2017/07/23 - 2017/07/23
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ウェンディさん
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私が初めて貴女(あなた)にお会いしたのは8年前の2009年。
当時64歳だった母と共に訪れた標高3000mのクスコ(ペルー)の高地に、貴女は居ました。
Catedral(カテドラル:大聖堂)と呼ばれる大きな教会の暗がりの中で、褐色の肌を持つ貴女は幼子をその手に抱き、慈しみの微笑を浮かべ静かに立っていました。
貴女の名は、Ave Maria。
日本ではマリア様と呼ばれています。
現地のAndina(アンディーナ)と呼ばれる人々は、褐色のAve Maria;貴女を信仰し、貴女の足元には蝋燭の灯が絶えることもなく揺れていたのを私は覚えています。
しかし、カテドラルを案内してくれたガイドさんの話・・・は私に、貴女の持つもう一つの貌を教えてくれました。
貴女は、ずっと昔からこのクスコの地に居たわけではなかったのですね。
貴女が欧州の地からはるばる南米クスコへとやって来た理由。
それは、スペイン人により制圧されたインカ文明の人々を、キリスト教という欧州の宗教に取り込み、コンキスタドールと呼ばれた征服者たちに従順な奴隷とするため。
征服者たちはあえて貴女の肌色を現地のAndinaの人達に似た褐色に塗り、親近感を持たせ、彼らを改宗させる役割を貴女に課したのでしたね。
インカ文明がこの世界から消えてから約500年の月日が過ぎ、今では貴女はクスコの守護神として3000mの高地に存在しています。
過去の歴史が何であれ、貴女は慈しみの聖女。
全ては時の流れなのでしょう。
貴女との出会いから8年がたった2017年。
私はクスコの真裏にある日本で、また、貴女;黒い聖母マリアと対面しました。
日本で出会った貴女は、私の記憶の中の貴女とは異なるお顔をしていました。
そして、日本の貴女の持つ歴史は、クスコの昔話とはまた異なる一面を持っているようです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
私事だが、ここのところ毎年のように夏になると実家のある新潟へと呼び戻されている。
一昨年は母の交通事故。
昨年は100歳になろうとする祖母の永眠。
そして、今年は…祖父母と曾祖父母の法要。
夏の新潟は嫌いではないが、北国と言われている割には涼しくないのが私としては微妙な部分。
どうせ行くのならば、春秋の気候のいい時にしてくれ…と主張したいのだが、いずれも私の都合では如何ともしがたい用件だった。
でも、今年の場合は法要なので予めその日程は分かっていた。
だから、行くことを条件にちょっとだけ我儘を父にお願いしてみた。
お願い・・・それは、関東からはアクセスしにくい山形県鶴岡市へのドライブ旅のプランニング。
(写真:法要の前日の夜。襖を取り払うと大きな座敷になる部屋。最近はこんな風な家は田舎でしか目にすることができない) -
以前から、山形県と新潟県の県境にある町;鶴岡市には訪れてみたい場所があった。
鶴岡市は関東からのアクセスが非常に悪く、新潟市を経由していくのが一番近い行き方なのだが、新幹線と在来線を乗り継ぐ片道5時間以上を必要とするちょっとした遠出となり、関東圏からの日帰り旅は難しい。
だから、実家に帰省した時に機会があれば…と狙っていた。
鶴岡市で私が訪れて見たかった場所は2か所。
1つは世界的にも有名なクラゲ水族館である鶴岡市立加茂水族館、そして、もう1つは日本で唯一の肌色が褐色であるマリア像がある鶴岡カトリック教会だ。
褐色のマリア様は以前にクスコ(ペルー)の教会でお目にかかって以来、なんだか気になっている存在で、また、クラゲは食べるのはもちろん好きだが、海中を浮遊する姿は私にとっては癒しでもある。
(写真:法要に供物として納められた果物籠。子供の頃は法要の楽しみと言えばこの果物たち。滅多に買ってもらえない高級なメロンを食べることの出来る貴重な機会だった。) -
イチオシ
新潟市から鶴岡市までは高速道を利用しても片道3時間弱。
