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自由の平等
立岩真也
2001-2003
この連載は、加筆・修正し、そして序章をあらたに書き、2003年内に単行書として刊行される予定です→2004年1月に本になりました。加筆・修正は細かなものがほとんどですが、(ごくごく細かなものを入れ)何千箇所か変わっています。本の方をご覧いただければとありがたいです。→
『自由の平等』
◆2001/03/05「自由の平等・1」
『思想』
922(2001-3):54-82
◆2001/05/05「自由の平等・2」
『思想』
924(2001-5):108-134
◆2001/08/05「自由の平等・3」
『思想』
927(2001-8):98-125
◆2001/11/05「自由の平等・4」
『思想』
930(2001-11):101-127
◆2003/02/05「自由の平等・5」
『思想』
946(2003-02):95-122
◆2003/03/05「自由の平等・6」(最終回)
『思想』
947(2003-03):243-249
■毎回の目次
(1)
1 批判の批判
1 概要
2 「自由主義」による自由の剥奪
1 自由による自由の剥奪
2 所有の規則はそれを正当化しない
3 妨げられない自由/行なう自由?
4 自然の状態/制度による制約という区別、ではない
3 ゲームからは答はでない
1 ゲームにならない
2 結果を正当化できない
3 役に立つことはある
4 迷惑をかけない限り勝手であるという説の検討
1 「自然な感じ」?
2 危害を加えない?
3 身体の自由と所有の自由
5 もっともっともな論
1 帰属・表出
2 努力・苦労
3 寄与・貢献
2 批判の批判・2――嫉妬でしかない、について
1 つまりうらやましいのだと言われる
1 まじめにとりあうこともないかもしれないが
2 それでも言っておくべきこと=この章の概要 2 批判の批判・2――嫉妬でしかない、について
1 私ができることの否定の限界
2 だが私ができることのよさは自明ではない
3 私とできることをつなげてしまうもの
4 切り離し、私のためにできることがあるとする
5 できることもつことを肯定し分配を肯定する
6 他人ができることはよいことになる
3 さらに言われうることについて
1 他者を低めること?・際限がないこと?
2 固有性・多様性の破壊?
3 むしろ批判は自らを否定する
3 「根拠」について
1 自由のための贈与の強制
2 「根拠」、としての人間的なもの
3 自分のために、が届くところ
4 利他主義の困難
5 距離と普遍性について
6 「根拠」について・暫定的な答
7 中途半端さとつきあうこと
4 基準について
1 何を置くかという問題の問題
2 人により異なる→効用の平等→安価な/高価な嗜好
3 だから客観的なものを、という解でよいか?
4 多くを要求する人
5 つつましやかな人
6 総合評価について
7 比べること
8 基準について
5 リベラリズムについて
1 後に残すこと
2 答えが開く問い
3 本人/環境の分割という答とその出自
4 支払い失うものがある
5 格差はなくならない
6 収め所としての結果の平等
7 それは過程・機会が大切であることと矛盾しない
8 そして労働の機会が分配されることが支持される
6 リベラリズムについて・2
1 そこに起こっていること
2 決めること・選ぶことという案
3 もっと普通の答
4 世界にあるものの配置
5 私との関係、から再び社会の解析
3 「根拠」について
◆(3)に関連する引用
★ 「ロールズの格差原理および社会的共通資産観は、原初状態における社会契約ないし合意の結果であって、そこでは公正性の条件を保証するために、人々は自分が恵まれた地位にあるか不遇な地位にあるかの情報は排除されている。したがって個々人が自分の現実の地位に基づいて道徳原理に合意できないと主張することは筋違いである。それは道徳原理に対して要請される公正性の条件のもとでの発言ではないからである。」()
★ 「慣れとは、大方は、感覚の鈍磨という、障害者にとってはまた堪えがたい意味をもっているのであるが、しかし良い、悪いの意味をこめない尺度の移行は、慣れによって生じることは事実である。大事なことは、慣れとは、関係の取り結びだということであろう。障害者本人と、あるいは障害者とかけがえのない関係を結んでいる者との関係を、取り結べたとき、障害者に対する異和感は消失するし、想像、類推の力によって、ほかの障害者への異和感を軽減させることはできるのである。そして慣れの深さによっては、差異の事実はかえってはっきりと残され、ときにはそれをあげつらうこともできるようになる。」(最首[1980→1984:234-235])
