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2015.02.27

在日韓国・朝鮮人の戦後史――「特別永住資格」の歴史的経緯とは

田中宏×鄭栄桓×荻上チキ

社会 #荻上チキ Session-22#在日特権#特別永住資格

在日韓国・朝鮮人の排斥を訴え、人種差別的な街頭宣伝やネットでの書き込みを行うヘイトスピーチが問題になっている。ヘイトスピーチ的な言説において、しばしば在日韓国・朝鮮人は「不当に特別な権利を持っている」という主張がなされ、その代表例として「特別永住資格」が挙げられる。いったい、「特別永住資格」はどのようにできたものなのか。その歴史的制度に迫る。 TBSラジオ・Session-22「在日韓国・朝鮮人の戦後史」より抄録。

■ 荻上チキ・Session22とは

TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホームページはこちら → http://www.tbsradio.jp/ss954/

在日韓国人という外国人を特別扱いしない

維新の党橋下共同代表は、特別永住資格を「特権」と非難する「在日特権を許さない市民の会」(在特会)の桜井誠会長と面会をしたのち、2014年10月21日、次のような発言を行った。

歴史的な経緯等踏まえてね、特別永住者制度というものが設けられたと考えていますので、これはもう根底から、根こそぎ、その制度がつくられた時点から否定するのは違うと思いますけれど。ただ、同和対策事業と同じようにね、ある一定の年数が経って来た時に、やっぱりね、特別扱いするということはかえって差別を生むんですよ。だから、しっかりと時間をかけ、ある程度の時間を置いた上でね、ぼくはもう、今、日本と韓国というものは主権国家どうしの関係になっていると思ってますから。主権国家のね、独立した国家と国家の関係になっていると思うので、在日韓国人の皆さんにもね。まぁあとどれくらいの期間なのかということは、これから、維新の党や政治家、国会議員とみんな議論しなければいけませんけども、もう在日韓国人という外国人を特別扱いするのではなくて、通常の外国人と同じようにしてですね、永住者制度のほうに一本化していくと、ということは必要になるかと思います。(動画:2014年10月21日(火)橋下徹市長登庁会見https://www.youtube.com/watch?v=CTpNllYYq9w  07:43~08:52部分 )

日本における外国人

荻上 ゲストをご紹介いたします。在日外国人の現状や法制度に詳しい一橋大学名誉教授の田中宏さんです。田中さんは岩波新書から『在日外国人』という新書を出されています。現在は第三版となっていますね。

田中 初版が91年でしたが、どんどん状況が変わっていくので、中身もそのたびに変えています。

荻上 ご自身が留学生と接していく中で、法や制度のみならず、外国人に対する偏見などがあることを思い知らされた体験を綴っておられますね。

田中 留学生相手の仕事をしているときに、日本で外国人がどのような立場に置かれているのか、しみじみ感じました。

ベトナムの学生が、「日本人はシャイだから字で書く時は『外の国の人』と書くけども、内心では『国に害になる人』で『害国人』だと思っているんじゃないか」と言われてドキッとしたんです。つまり、日本国にとって自分達は害になると思われているのではと。

当時は、外国人登録証に指紋が押してあるものを、いつも持ち歩かなければいけませんでした。指紋は犯罪と結びつくわけですから、自分たちは犯罪予備軍だと思われているのではないかと。その言葉は今でも覚えていますね。

荻上 日常のきっかけから、歴史的な経緯や事実を踏まえながらお書きになった本なんですね。

また、在日朝鮮人の歴史がご専門で、明治学院大学教養教育センター准教授の鄭栄桓さんにも参加していただきます。ご専門は「在日朝鮮人の歴史」ということですが、「在日韓国人」と「在日朝鮮人」は違うのでしょうか。

 同じです。私は日本の朝鮮植民地支配の結果、日本に渡り暮らすことになった朝鮮民族全体を指す言葉として「在日朝鮮人」という言葉を使っています。誤解している人が多いですが、朝鮮民主主義人民共和国出身の在日朝鮮人と、大韓民国出身の在日韓国人という異なるグループの人々がいるわけではありません。地域でみるとそのほとんどは朝鮮南部の出身です。韓国人と朝鮮人という民族的に異なるグループがあるというわけではありません。

優遇されている!?