日帰りで行くには少し遠い距離だったが、父は1年ぶりの娘とのドライブ旅ということですんなりとOKを出してくれた。
そして当日はクラゲだけに2時間を費やし、予定外のお寺散策では不思議な鉄道廃墟を見つけて、大興奮の私。
それを見て苦笑する父母という不思議な絵図が出来上がっていた・・・。
(写真:新潟で食したお魚たち。新潟と言えば夏でも魚介が旨い。この時期は佐渡沖で獲れるお魚さん達がお勧め♪)佐渡のすし 弁慶 イオン新潟青山店 グルメ・レストラン
-
そんな理由でやってきた鶴岡市で、まず訪れたのが日本海の海辺にある加茂水族館。
加茂水族館はとっても小さな水族館だが、クラゲに特化した水族館として知られていて、2000年にはくらげの展示数が日本一となり、2012年にはクラゲの飼育数世界No.1の水族館としてギネスに認定されている。
でも、水族館にいるお魚さん達はクラゲだけと言う訳ではなく、地元の庄内川水系の展示もある。 -
勿論、日本海側に生息する魚達の水槽も有り、私がいつも分からなくなってしまうカレイとヒラメの見分け方の解説板もあった。
私はいつも呪文の様に"左ヒラメに右カレイ"と唱えながら、この平べったい魚はヒラメなのかカレイなのか見極めようとするのだが、一体、どこの部分を指して左とか右とか指すのか…。
何となく顔の方向かな…と思っていたのだが、どうやらその解釈で間違えはないようだ。
ただ、この見分け方は日本近海に生息するヒラメやカレイの専売特許で、国によってはカレイなのにその顔がついているが左側という海域も有り、アメリカ近海では右向きと左向きのカレイが半々の割合で存在するというのでヤヤコシイ。 -
"左ヒラメに右カレイ"だから、この子はヒラメさんかな?
-
近海域の水槽にはエイも居る。
エイは種類によってはその尻尾に猛毒を持ち、一振りで触れた相手を死に至らせる。
このエイたちも危険な奴らなのだろうか。 -
危険かもしれないが、エイの姿を腹面から見てしまうとユーモラスなその姿に笑いが出てしまう。
-
そして、加茂水族館のメインの見所といえば、クラゲの展示。
クラゲの展示に関しては別旅行記↓にしてあるので、此処では前回の旅行記で触れなかった写真を中心に紹介したい。
旅行記:海月が漂う夜 http://4travel.jp/travelogue/11264883
加茂水族館を一躍有名にしたのはクラゲドリームシアターと呼ばれる2000匹のクラゲが回遊する円盤型の巨大水槽だ。
2000匹ものクラゲが蠢く水槽は美しいけれど、あの中に放り込まれたら…かなりホラーだろうね。 -
でも、クラゲが2000匹もいたら、どんどんクラゲ算〈ネズミ算?〉式にクラゲの個体数が増殖していって、水族館で世話をしきれなくなってしまうのではないのかな…。
と水族館の運営に余計な心配もしたくなるのだが、心配ご無用。
加茂水族館で飼育しているクラゲには肉食クラゲも多く、この水クラゲたちは肉食クラゲたちの餌ともなる存在だそうだ。 -
ジェリーフィシュの種類も多いのが加茂水族館の特徴。
(英語ではクラゲのことをJellyfishと書くので、クラゲの種類でジェリーフィシュと言う和名は名前の混乱を招きそうだ)
この写真のクラゲは、ルサーナジェリーという名前で、ジェリーフィッシュ独特のコロコロ感は少なめだ。
透き通る青色が印象的なキャノンボールジェリーフィッシュや紫に光るルテウムジェリーも居た。 -
イチオシ
アカクラゲは日本海岸側ではメジャーな奴だが、その美しい姿に似合わず、その刺胞にはそれなりの強さの毒を持つ。
刺されたら死ぬほどの毒の強さではないが、海岸線でこいつらを見かけたら絶対に近寄らない方がいい。
1m圏内に居たら、長い触手に隠された刺胞にやられてしまうかも。鶴岡市立加茂水族館 動物園・水族館
-
ミズクラゲの乱舞はどれだけ見ていても飽きることはない。
-
展示室は、こんな風に黒い壁を背景に円盤型の水槽が並んでいる。
説明書きパネルも詳しく見やすい展示だったが、しいて言えばもう少しアクリル板の内側のお掃除をしてほしいかな。
水の汚れがアクリル板の内側を薄く覆い、クラゲの姿がクリアに見えにくい水槽もあった。 -
クラゲの養殖風景の展示も有った。
