本橋へ。PASMOは東京へ行く部下に譲っていましたが、もう一枚持っていたICカードをピッとかざします。
すると、ピーピーピー!?!?!もう、思いっきり交通の妨げであります。『なんで?残高は一万円以上あるはずなのに…タッチできなかったのかな?』キョロキョロと辺りを見渡し、も一回…ピー!ピー!ピー!ピー!通っちゃダメ~!(ん~、きっとスイカに黙って上京したからか…)
こんなん初めてであります。憮然としながらお財布からSUICAを取り出して…ん?なんか色が違う…ピンク色であります。私が持っていたスイカは緑色だったはず。よく見てみるとSUGOCA(JR九州管内発行)に変わっていますよ!
そうやった。3月に栄転することになった部下2名にPASMOとSUICAをプレゼントした際に、部下が持っていたSUGOCAなるものを貰ってたんだった。使えるわけがありません(滝汗)
小波乱からの幕開けとなったおのぼりさんまきまきなのね。行く先は闇の取引があるのか、はたまた新たな
はっけんなのか?
なんとか12時前に日本橋へ到着し、目指す先は取引所。かなり久し振りなので念のために地理を確認。日本橋駅を出る際に「たいめいけん」の一文字を発見。逆方向ですが、ランチ後13時には取引所に向かわねばなりません。
一応、取引所の場所を確認し、朧気に覚えたたいめいけんへ向けてレッツゴーであります。ほほー。これが日本橋ですか。ほほー。これが三越ですか。むっ!何故に遷都くんがこんなとこに!?
完全おのぼりさんなまきまきではありますが、…が、歩いていてふと気付くともう12時過ぎています。まきまきお腹もアラートを発していますので、取り敢えず「たいめいけん」は断念し、一端戻ることに。
でもって、三越へ向かう裏通りに発見したのが
寿司岩さんだった訳であります。この界隈でお寿司を食べるとは思っていませんでしたが、たまの東京こんなのもまあいいでしょう。
無事東証での仕事を終え、次に向かうは日本唯一の発券銀行である日銀であります。そういえば、日本銀行も、東京駅も設計者は辰野金吾氏。密かに
佐賀県唐津市出身であります。
日銀総裁となった高橋是清に師事し、是清を追って上京。その後東京駅を設計し、赤煉瓦に白い石を散りばめたそのスタイルが有名に辰野式と言われるようになるのであります。
何気に佐賀って歴史を動かしてきた、活躍した方が沢山いらっしゃるのです。かの早稲田大学創始者大隈重信も佐賀出身だし…。
日銀での業務はサクッと無事終了。辰野金吾氏は今の佐賀を見たらどう思うだろうか…などと思いを馳せながら日銀を後にし、向かうは神田のお宿であります。