荻上 さて、在日特権を許さない市民の会(在特会)が、2014年、橋下共同代表(当時)と「会談(?)」を行うという動きがありましたよね。田中さんはどのように感じられましたか。

田中 「在日特権を許さない市民の会」という名称を聞いた時、沖縄にいるアメリカ兵の横暴を批判するグループかと思ってしまったんです。一番特権を持っているのはアメリカ兵なのでは、と感じていました。ですが、活動を見ているととんでもない誤解で、在日朝鮮人は「出ていけ」「死ね」といったヘイトスピーチを繰り返している。

彼らの言っている事を見ると、歴史には無頓着で、思い付きで言っているように思います。それが、ネット上でウケて騒がれているのが現状で、非常に問題だと思います。

荻上 在日特権について、ネット上で流言が広がりましたよね。はじめは「日本人と比べて」優遇されていると主張していましたが、今は「他の外国人と比べて」にトーンダウンしている一面もあります。鄭さんはどう感じられましたか。

 「在日特権」という言葉を用いる排外主義者たちの歪んだ認識の背後には、日本国民と外国人の間に権利の差があることは当然である、という感覚があります。なのに、外国人の中であの集団だけが優遇されている。これは「特権」に決まっている。という理屈なんですね。この「特権」という言葉の使い方自体が非常に奇妙で、理解に苦しんでしまいます。

たとえば、「特別永住者」の資格について「特権」と言われることがあります。私自身も特別永住者ですが、実際にこれが「権利」なのかと言われると実際にはそのような扱いを受けることはできていません。あくまで「許可」であって、強制退去の対象にもなりますし、再入国許可の対象にもなります。

荻上 再入国許可とはなんでしょうか。

 日本にいる外国人が出国する際には、在留資格を継続するために、再入国許可を得る必要があります。再入国許可を取らずに外国に出ると、在留資格を失ってしまうんです。

荻上 「特別永住」とは言いながらも、外国に行って戻ってくるには、手続きが必要だという事ですね。国外退去の対象にもなってしまうのでしょうか。

 他の永住許可の外国人に比べれば、適用される条項が少ないのは事実です。しかし、内乱の罪などに関連した場合は強制退去、つまり強制送還になる可能性が残っています。

荻上 「強制送還」と言われても、日本で生まれた在日朝鮮人の方はどこに送還される事になるのでしょうか。

 たとえば、韓国籍者の場合、韓国に送られることになるでしょう。しかし、韓国政府は受け取りを拒否するでしょう。さらに、私の場合は韓国籍者ですらなく、朝鮮籍のままなので、どこに行くのか、私も分かりません。

現在の「特別永住」ですら様々な不便な思いを日常的にしているわけです。その「特別永住」すらなくしてしまえ、という声には到底賛同できません。

日本人? 外国人?

荻上 さて、ここから、「特別永住資格」の歴史的経緯について伺っていきたいと思います。「特別永住資格」はどのような背景で生まれたのでしょうか。

田中 朝鮮はかつて日本の植民地でした。台湾人や朝鮮人は日本の内地でも、建前は「帝国臣民」として扱われていました。

それが、「外国人」になってしまったのは、講和条約の発効日である1952年の4月28日です。これは、占領軍がいなくなって日本が主権を回復した日。その時に日本国籍が無くなり、外国人になったというのが、正式な日本政府の見解です。

「外国人」って普通は外から入って来るものですよね。留学生や、観光客、新聞記者、などパスポートを持って日本にやってきます。ところが60万の在日朝鮮人が1952年4月28日に突然外国人になるわけです。入国を経ずして外国人になった、文字通り「特殊」な外国人と言えます。植民地支配に起因する、他の外国人と違った存在なんですね。

もう一点、重要なのは、日本の国籍法が血統主義を採用している点です。アメリカだといわゆる出生地主義ですから、アメリカで生まれた子供は両親とも外国人でも日本流に言えばアメリカ国民です。だからアメリカには二世の外国人はいません。二世は全員アメリカ国民だからです。

ところが日本の場合、外国人はいつまでも外国人ということになっています。子々孫々、未来永劫に。なので、国籍について独自の課題を日本は持つことになります。

 朝鮮半島から域外への移動は19世紀の半ばに始まりますが、当初の移動先はロシアの沿海州や中国東北部でした。しかし、日朝修好条規の締結から日清・日露戦争をへて日本人商人の進出や植民、軍事的介入が強まると、日本資本の朝鮮人の労働者募集が行われることになります。日本の朝鮮侵略過程と朝鮮人の渡日と労働には密接な関係がありました。第一次世界大戦期には、こうした労働目的の渡日者数がさらに増えることになります。

渡日した朝鮮人たちは、はじめは男性中心だったのですが、1920年代から30年代にかけて家族を呼び寄せることで人数が増え社会が形成されていきます。そこに日中戦争後の強制連行、総動員体制があり、更に日本の朝鮮人の数が増えることになりました。1945年の段階で200万人を超える朝鮮人が日本にいたといわれています。

そして、日本が戦争に敗北すると150万前後の人たちが朝鮮半島に帰っていきました。当時の調査を見ると、残りの人たちも多くが帰国を希望していました。しかし、日本での在留が長くなっていますから、向こうに生活基盤も無い人もいます。持ち出せる財産にも制限がありました。このためすぐには帰れず、日本で暮らす人も出てきます。