夏休みシーズンだったので、自由研究のネタにするのかメモ帳片手に真剣に施設の見学をしている子供たちも多数見かけた。
最近はインターネットを使えば何でも簡単に検索できてしまうが、こういうところで自分の手足を動かして学習する方が、将来的にしっかりと記憶に残る気がする。 -
館内には日本海を眺めながら食事のできるレストランも有り、その食材にはクラゲがタップリ。
もしかして、水族館では食用クラゲの養殖もしているのかな? -
食すクラゲも大好きな私だが、この日のランチはクラゲではなく鶴岡の郷土料理を食べることに。
訪れたのは加茂水族館からも車で15分のところにある寝覚屋半兵衛(ねざめやはんべえ)。
ここは一見お蕎麦屋さんの様に見えるが、お蕎麦屋さんに非ず、麦切り屋さんだ。 -
麦切りとは山形県の中でも鶴岡地方にしかない地域限定の麺で、饂飩よりも細く、蕎麦よりも太く、冷麦ともまた異なる麺だ。
写真は3人前で、右側の白い麺が麦切りで茶色っぽいのが蕎麦。
寝覚屋半兵衛のお勧めは、蕎麦と麦切りの合盛。
蕎麦と麦切りの割合は1:2でも、2:1でも好みに応じてリクエストできる。寝覚屋半兵エ グルメ・レストラン
-
お値段はそんなに高くなく、3人前で2220円と比較的庶民の懐に優しい。
そして、麦切りを食べた感想は・・・というと、美味い♪
饂飩よりもコシとモチモチ感があり、のど越しツルツルな感じで、次回に来ることがあるならば合盛ではなく、全部麦切りにしてもらおう・・・と思ったくらい。
鶴岡地方では饂飩・蕎麦よりも麦切りが麺としては認知度が高く、大みそかの晩に食べるのも年越しそばではなく、年越し麦切りなのだそうだ。
原材料は小麦なので、麦切りと饂飩はあまり変わらないと思うのだが、ツルツル・モチモチ感は饂飩よりもはるかに高かった。 -
食後は、近くにある善宝寺へと向かう。
このお寺は私の事前チェックでは全くノーマークだったのだが、静かな良いお寺だと云う父の言葉に誘われてやって来た。 -
善宝寺は1100年の歴史を持つ海の守護神である竜神を祀るお寺で、その境内は広い。
境内に入ると目に飛び込んでくるのは、高くそびえる五重塔。 -
昔々、善宝寺に境内には夜になると声を出す「夜啼き石」という不思議な石があったのだが、その石を礎石として建てたのがこの五重塔。
夜啼き石は安住の地を得たためか、塔が出来上がってからは啼くことはなくなってしまったというコトだが、個人的には天へと伸びる五重塔の構造がスピーカーとなり、夜になると村中に奇怪な声が響き渡った・・・となった方がインパクトはあると思う。善寳寺 寺・神社・教会
-
五重塔には十二支の動物が隠されて彫り込まれていて、自分の干支を見つけられたらラッキーだというコトで、父母ともども干支探し。
で、見つけたのは、こんな不思議な彫刻。 -
髑髏の首飾りをして、蛇を手に巻き付けた不思議な神様の姿。
寺院の彫刻に髑髏を用いたものはあまり目にしたことが無かったので、新鮮だった。 -
山門にいらしたのは、毘沙門天と韋駄天のお二方。
通常、お寺の山門を守るのは仁王像が多いのだが、このお二方は明治時代の廃仏毀釈の時に壊されそうになり、善宝寺に逃げ込んできたとのこと(お寺の公式ホームページより)。
優しそうな顔をしていらっしゃるので、喧嘩に負けてしまったのかな? -
五重塔の脇には大きな弥勒尊像もあった。
どうやらこちらのお寺の仏様にはいろんな逸話があるようで、この弥勒様も例外ではない。
この弥勒様が善宝寺にやって来た時、弥勒様は首から上が無かったそうだ。
弥勒様が作られたのは大阪で、そこから海上輸送で山形の鶴岡まで運ばれたのだが、最後の最後の陸揚げの時に弥勒様の首はコロリと海の中に転がり落ちてしまい、大きく重い頭は人力では引き上げることが出来なかった。
普通ならば、悔しい~とハンカチ(当時は手ぬぐいかな?)の端を噛みそうなものだが、善宝寺は海の守護神である竜神を祀るお寺。
落ちてしまった首は海を守る竜神様に呼ばれた物として胴体を陸揚げ後に再度、頭部のみを造作したとのことだ。
だから、頭部と体の石の色合いが異なっているんだね。 -
本堂までは96段の石段を登る。
-
階段の途中にあった朽ちた樹の中に、小さなお地蔵さまを発見!
