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hirax.net::Keywords::「原発」のブログ



2012-02-11[n年前へ]

「2011年の貿易収支赤字」主要因は「原発停止による燃料量増加」ではありません 

 「貿易赤字」についてのニュースや記事を見て「違和感」を受けました。それは、たとえば、こういった「内容」です。

 財務省が25日発表した2011年の貿易統計(速報)によると、輸出額から輸入額を引いた貿易収支は2兆4927億円の赤字だった。貿易赤字は31年ぶりで、第2次石油危機で原油価格が高騰した1980年以来だ。東日本大震災や円高、タイの洪水で輸出が減る一方、原発停止に伴って火力発電燃料の輸入が急増した。

朝日新聞デジタル
 違和感を感じたのは、「原発停止に伴って火力発電燃料の輸入が急増した」という一文でした。「原発停止に伴って増加する」というとき、「増加する」ように思われるのは火力発電燃料の使用「量」です。しかし、貿易収支の話の中で、「火力発電燃料の輸入が急増した」となれば、その文がまず意味するだろうことは、「火力発電燃料の輸入”額”が増加した」という内容です。
輸入「額」=使用「量」×輸入単価
という関係はありつつも、決して輸入額と使用量はイコールの「量」ではありません。つまり、この「原発停止に伴って火力発電燃料の輸入が急増した」という一文は、前半と後半で「話題にしている量」がすり替わっているように感じられてしまうのです。

 そこで、「貿易赤字額」と「原油価格推移」をグラフにして眺めてみると、日本の輸入額の推移を決めているのは、原油・石油製品の輸入額変動であって、その原油・石油製品の輸入額変動は、(輸入「量」ではなく)原油価格変動であることが見えてきます。

 つまり、去年の日本の輸入額が増えた一番の要因は、「燃料の輸入量が増えた」ということでなく、「燃料の価格が上がった」からなのです。天然ガスの輸入量は増加していますが、そんな天然ガスでさえ、天然ガスの輸入”額”が増えている一番の要因は「単価の上昇」であるのです。(参考:「2011年の貿易赤字理由を知る」ために作るグラフ)。

 そんな風に、貿易にまつわる値を眺め・考えてみた後に、公開されている関連記事を読んでみると、みすほ総合研究所のレポートが、わかりやすく・参考になりそうに思えます。

 2011年の貿易収支が赤字に転じたのは、原油などの輸入価格上昇が主因。資源価格の動向が当面の貿易収支を左右。

みすほ総合研究所のレポート

 「2011年の貿易収支赤字」の主要因は原発停止に伴う燃料使用”量”増加ではないのです。電気供給で用いる”燃料”を価格が安定して安価なものにしたい(価格が大きく変動するものにはしたくない)と言うことはできるでしょう。しかし、原発を止めたから貿易赤字になった主張は間違っているのです。

「2011年の貿易収支赤字」の主要因は原発停止に伴う燃料使用量増加ではない






2012-03-09[n年前へ]

2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」 

 2011年3月1日から今日までの1年間に、私たちみんなの間で「人気記事」となった”原発”記事とコメントを、今一度読み直してみたくなり、はてなブックマークから全て引っ張ってみました。それが、2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」です。

 今から振り返れば、事故後3月12日に書かれた池田信夫氏やMIT研究者による記事などが、「間違っていた」ことや、ニュー速VIPブログ「放射能から身を守る方法」や元「東芝の原子力技術者が語る福島原発の現状」の「正しさ」が、今一度見えてきます。

 あるいは、地震の1週間前に書かれた(四国伊方原子力発電所の実験風景をひきつつ書かれた)いしだ壱成氏記事を読めば、その的確な指摘に考えさせられ、そして同時に、そこにつけられた私たちみんなが付けたブックマークコメントを読めば、「安全神話」を生み出し、今回の災害を生み出した「人の姿」も見えてきます。

 「今回の災害で得た多くの科学的データを生かし、こうした災害が起きないようにしたい」というような内容をどこかで読み、「それはそれで大事なのだろうが、それでは、防災のためにはあまり効果的でなさそうだ」と感じました。なぜなら、災害を生み出す量を決める一番のファクターは、科学・技術ではなく、他の何よりも「人」である、と思うからです。金融工学がいかに進もうと、バブルが繰り返し起きるように、科学技術がどれほど進もうと、主人公はやはり「人」なのです(正しい判断をしない「みんな」はいつも「バブル」を繰り返す)。

 「分数もできない大学生」のような"みんな"が行う判断は正しいと思いますか?
 分数ができても、みんなが正しい判断をするとは言えない。金融工学がいかに進もうと、バブルは繰り返す。

 未来に生かすべきは、他の何より「私たち自身つまり”人”がおかしがちな誤り」への振り返りなのではないかと思いつつ、今日眺め直してみたものが2011年3月1日から1年間の「”原発”記事とブックマーク」です。

2013-09-08[n年前へ]

福島第1原発「凍土遮水壁」の維持電気代は年間30億円…意外に安い?それとも高い!? 