先ほど52年の4月に国籍の喪失措置を取られるという話がありましたけど、実は「外国人」としての扱いそのものは、もっと早くから始まっています。それが1947年5月2日、日本国憲法施行の前の日ですね。

荻上 明治憲法最後の日。

 そうです。その日に天皇最後の勅令として、外国人登録令が出ます。外国人登録令は戦後日本の出入国管理法制のはじまりに位置する法令です。外国人の登録や証明書の常時携帯・提示義務、違反した際の罰則などを定めたもので、後に外国人登録法となり、悪名高い指紋押捺制度が導入されます。

この外国人登録令では、朝鮮人と台湾人については第十一条で同令適用に限り「外国人とみなす」とされました。ここには一見矛盾があります。当時の日本政府は、無条件降伏直後より、朝鮮人や台湾人は講和条約発効までは日本の「臣民」だという解釈を採っていたからです。にもかかわらず、外国人登録令に限っては「外国人」として扱われました。

荻上 「臣民」だけど「外国人」であると。不思議ですね。なぜ、そのような扱いになっていたのでしょうか。

 日本が敗戦したことは、朝鮮民族にとっては植民地支配からの解放でした。在日朝鮮人たちも「自分たちは解放民族だ」と主張します。ポツダム宣言とカイロ宣言を前提とした要求です。戦時体制下において朝鮮人をがんじがらめにしていた支配と弾圧の治安体制から解き放たれたいと願うのです。

これは一般に考えられているように、乱暴で無法な振る舞いを正当化したいからではありません。未払い賃金の支払いや帰還を実現するために朝鮮人団体は自治を求め、治安維持については連合国の法に従うことを要求したわけです。

しかし、日本としては戦時体制期のような取り締まりを続けたい。炭坑や軍需産業における朝鮮人や中国人の労働争議に対抗したい。こう考えるわけです。このため朝鮮人側の「解放民族」としての主張を否定しようとします。朝鮮の主権は講和条約発効までは日本のもとにある、よってそれまで「朝鮮人は日本国民だ」という解釈を取るんです。

ですが、1947年5月3日には新憲法が施行されます。日本政府としてはこの朝鮮人たちに日本国憲法上の権利を与えたくないと考える。当時、1945年から帰還が進んでいましたが、46年には、朝鮮半島から日本に戻ってくる人も出てきました。この往来を取り締まりたいとも考えるわけです。

そのため外国人登録令に限り適用し「外国人」として強制退去や登録を義務付けることになります。居住権とか在留権が不安定な状態におかれますので、事実上日本国憲法上の居住・移転の権利を否定できることになる。ただ5月3日をまたぐと、国会を通さなければならなくなる。その前に何とか勅令の形式で通したいわけです。「最後の勅令」としての外国人登録令は、こうして生まれることになりました。

荻上 権利を付与することに、抵抗感を示した結果、「外国人」の線引きを設けたのですね。

田中 戦前あった参政権も停止をもくろんでいました。45年12月に衆議院議員選挙法が変わります。一般的には婦人に参政権を付与したことで有名な法改正です。戦前、選挙権や被選挙権を女性は持っていませんでした。ですが、マッカーサーの鶴の一声で、婦人参政権付与をやらざるを得ない。

そこで法改正をするのですが、そこには旧植民地出身者の参政権は当分の間止めるという旨が法律に書かかれたんです。以前は、同じ帝国臣民ですから、内地にいる限り選挙はちゃんと出来ていた。「外国人登録をしろ」と、「選挙はさせない」とがセットになっているんです。建前としては日本国籍があることにしないといけないので、当分の間、参政権を停止する、という書き方をしています。

荻上 「当分の間」っていうのは、当時はどのくらいを想定していたんでしょうかね。

田中 日本の法律では時々「当分の間」という言い方をします(笑)。後で考えると、講和条約が発効する1952年なのかもしれません。ですが、「当分の間」という言葉には、明確な基準が定められていません。

荻上 とにかく「今じゃないよ」っていう事なんでしょうね。47年5月の段階で外国人扱いされていき、52年の段階ではもう完全に日本国民としても見なされなくなってしまったというわけですか。【次ページに続く】

国籍はどこに?