御住職さんの遊び心だとは思うが、年老いて朽ち果てた幹の中央に守られる様にして立つお地蔵さま。
なんだか素敵だと思う。 -
龍王殿と呼ばれる本堂は、竜王の住む竜宮城をイメージして作られている。
その昔の茅葺屋根の頃は、波を表現するウェーブ模様が屋根のフォルムでデザインされていたとのことだが、残念ながら現在は、彫刻で海っぽい感じを残すのみだ。 -
初めて訪れた善宝寺は全く下調べをしていなかった割には楽しめたのだが、帰宅後にネット検索をしていて、お寺の裏側に人面魚(昔、話題になったよね)がいる池があったと知り、ちょっと悔しかった。
でも私は善宝寺の直ぐ近くで、人面魚なんかよりももっと私の琴線(廃墟好き♪)に引っかかるモノを見つけてしまった。
それが、この写真の善宝寺鉄道記念館とプレートのある建物。
コレは、どう見ても廃墟だ。
敷地内へ入るための扉には鍵がかけられ建物の中へは入れないが、奥に見えているのは古い列車の車両。 -
イチオシ
列車は全体に錆びつき、窓ガラスも割れて、列車の内側にも草木の根が入り込んでいる様に見える。
このレトロ感と荒廃感は、廃墟好きにとっては涎が出てきそうな位、身震いがするほどたまらない光景だ。 -
建物の反対側へと廻りこみ、柵の上に身体を乗り出して中を覗き込む。
草むらの中で静かに錆びるがままに佇むのは、庄内交通モハ3形と呼ばれる車両で、昔は現役で動いていた列車だ。 -
この場所は庄内交通湯野浜線の善宝寺駅だった場所で、1975年の湯野浜線の廃止に伴い、鉄道施設の保存展示場として作られた善宝寺鉄道記念館という名の施設で、記念館の開館当時はそれなりに人気があったのだが、入場者の減少により1999年に記念館は閉館し、その後、訪れる人もないまま記念館も列車の車両も時間が止まった当時そのままの姿を留めている・・・らしい。
多分、善宝寺鉄道記念館は建物の老朽化や安全性の問題でその内に取り壊されてしまうのだろうが、廃墟Loverとしてはこのまま朽ち果てるまでそのままにしておいてくれないかなぁ…と密かに願ってしまう。善寳寺 寺・神社・教会
-
鶴岡での最後の訪問地は、黒いマリア様がいる鶴岡カトリック教会。
鶴岡カトリック教会があるのは、鶴岡城跡公園から徒歩5分の場所。
教会には駐車場がないので、城跡公園に車を駐車してからこちらへとやって来た。 -
黒いマリア様が居るのは教会の天主堂の中。
天主堂の前にドドーンとあるのは、純和式の門で微妙に和洋折衷な感じがあるが、それもその筈。
教会があるこの場所は庄内藩家老の武家屋敷跡で、この門は武家門だったそうだ。 -
天主堂は教会付属の幼稚園に隣接して建てられているので、見学で敷地内に入る時には不審者っぽく見えない様に振る舞うことも大事。
だから、近くにいる関係者の方への最低限のご挨拶「こんにちは♪見学させてくださいね」の一言は必須かな。 -
鶴岡カトリック教会天主堂が建てられたのは明治36年(1903年)。
フランスのデリヴランド教会をイメージして建てられている。 -
設計から着工まで3年の歳月を要した天主堂の尖塔の高さは、23.7m。
その当時に建設された教会での中ではかなりのノッポさんだ。 -
聖堂内部へと足を踏み入れる。
内部建築はバシリカ式(天井から見下ろすと教会の構造が十字架型)と呼ばれるローマ時代の王宮建築にルーツを持つ構造で、その天井はヴォールト天井と呼ばれる半円ドーム形。
ヴォールト天井はゴシック建築の教会でよく目にする構造だ。 -
見学者は私達以外にはおらず、静かな空間。
その中をゆっくりと歩き、貴女;褐色のマリアのもとへと近づく。 -
主祭壇の右側で、窓越しの柔らかい光を浴びているのはキリスト。
-
そして、貴女;褐色の肌色をしたAve Mariaがいるのは、主祭壇の左側。
クスコで初めて出会った時と同じように、幼子を抱えた姿で微笑んでいた。
ペルーの高地でお会いした時よりも、ほっそりとした顎のライン。
その肌の色はこんがりと日焼けしたような色合いで、8年前の初見の時とはちょっと雰囲気が違うかな。 -
鶴岡で微笑む褐色の肌のマリアさま。
貴女の肌色は、誰の為?