★ 「ベイヤーの忠告に従えば、道徳教育者の使命は「なぜ私は道徳的でなければならないのか」という道徳的利己主義者の問いに答えることではなく、「どうして私は親戚でもない、不愉快な習慣を持つ、あかの他人のことを心配しなければならないのか」という、もっとしばしば発せられる問いに答えることだ、ということがわかるでしょう。後者の問いに対する伝統的な答えは、「親戚関係とか習慣とかいうものは道徳的に見て的はずれであり、同じ種の一員であるという認識から生ずる義務には関係ないことだから」というものでした。このような答えは説得力を持ったためしがありません。なぜなら、それは質問の論点を巧みにかわしているからです。単に同じ種の一員であるということが、本当により近しい親戚関係の代用になるのか、という疑問です。そのうえこの答えはニーチェの人の虚をつく反論に対してまったく無防御なのです。そのような普遍主義的な考えは奴隷の心にしか浮かばない、とニーチェは冷笑するでしょう。または、自分たちの自尊心と生活の糧が、神聖な、議論の余地のない、異論を受け付けないパラドックスを他人に受け入れさせることにかかっているインテリや聖職者の心をよぎるかもしれないと。
より妥当な答え方は、次のように始まる長い、悲しい、感情を揺さぶる種類の物語を語ることです。すなわち「家から遠く離れて、見知らぬ人のあいだにいる彼女の立場になってみると、現状はこのようなものなのだから」あるいは「彼女はあなたの義理の娘になる可能性もあるのだから」あるいは「彼女の母親が彼女のために嘆き悲しむだろうから。」」(Rorty[1993=1998:163-164])
◆(4)に関連する引用
「この問題は、固定化してしまった不平等や貧困を考える場合に、特に深刻なものとなる。すっかり困窮し切りつめた生活を強いられている人でも、そのように厳しい状態を受け入れてしまっている場合には、願望や成果の心理的尺度ではそれほどひどい生活を送っているようには見えないかもしれない。長年に亘って困窮した状態に置かれていると、その犠牲者はいつも嘆き続けることはしなくなり、小さな慈悲に大きな喜びを見出す努力をし、自分の願望を控えめな(現実的な)レベルにまで切り下げようとする。実際に、個人の力では変えることのできない逆境に置かれると、その犠牲者は、達成できないことを虚しく切望するよりは、達成可能な限られたものごとに願望を限定してしまうであろう。このように、たとえ十分に栄養が得られず、きちんとした服を着ることもできず、最小限の教育も受けられず、適度に雨風が防げる家にさえ住むことができないとしても、個人の困窮の度合いは個人の願望達成の尺度には現われないかもしれない。 固定化してしまった困窮の問題は、不平等を伴う多くのケースで、特に深刻である。このことは特に階級や共同体、カースト、ジェンダーなどの差別の問題に当てはまる。このような困窮の性質は、(p.77)重要な潜在能力に関して社会的に生じた差異に注目することによって明らかにすることができるが、もし潜在能力アプローチを効用の尺度で評価してしまうと、それらの点は明らかにできないだろう。潜在能力アプローチを補完するものとして古い順応主義に舞戻ってしまうことは、慢性的に剥奪されている者が望むことすら許されていない潜在能力を過小評価することになり、新しいアプローチから得たものを(少なくとも部分的には)奪い去ってしまうことになるだろう。潜在能力の評価は、これらの潜在能力から得られる効用を単純に合計することによっては行なうことができない。根の深い慢性的な不平等を扱う場合、二つのアプローチから生ずる差は、極めて大きなものになる。」(Sen[1992=1999:77-78])
「かりに幸福を求める機会の均等でなく、幸福の平等が目的であるとすれば、とてつもなく費用のかかる非現実的な目的を採用した人びとに、社会は巨額な基本財源を提供するようせまられるであろう。たとえばわたくしが、ひ弱なスポーツマンなのに、徒歩でエベレスト山頂にゆかなければ自分の人生は無価値であると信じるにいたったとしよう。それには、その登山旅行を可能とするために十分なシェルパやその他の支援の人びとを雇うのに、大量の資金を要するであろう。他方、幸福への機会の均等を求めることは、幸福をひきだす穏当な諸目的を選定する責任をわたくしに課すことになる。」(Roemer[1994=1997:24])