 福島第1原発「凍土遮水壁」の維持電気代は年間30億円…意外に安い?それとも高い!?を書きました。

 「凍土遮水壁」の表面積1平方メートルあたり2.2Wの熱量が凍土遮水壁から出て行くことになる…といった計算を、約1400m×600mの区画を30mの深さまでの「壁」で囲うことを前提に行うと、全体で52万8千ワットが必要になるという計算になります。そして、東京電力の従量電灯B契約を見ると、1000Whあたり20円くらいです。そこで、1000Whあたり20円の代金で、52万8千ワットが1日24時間1年365日をまかなうために必要な電気代は、1年あたり(とても大雑把に)約30億円です。

 安倍総理のプレゼンテーション、"Fukushima let me assure you the situation is under control."という言葉を聞いた今日、福島第1原発「凍土遮水壁」の維持電気代は年間30億円…意外に安い?それとも高い!?を書きました。

■福島第1原発「凍土遮水壁」の維持電気代は年間30億円…意外に安い?それとも高い!? 






2013-11-19[n年前へ]

「安全・品質」のためにかける「コスト」 

 車の急加速事故に関する記事を読み、品質や安全性を上げるために「コストをどの程度費やす」ものだろうか?と考えました。何か「とても常識っぽいこと」「みんな常識的に知っているのだろう」というのようなことを、今日はふと考えました。

 品質や安全性を高めるための作業やコストを費やすと、(品質や安全性が上がる結果)問題が生じることにより失われる「損失の量」が単調に減少していく・・・という右上図に描くような関係が、(非常に単純化されてはいますが)よくありそうなモデルに思えます。こういったモデルで「どの程度のコストをかける」のが適切なのでしょうか?

 品質や安全性を上げるためにコストを掛けると「問題による損失」は低減していきますが、あまりにコストを掛けすぎると、(品質・安全性を高めるためのコストを全くかけなかった場合の)「問題による損失の最大量」を作業コストが上回ってしまいます。さすがに、これでは本末転倒でしょうから、いくら何でもそこまでコストを掛けるのはムダそうです。

 となると、「問題による損失」と「品質や安全性を上げるためのコスト」の和が最小になる状態というのが、「品質や安全性を上げるための適切なコスト量」ということになるのでしょう。そんな図(右図)を「品質や安全性を上げるためのコスト=x」「問題による損失と品質や安全性を上げるためのコストの和=g(x)」を描いてみると、つまりは、d g(x) / dx == 0 となるとき「問題による損失」と「品質や安全性を上げるためのコスト」の和が最小になり、それが最適コストなんだろう・・・というように見えてきます。

 d g(x) / dx == 0 ということは、「(作業量に応じた)問題による損失量=f(x)」とすると d f(x) / dx >= -1 ・・・つまり、単純に、「品質や安全性を上げるためのコスト」を掛けても「問題による損失の減少」がそれに値する程度でなくなってしまうということを言ってるに過ぎません。

 それでは、この「(作業量に応じた)問題による損失量=f(x)」の形状が未知だったらどうすれば良いのかとか、これらのグラフの縦軸に「生み出される価値」も足し合わせてみたらどうなるか・・・とかいったことを、あるいは、原子力発電やありとあらゆる工学の産物に関したことを、暇な時にラクガキスケッチでもして考えを巡らせたくなります。

「安全・品質」のためにかける「コスト」「安全・品質」のためにかける「コスト」「安全・品質」のためにかける「コスト」






2016-03-13[n年前へ]

「布団周りの温度変化」と「凍土遮水壁」の科学 

 掛け布団と毛布…上下の順番を決める「暖かく寝るための法則」ベッドルームで熱伝導を考える!?の計算をしてから、関連書籍や論文を色々眺めました。その中のひとつが、布文化の科学・十話―衣服学への誘いです。この書籍中で「興味深い」と感じたグラフが、右の(宮沢モリエほかの「家政学研究、 21, 99, 1974」のデータ、今の季節(春)に布団に入った後の各部分がどんな温度推移を辿ったか…というグラフです。

 気温20度の状態で、体温が36〜37度程度の人間が、(外気温と等しい温度の)布団の中に潜り込むと、およそ1時間ほどで掛け布団も敷き布団も体温に近い温度まで温められます。…そして、それだけでなく、敷き布団の下の床も、外気と体温の中間程度まで温められている(その温度まで床を上昇させる熱流束が、体から周囲へと流れている)ということです。つまり、とても大雑把に、そして単純に言えば、布団が敷かれた床のある程度の内部まで、ある程度温められて温度が高くなっている状態だということになります。

 これは、2011年から5年を経て、未だに続く福島第1原発「凍土遮水壁」のことを思い出させます。つまり、、原子炉建屋群の地下周囲に氷の壁を作ろうと地面を冷やしても、地球内部で天然放射性元素の放射性崩壊が生じさせる圧倒的な熱量とのシーソーゲームをせざるを得ない結果、凍土遮水壁を築くためには非常に広い範囲を冷やし続けなければならないし、そのためには経済的に見合うかどうかわからないコストを掛けなければいけないだろう…という計算です(参考:福島第1原発「凍土遮水壁」の維持電気代は年間30億円…意外に安い?それとも高い!?)。

「布団周りの温度変化」と「凍土遮水壁」の科学








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