貴方の肌色はどうして褐色なの? -
その答えは・・・
貴女の肌の色は、誰の為でもない。
浅黒い肌の色…それは、あなた自身の皮膚の色。鶴岡カトリック教会天主堂 寺・神社・教会
-
イチオシ
「イスラエルの娘たちよ、わたしは黒いけれども美しい。ケダルの天幕のように、ソロモンのとばりのように」
旧約聖書の雅歌に残されているこのフレーズは、旧約聖書が綴られたころ;原始のキリスト教では、聖母マリアの皮膚の色が欧州系の白い肌ではなく、褐色(黒色)に近かったことを示唆している。
だから、貴女の肌の色は、旧約聖書が示す貴女の民族の皮膚の色。
今、欧州に存在するマリア像の多くの肌の色は、宗教が政治に取り込まれてしまったた故に白っぽい淡い肌色であることが多いが、もしかしたら昔の貴女たちの姿は、こんな浅黒い肌色だったのかもしれない。 -
明治36年10月に、貴女はフランスのノルマンディ州からこの異国の地へとやってきた。
ただひとり、言葉も通じないこの地;鶴岡へ。
でも、それは500年前のクスコでの貴女も同じ。
人間たちが抱える暗闇の部分はあったかもしれないが、貴女の目的は何処にいてもただひとつだったと思う。
慈愛の心…。
たぶん、ソレだけだったのだよね。 -
8年前にクスコで出会ったマリア様。
貴女は欧州からの征服者たちに政治的に利用されるためにその肌の色を浅黒く染められた。
でも、それはもう昔の話。時は移ろい、全ては時の中で過ぎ去った話。
今の貴女はクスコの住民に癒しを与え、心の悩みを軽くする存在。
歴史は忘れてはいけないが、前にも進まなくてはいけない。
人々は今も心の中に500年前に滅ぼされた文明のわだかまりを抱えているのは本当のことだけど、その心の刺を抜き、癒すのが、今の貴女の役割なのかもしれないね。
写真:褐色の聖母マリアがいるクスコのカテドラル/2009年撮影。
旅行記は→ 高山病に負けるな!五感で味わうクスコ
http://4travel.jp/travelogue/10790450 -
イチオシ
褐色の肌をした聖母マリアとの8年ぶりの対面の後は、聖堂内のステンドグラスの観察。
窓を彩るのは綺麗な色ガラスだが、実はこの窓の装飾はステンドグラスではなく、窓絵と呼ばれる装飾だ。 -
窓絵には2種類の作り方があり、1つは二重になっている窓ガラスの内側に絵を描き、その外側にカバー用の透明ガラスをはめ込むもので、もう1つは2枚の硝子の間に薄い透明な紙に描かれた絵を挟み込むものだ。
鶴岡カトリック教会の窓絵は、後者の紙に書いた絵をガラス板で挟み込んだもので、光が柔らかく射しこむのが特徴的だ。 -
その昔、この教会が建てられたころ、ステンドグラスは海外からの輸入品しかなく非常に高価なモノだった。
だから、その代替案として考え出されたのが、装飾手法としての窓絵。
現在、日本でこの窓絵を見ることの出来るのはここカトリック教会の聖堂だけで、鶴岡カトリック教会の窓絵は、非常に貴重な文化遺産だ。 -
イチオシ
教会を去る前に、クスコで出会った褐色のマリア様に日本でも会えたことを教会の主に感謝をする。
-
そして、教会を出る時に入口付近にあった聖書の一説を書いたおみくじのようなモノを一つだけ頂く。
私が手にした紙片に書いてあったのは、「主はわたしの助け手、恐れることはない」。
私はキリスト教徒ではないので、この言葉の真意は読み取ることはできない。
でも、恐れることはない…というメッセージはしっかり受け取った。
この先、色々な意味で道に迷った時も、恐れずに前に進んでOKってことだよね。
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この旅行記へのコメント (10)
-
- salsaladyさん 2017/10/07 10:30:41
- カソリックはマリア様を尊重しますね。
- ☆最初、クスコからの報告か?と勘違いしましたが、褐色のマリア様が日本にもいらした訳ですね!
☆ミッションスクールを卒業した私には、結局宗教が人間を対立させてる様な気がして、余り深入りしたくないと感じました。日本の政治家みたいに離合集散?