「かり(p.24)に、人びとが自由意志を働かせることがなく、すべての行為は個人の統御のおよばない諸要因に起因するのだとすれば、幸福への機会の均等は幸福の均等へと堕する。しかし、大部分の社会主義者もその他の人びとも、意志を発揮する領域はあるものだと信じており、それゆえまた「社会主義者が望むもの」のリストのどこにも機会という箇条を挿入しておくことが大切なのである。」(Roemer[1994=1997:24-25])
「手段は、究極的には何か他のものによって評価されるから、手段の評価をその目的から全く独立に行うことは容易ではない。ジョン・ローマー(Roemer 1996b)は、この関係を巧みに利用した数学的な帰結を導き、それを(彼の論文のタイトルのように)「資源の平等は厚生の平等を意味する」と解釈した。この結果は精巧な公理の集合に基づいているが、その背後にあるアイデアは、資源の価値をその資源が生み出すものから求めようとするところにある。資源は、それ自体で価値をつけられるものではないので、このような関係に目を付けるのはもっともなことである。最終的な目的が厚生だけであるようなモデルを作って、「資源の平等は厚生の平等を生み出さなければならない」というローマーの定理が導き出される。
資源の評価と厚生の評価との関係は、促進することが資源を評価する理由になる他の目的との関係と置き換えることができる。この興味ある結果の背景にある真の論点は、一般に手段の評価は目的の評価に依存しているということであって、特に資源と厚生が相互依存関係にあるということに限られるわけではない。」(Sen[1992=1999:124])。
ローマーの「批判の主張なポイントは、第一に、ドゥウォーキンの仮想的保険市場はそもそも「資源の平等」基準を設定するのに不適切なメカニズムではないか、というものであり、第二に、そもそも「資源の平等」基準は、ドゥウォーキンの言うように、本当に「厚生の平等」基準と相容れないないものだろうか、というものである。」(吉原[1999:167])
「センは、権利剥奪状況に対する反作用として形成されるような「安価な嗜好」をもつ人々に関心を向けている。安価な嗜好をもつ人々には、当人が受けとる資格があると予想するよりも多くの手当がなされることになるかもしれないけれども、機能に焦点をあてることは彼らを公正に扱うことに大いに役立つであろう。」(Roemer[1996=2001:220])
「わたしたちの社会には、きわめて長期間にわたってあまりにも乏しいものだけで生存を維持してこなければならなかったために、そのニーズが生命をようやく維持できる必要最低限度にまで萎縮してしまったような人びとがいる。かれらの期待水準を引き上げ、かれらがそれなしでやってきたものに目を向けさせることは間違っているだろうか。……かれらの生活水準を改善しようとするどんな政治も、おそらくかれらが自分ではっきりと表明しえないであろうニーズを代弁しなければならない。まさにこれこそが、なぜ政治はかくも危険な仕事(ビジネス)なのかという理由なのだ。変革に向けて多数を動員するためには、期待水準を引き上げ、今そこにある現実の限界を跳び越えるようなニーズを創りださなければならない。ニーズを創出することはすなわち不満を創出すること、さらには幻滅をよび寄せることにほかならない。それは人生と希望をもてあそぶことに等しい。このゲームにおける危険を避けるただひとつの防御手段は、納得ずくでの同意(インフォームド・コンセント)という民主的な要件である。およそ人は、自分が代表するその当人たちが自分自身のものとしてはっきりと承認できないようなニーズを代弁する権利など有してはいないのだ。
以上が、わたしが手はじめに提起した第一の問いであった。すなわち、見知らぬ他人たちのニーズを代弁することが正当なのはどういう場合なのか、という問いである。政治とは、たんに見知らぬ他人たちのニーズを代表する技というにとどまらない。それは、見知らぬ他人たちがこれまで自分ではっきりと表明する機会をもたないできたようなニーズに代わって語るという剣呑な仕事でもあるのだ。」(Ignatieff[1984=1999:19])
■文献(166点)→
本の文献表
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石川 准
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石川 准・倉本 智明 編 2002
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石川 准・長瀬 修 編 1999
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岩田 靖夫 1994 『倫理の復権――ロールズ・ソクラテス・レヴィナス』,岩波書店
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笠井 潔 1995 『国家民営論――「完全自由社会」をめざすアナルコ・キャピタリズム』,光文社
加藤 尚武・飯田 亘之 編 1988 『バイオエシックスの基礎――欧米の「生命倫理」論』,東海大学出版会
加藤 秀一
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川本 隆史
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川本 隆史 2000 「自己決定権と内発的義務――<生命圏の政治学>の手前で」『思想』908(2000-2):15-33
川本 隆史 編 1998 『共に生きる』(岩波新哲学講義6)岩波書店
――――― 2003 『ケアの社会倫理学――生命倫理の組み替えのために』,有斐閣(近刊)
川本 隆史・高橋 久一郎 編 2000 『応用倫理学の転換――二正面作戦のためのガイドライン』,ナカニシヤ出版
菊池 馨実 2000 『社会保障の法理念』有斐閣
北田 暁大 2001 「政治と/の哲学,そして正義――ローティの文化左翼批判を「真剣に受け止め」,そしてローティを埋葬する」馬場編[2001:39-76]
北本 潮 2003 「Incentive論の再検討――労働と所得の規範理論に向けて」,東北大学大学院文学研究科修士論文
小林 公 1991 『合理的選択と契約』,弘文堂 法哲学叢書4
小泉 義之 2000 『ドゥルーズの哲学』,講談社現代新書
Kukathas, Chandran & Pettit, Philip 1990
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桑原 真木子 2001 「優生学の展開と教育学の関係に関する歴史的研究――戦前日本の優生学の展開と教育学研究会に注目して」,日本教育社会学会第53回大会報告
松井 暁 1999 「社会システムの倫理学――所有・福祉・平等」,高増・松井編[1999:131-151]
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三重野 卓 2000 『「生活の質」と共生』,白桃書房
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見田 宗介 1996 『現代社会の理論――情報化・消費化社会の現在と未来』,岩波新書 [下]
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森岡 正博 1988 『生命学への招待』,勁草書房 [下]
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齊藤 純一 編 2003 『社会的連帯の理由』,ミネルヴァ書房(近刊)
Sandel, M. 1982
Liberalism and the Limits of Justice
, Cambridge University Press=1992 菊池理夫訳,『自由主義と正義の限界』三嶺書房
Scanlon, T. 1988 "The Significance of choice", S. McMurrin ed.
The Tanner Lectures on Human Values. Vol 8
, University of Utah Press
Sen, Amartya
1979 "Personal Utilities and Public Judgements: or What's Wrong with Welfare Economics?",
Economic Journal
89:537-558→Sen[1982=1989:168-194]
――――― 1980 "Equality of What ?" S. McMurrin ed.