☆欧州に行くと、何が何でもキリスト教?と磔にされたイエス様を見せつけるのが苦手です。〔子供の頃イエスの産まれた馬小屋のくだりを三人の博士が訪れて予言するナレーション役で〕イエスに同情を禁じ得ません。〔変かしら?〕
☆勝手な妄想で、久し振りに訪れたwendyさんを混乱させて申し訳ない。ちゃんと記事の感想を言うべきですわね>~see you~
- ウェンディさん からの返信 2017/10/07 12:26:09
- RE: カソリックはマリア様を尊重しますね。
- salsaladyさん こんにちは。
急に寒く感じられるようになり、なんだか気候の変化に体がついて行けない日が続いていますね。
今日も連休初日だというのに雨模様で、しっとりとした秋の気配が空気の中に混じり始めています。
宗教と政治はいつの時代も切っても切れない仲。
利己的な人間は宗教を隠れ蓑にどんな残虐なこともやってしまいますし、一方で寛容な心を示すときもあります。
私自身は、幼稚園は神道で実家も婚家も仏教(学校は宗教色はありませんでした)ですが、基本的にはどの宗教を信仰するか・・・なんていう信念はない状態です。
だから、日本に存在する八百万の神、神道、仏教・・・さらには世界彼方此方の信仰には興味があり、訪れる国の宗教については出来るだけ学習し、自分なりの理解をしようと努めています。
それ故に、クスコで出会った黒いマリア様の隠された逸話はショックでした。
現在は敬虔なカトリック教徒が多いペルーですが、その始まりにはこんな悲しい話が隠されて居たなんて…と。
そんなクスコのマリア様と同じ肌色の聖母が日本に居ると知ったのは、トラベラーの方の旅行記を拝見して。
いったいどんな理由があって日本のマリア像の肌が褐色なのかと思いましたが、旧約聖書の内容をルーツとするのですね。
でも、それで、イエスの顔色が褐色っぽい色で描かれた(彫像された)像が多い理由もすっきりしました。
キリスト教のお話は新約聖書よりも旧約聖書の方が物語として(たまに吃驚するような描写や展開も有りますが)興味深いです。
旅をするたびに新しく聖書の頁を捲り、今は袂を分けてしまった宗教たちのルーツを知るのは新しい発見でもあります。
宗教は難しい問題ですが、テーマとしては面白いですね。
ウェンディ
-
- こあひるさん 2017/09/29 11:30:35
- 懐かしいな!
- ウェンディさん、こんにちは。
鶴岡、3年前に行ったきりだけれど、カトリック教会、懐かしいなぁ~~と思いながら拝見しました。
黒い聖母は、日本にはここだけにしかないとか・・・美しいマリア様でしたし、窓絵の優しい色あいが印象的でした。黒いマリア様・・・もともとはこういう肌の色の人種だった・・・というのはグッときますね。
こあひる
- ウェンディさん からの返信 2017/09/29 22:36:42
- RE: 懐かしいな!
- こあひるさん こんばんは。
この旅行記のメインテーマとなっている、黒い聖母像。
実は、私が日本に褐色のマリア像があると知ったのは3年前のこあひるさんの旅行記がその最初でした。
クスコの人達にとっては、文化を乗っ取られた象徴でもある褐色のマリアがなぜ日本に居るのか。
旅行記を最初に拝見した時は、どう考えていいのかが分かりませんでしたが、もともとマリア様の民族が肌の色が浅黒い民族であったのであれば、納得ですよね。
現在、カトリック教会などで見かけるマリア様は大抵が白に近い肌の色をしていることが多いですが、これは政治的意図もあるのかもしれません。
昔から、政治と宗教は切っても切れない関係ですからね。
ウェンディ
-
- snowy;yukinoさん 2017/09/29 02:31:43
- 麦切り♪ 魅惑的♪ ww
- 独特な文化が残っているという鶴岡、、私もかねてより行きたいディスティネーションでする♪ いったいいつになったらいけるのか、、ww
住んでるUSの隣の国なのに なかなか何度も行けないメキシコなのですが、、ウェンディさんの褐色のマリアを読んで、、つくづく 同感と言うか、、多分 現地の人はもっと老獪、、と言うか ナチュラルに 無理と抵抗する事なく生きているんではないか、と、、戦略者が次々と昔からの宗教建造物の上にカソリックの教会を建てても そこに行き お祈りする、、何を祈っているのか、、どちらへも祈っているような気がしますww
メキシコシティの外れにも 有名な グアダルーペのマリアさまがおりまする。彼女の肌もまた褐色でする♪
ティオティワカンへ行くのにちょっと寄り道するのに便利(失礼!w)なので 観光客でも 信者でも 超人気スポットで 混沌としていますw
(ティオティワカンが サンフランシスコのミュージアムに明日から 来年の一月まで、、)
ウェンディさn 楽しい旅行記ありがとう♪
レポート お待ちしておりまする、、
良い旅をわれらに♪
xx
- ウェンディさん からの返信 2017/09/29 22:26:10
- RE: 麦切り♪ 魅惑的♪ ww
- snowy;yukinoさん こんばんは。
クスコで初めて出会い、ボリビアの小さな村でもお目にかかった褐色のマリア様が日本に居ると知ったのは、数年前。
その時の私の知識は、マリア様の肌が褐色なのはコンキスタドールによる策略だという一知識に偏っていたので、なんで日本に黒いマリア様・・・?と非常に不思議に思ったものでした。
でも、色々と調べていく内に褐色のマリア像があるのは中南米だけではなく欧州の山間部にもあり、その信仰は数百年以上に及ぶと知り、黒いマリアの歴史に興味を持つようになったわけです。
クスコの褐色のマリア様も印象的でしたが、ボリビアのコパカバーナの小さな礼拝堂の中にいらした黒いマリア様もとてもインパクトがありました。
コパカバーナの場合はコンキスタドールに押し付けられたマリア像ではなく、キリスト教に帰依した現地の人達が、自分達の姿に似せたマリア像を作ったとのこと。
ボリビアでは、その昔は(もしかしたら今も)白人至上主義がまかり通り、肌の色が褐色であった現地の人達は、入植してきた白人たちが建てた教会には入れてもらえなかったそうです。
そこで、彼らが作ったのが、自分たちだけの礼拝堂。
そしてその中に居るマリア様は褐色の肌で、その躰にはアンデスの守護神であり大地の神であるピラコチャやパチャママが装飾されていました。
パッと見はマリア様っぽくはない像でしたが、その手には幼子キリストを抱き、やはり、その像はマリア像でした。
メキシコのグアダルーペは未だ行っていませんが、いつかは行きたいと思っています。
(先日の一連の地震の被害は大きかったようですね。大好きなメキシコなので、心配しています)
話は鶴岡からそれてしまいましたが、鶴岡の郷土料理の麦切り、麺好きの方ならばお勧めですよ。
夏は、独特のツルツルの喉越しと冷やしたタレに絡むモチモチ感が最高でした。
鶴岡に行くことがあれば、是非食べてみてくださいね。
ウェンディ
-
- 墨水さん 2017/09/26 21:54:38
- 褐色のマリア。
- ウエンディさん、今晩は。
キリストの死後、キリストの弟子達は迫害を畏れて散り散りに為ります。
この時、当時の新興国だったギリシャに行った者達が「ギリシャ正教会」を創りました。
南に行った者達が、褐色のマリアを創ったと言われてます。
中世に欧州は十字軍の遠征で、褐色のマリアの話を耳にしますが、十字軍はエルサレム到達で精一杯、南への遠征は不可能でした。
大航海時代の目的の一つが、褐色のマリアを発見することでした。
ここで、問題が一つ起こります。
ローマカトリック教会は、褐色のマリアをどう対応するかです。
十字軍遠征で、地中海を荒らし回った関係で、カトリックは敵が多い。(爆)
ローマカトリック教会からすると、褐色のマリアは敵か、はたまた味方か?。
喧々諤諤の議論を重ねて、結論出ず。(今日に、至る。笑)
当時のイエズス会は「否定派」です。
正当なのは「イエズス会」のみ、その他は邪教!の考え方。
教会(派閥)を認めてません、だから「褐色のマリア」とだけ謳ってます。
このマリア像が、此所に有る理由は、多分当初南米辺りに行く予定だったのを、むりやり(この場合、正当な手順を踏んでの)日本へ運んだと思われます。
墨水。
- ウェンディさん からの返信 2017/09/27 20:14:14
- RE: 褐色のマリア。
- 墨水さん こんばんは。
いつも勉強になる知識をありがとうございます。
前回に教えていただいた、日光東照宮で家康が神として祀られた経緯(一般人が神として祀られるための方法)も知らなかったので、とても勉強になりました。
大航海時代の目的の一つに、褐色のマリア像を発見するためだった…という事柄があったのですね。