The Tanner Lectures on Human Values
Vol.1, Univ. of Utah Press=1989 「なんの平等か?」,大庭健・川本隆史編訳『合理的な愚か者』,勁草書房
――――― 1982
Choice, Welfare and Measurement
, Basil Blackwell=1989 大庭健・川本隆史訳,『合理的な愚か者――経済学=倫理学的探究』(部分訳),勁草書房
――――― 1987
The Standard of Living
, Cambridge Univ. Press.
――――― 1992
Inequality Reexamined
, Oxford Univ. Press=19990715 池本幸生・野上裕・佐藤仁訳,『不平等の再検討――潜在能力と自由』,岩波書店,263+63p.,2600円+税 ※
――――― 1999
Development as Freedom
, Knopf=2000 石塚 雅彦訳,『自由と経済開発』,日本経済新聞社
重森 臣広 2002 「救貧法制の動揺とワークフェア構想――就労支援の三つの戦略」,宮本編[2002:185-214]
塩野谷 祐一 1984 『価値理論の構造』,東洋経済新報社
鈴村 興太郎 1999 「厚生経済学から福祉の経済学へ」,『経済セミナー』530(1999-3):20-24(特集:アマルティア・センの世界)
高増 明・松井 暁 編 1999 『アナリティカル・マルキシズム』,ナカニシヤ出版
竹内 章郎
1993 『「弱者」の哲学』,大月書店
――――― 1999 『現代平等論ガイド』、青木書店
田中 紗織 2002 「障害と道徳――身体環境への配慮」,2001年度千葉大学文学研究科人文科学専攻(価値分析論)修士論文*
立岩 真也 1994a 「夫は妻の家事労働にいくら払うか――家族/市場/国家の境界を考察するための準備」,『千葉大学文学部人文研究』23 [下]
――――― 1994b 「労働の購入者は性差別から利益を得ていない」,『Sociology Today』5 [下]
――――― 1995 「私が決め,社会が支える,のを当事者が支える――介助システム論」,安積純子他[1995:227-265] [下]
立岩 真也 1995 「何が性の商品化に抵抗するのか」,江原編[1995:207-235]
――――― 1997
『私的所有論』
,勁草書房
――――― 1998 「都合のよい死・屈辱による死――「安楽死」について」,『仏教』42:85-93→立岩[2000d:51-63]
――――― 1998 「一九七〇年」,『現代思想』26-2(1998-2):216-233(特集:身体障害者)→立岩[2000e:85-116]
――――― 1998 「空虚な〜堅い〜緩い・自己決定」,『現代思想』26-7(1998-7):57-75(特集:自己決定権)→立岩[2000e:11-47]
――――― 1998 「「そんなので決めないでくれ」と言う――死の自己決定,代理決定について」(インタヴュー),『ヒポクラテス』2-5(1998-8):26-31→立岩[2000e:63-84]
――――― 1998 「未知による連帯の限界――遺伝子検査と保険」,『現代思想』26-9(1998-9):184-197(特集:遺伝子操作)→立岩[2000e:195-218]
――――― 1998 「分配する最小国家の可能性について」,『社会学評論』49-3(195):426-445(特集:福祉国家と福祉社会)
――――― 1999 「遺伝子の技術と社会――限界が示す問いと可能性が開く問い」,『科学』1999-03(800号記念特集号・いま,科学の何が問われているのか)→「生命の科学・技術と社会:覚え書き」,立岩[2000e:173-194](大幅に加筆)
――――― 1999 「自己決定する自立――なにより,でないが,とても,大切なもの」,石川・長瀬編[1999:79-107]
――――― 1999 「子どもと自己決定・自律――パターナリズムも自己決定と同郷でありうる,けれども」,後藤編[1999:21-44]
――――― 2000a 「選好・生産・国境――分配の制約について」(上・下),『思想』908(2000-2):65-88,909(2000-3):122-149
――――― 2000b 「遠離・遭遇――介助について」(1〜4),『現代思想』28-4(2000-3):155-179,28-5(2000-4):28-38,28-6(2000-5):231-243,28-7(2000-6):252-277→立岩[2000e:219-353]