墨水さんがご存知でしたら教えていただきたいのですが、仮に当時の欧州で力をつけていたカトリック側が褐色のマリア像を南方で見つけた場合、彼等はどんな対処をするつもりだったのでしょうか。
当時のイエズス会は褐色否定派だったので、肌の色の異なるマリア像は燃やすつもりだったのでしょうか。
でも、イエズス会はまだできたてホヤホヤの時期だったので、南方のキリスト教勢力と喧嘩するだけの力(兵力等)があったのか、微妙ですよね。
またイエズス会側が、褐色の肌だから…といって褐色のマリア様を排除していたら、キリスト生誕時に関わった東方の三賢者の一人であるバルタザールの存在をも否定することになる気もします。
そうなると自分達のバイブルである新約聖書(東方の三賢者の話が出てきたのは新約以降ですよね?)をも否定することになりかねないと思います。
鶴岡にいる褐色の肌のマリア様。
もともと南米に行くはずのマリア像が運命のいたずらで、日本に来ることになった・・・と言うのもなんだか歴史のいたずら心を感じますね。
欧州の山の中にはずっと昔から、褐色の肌い色のマリア様を信仰する地域が未だにあるとのこと。
褐色のマリア像にはまだまだ秘話が隠されていそうですね。
ウェンディ
- 墨水さん からの返信 2017/09/27 23:34:34
- RE: RE: 褐色のマリア。
- ウエンディさん、今晩は。
> 墨水さんがご存知でしたら教えていただきたいのですが、仮に当時の欧州で力をつけていたカトリック側が褐色のマリア像を南方で見つけた場合、彼等はどんな対処をするつもりだったのでしょうか。
当時のローマン派カトリック教会は、賛否両論です。(結論出ず。)
> 当時のイエズス会は褐色否定派だったので、肌の色の異なるマリア像は燃やすつもりだったのでしょうか。
> でも、イエズス会はまだできたてホヤホヤの時期だったので、南方のキリスト教勢力と喧嘩するだけの力(兵力等)があったのか、微妙ですよね。
イエズス会は、基本的に自分以外は完全否定が基本です。
ですから、ローマ教皇庁から破門されてます。
大航海時代=植民地支配=軍事的支配=国王の特権。
此所が味噌(笑)、船団=軍艦=国王の海軍。
イエズス会は、軍事力を有して無くても大丈夫です。
植民地から搾取をするが、さすがに同教(褐色のマリアの信徒達)から搾取するのは、聖書の教えに反するので躊躇してますが、イエズス会は完全否定派だったので、王侯貴族達に受けが良かった。
全員殺してしまえば、聖書の中の話だけが残りますよね。
ここが、イエズス会の凄い所。
(文化的破壊も、イエズス会の教義の一つです。)
だからアフリカで、欧州諸国が利権争いをしても問題なし。
スペインと英国が戦争しようが、オランダとフランスが戦争しようが、イエズス会的に問題なし。
勝った方が、正式なイエズス会!。
完全否定主義のイエズス会は、アフリカ、アジアと破壊と搾取の限りを尽くしていきます。
そのイエズス会が最もビビった相手が、織田信長。
織田信長には、脅しは通じません。(笑)
叡山焼き討ちは、明日は我が身と背筋が凍る思いでした。
> 欧州の山の中にはずっと昔から、褐色の肌い色のマリア様を信仰する地域が未だにあるとのこと。
> 褐色のマリア像にはまだまだ秘話が隠されていそうですね。
追跡されると、超大作の旅行記が出来ると思います。
墨水。
- ウェンディさん からの返信 2017/09/28 00:41:45
- RE: RE: RE: 褐色のマリア。
- 墨水さん、再び、こんばんは。
イエズス会の思考がよくわかる解説をありがとうございます。
ローマ・カトリックとイエズス会の考え方の違いがなんとなく理解できました。
そのイエズス会が最もビビった相手が、織田信長・・・と言う墨水さんのフレーズを読んで、昔に聞いた話・・・本能寺の変で明智光秀をそそのかしたのは、実はイエズス会だった・・・を思い出しました。
呼んだ当時は、まさか何故にイエズス会???と思いましたが、今になって思えばソレも可能性としてはあり得るかもと云う気がします。
信長殺害の裏にイエズス会あり…だなんて、歴史小説のネタになりそうですね。
今回は貴重なお話をありがとうございました♪
ウェンディ
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