――――― 2000c 「「能力主義」という差別」,『仏教』50:55-61(特集:差別の構造)
――――― 2000d 「死の決定について」,大庭・鷲田編[2000:149-171]
――――― 2000e
『弱くある自由へ』
,青土社
――――― 2000f 「所有」,『政治学事典』,弘文堂:514-515
――――― 20001120 「多元性という曖昧なもの」,
『社会政策研究』
1:118-139 ――――― 2001 「なおすことについて」,野口・大村編[2001:171-196]
――――― 2001 「国家と国境について」(1〜3)『環』5:153-164,6:153-161,7::286-295
――――― 2001 「停滞する資本主義のために――の準備」、栗原彬・佐藤学・小森陽一・吉見俊哉編
『文化の市場:交通する』(越境する知・5)
、東京大学出版会
――――― 20011110 「常識と脱・非常識の社会学」,安立・杉岡[2001]
――――― 20011201 「所有と流通の様式の変更」,『科学』71-12(832):1543-1546
――――― 20011225 「できない・と・はたらけない――障害者の労働と雇用の基本問題」,『季刊社会保障研究』37-3:208-217*
――――― 2002- 「生存の争い―医療の現代史のために」(1〜),『現代思想』30-2(2002-4):150-170,30-5(2002-4):51-61,30-7(2002-6):41-56,30-10(2002-8):247-261,30-11(2002-9):238-253,30-12(2002-10):54-68,30-13(2002-11):268-277,30-15(2002-12):208-215,31-1
――――― 2002a 「分配的正義論――要約と課題」,『季刊社会保障研究』38-2:112-119*
――――― 2002 「パターナリズムについて――覚え書き」,『法社会学誌』(日本法社会学会) ――――― 2002 「ないにこしたことはない、か・1」、石川・倉本編[2002](近刊)
――――― 2003 「<ジェンダー論>中級問題」(1〜),『環』12:243-249(特集:近代化の中の「ジェンダー」),13
――――― 2003a 「分配的正義論――要約と課題」,山口編[2003]
――――― 2003 「社会的分配の理由」,齊藤編[2003]
――――― 2003 「パターナリズムについて――覚え書き」(仮題),川本編[2003]
渡辺 幹雄 2000 『ロールズ正義の行方 増補新装版』,春秋社
――――― 2001 『ロールズ正義論再説――その問題と変遷の各論的考察』,春秋社
Wolfe, Christopher 1994 「ドォウォーキンの平等主義的自由主義」,Wolfe ; Hittinger eds.[1994=1999:46-74]
Wolfe, Christopher & Hittinger, John eds. 1994
Liberalism at the Crossroads
, Rowman & Littlefield=1999 菊池理夫・石川晃司・有賀誠・向山恭一訳,『岐路に立つ自由主義――現代自由主義理論とその批判』,ナカニシヤ出版
Wolff, Jonathan 1991
Nozick : Property, Justice and Minimal State
, Basil Blackwell=1994 森村進・森村たまき訳,『ノージック――所有・正義・最小国家』,勁草書房
山口 定 編 2003 『新しい公共性を求めて』,有斐閣
山森 亮
2000 「貧困・社会政策・絶対性」,川本・高橋編[2000:140-162]
山根 純佳 2003 「リベラリズムの臨界――中絶の自己決定権をめぐって」,『思想』947(2003-3)
吉原 直毅 1999 「分配的正義の理論への数理経済学的アプローチ」,高増・松井編[1999:152-175]
吉本 隆明
1978 『論註と喩』、言叢社
REV:20020905,1210,20030204,09,13,0811
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『自由の平等』
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立岩 真也
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