 ただ「植民地期には日本国民とみなされていた」という理解についても、いくつかの註釈が必要です。植民地時代は日本人と朝鮮人は同じに扱われていた、つまり同権だったが、52年以降外国人になって権利がなくなってしまった、という誤解があるからです。実際には「同権」などでは全くありませんでした。

確かに日本は植民地統治に際して「一視同仁」を謳い、戦時期には「内鮮一体」を叫びましたが、これはあくまで同じ「天皇の臣民」であるということを意味するに過ぎません。「内地」つまり日本と、朝鮮や台湾など植民地の「臣民」の「権利」には明確な格差がありました。そもそも帝国憲法自体、植民地には施行されていません。

戦後の出入国管理との関連でみると、例えば戦前でも朝鮮から日本に朝鮮人が来るのは、同じ「臣民」であっても全く自由ではありませんでした。朝鮮から日本への渡航については厳格な管理制度を朝鮮総督府の警察が敷いていました。事実上の入国管理といえます。一方、日本人が朝鮮に行くのは日露戦争以降は自由ですから、どんどん植民していけます。また、日本の内地にいる朝鮮人が強制送還の対象にもなります。昭和恐慌の時期には労働力需給の関係で朝鮮人を集団的に強制送還させる、という話すら出てきます。

同じ「帝国臣民」であるということは、内地と植民地の「臣民」間に法の下の平等が保障されることを意味するわけではないのです。しかも強制送還は警察が完全に恣意的な行政権力の発動としてやっているわけです。その時の名目は「朝鮮人を保護するため」です。朝鮮人のためを思って日本に行かせないんだ、だって失業したら困るでしょ、と。まあこういう理屈になっていくわけですね。

このような大日本帝国のもとで作られた在留権を好き勝手できる状況を、戦後の日本国憲法体制の下でも続ける。その役割を外国人登録令は果たしたのです。なので私は同じ「臣民」だったのに、「外国人」になって無権利状態になった、という言い方には植民地支配についての無理解があると思いますし、何より戦前-戦後の連続を見落としてしまう問題があると思います。

荻上 連綿と繋がっているんですね。日本人も、朝鮮人も「臣民」と同じように言っていたけれど、実際は違った扱いをされていた。そして、1952年で「臣民」という形式も喪失してしまい「外国人」になってしまう。その後の動きはどうなるのでしょうか。

 1952年の日本国籍喪失で「外国人」になったとしばしばいわれます。ここにも、留意すべき点があります。本当に朝鮮人は「外国人」になったのでしょうか。確かに日本法上はそうです。日本の法では「外国人」は日本国籍を有しない者を指します。では、その人々は「何国人」になるのか。

日本は日韓会談をやっている最中ですから、まだ韓国政府を承認していない状態です。朝鮮民主主義人民共和国政府に至っては今でも承認していない。つまり、在日朝鮮人は、居住国の政府が国籍国を承認していない段階で日本国籍だけ喪失します。このため事実上無国籍状態においやられてしまう。事務取扱上は韓国籍は国籍として扱われることになりますが、当時は朝鮮籍者の方がはるかに多いので、多くの朝鮮人はただ国籍がなくなった、という状態になってしまう。

荻上 その時、日本政府はどうしたんですか。

 とりあえずの対応として、講和条約発効の日までに生まれた人については「法126-2-6」と呼ばれる「在留の資格」を許可することになります。出入国管理令の「在留資格」ではないので「の」が入るわけです。日本の戦後の入管法令は基本的にアメリカの出入国管理法令をモデルに作っています。制度が想定するのは、パスポートを持ってVISAの発給を受けて入ってくる外国人です。ですが、1952年段階で日本にいる外国人の9割は旧植民地出身者ですから、制度が想定していない者を対象に、入管法令を使う必要が出てきます。戦後入管法令の場合、合法的に日本で在留するには外国人は必ず在留資格がなければなりません。

ですが、60万人もの人に在留資格の審査をするのは困難です。ですので、新しい法律を作るまでのあいだ、「当分の間」在留できるように、「法126」と呼ばれる法律のなかに、旧植民地出身者の「在留の資格」に関する規定を作ります。正しくは法律第126号「ポツダム宣言の受諾に伴い発する命令に関する件に基づく外務省関係諸命令の措置に関する法律」ですが、長いので法律番号で略称し呼ばれています。法律第126号の第2条第6項に規定されている「在留の資格」なので、「法126-2-6」といわれるわけです。

一方で国籍法の手続きに従った日本国籍取得、つまり「帰化」も制限します。近年公開された日韓会談文書をみると、朝鮮人をいつでも強制送還させられる状態に留めておくことが望ましいから、国籍法上は「帰化」が許可される人は多いだろうがそれを制限する配慮が必要だとの認識を入管当局はかなり赤裸々に示しています。

グレーな在留状況に留め置いたのは制度上の問題というよりも、こうした朝鮮人の不安定な在留状況自体を自らの利益と考える発想が影響していると思います。

荻上 つまり、形をどうするかはまだ決まっていない。けれども、当分の間は住んで良いと許可を出した。この状態は国交回復まで続くという事なんですか。

 韓国籍の場合はそうですね。

田中 植民地が分離独立する際の住民の国籍問題は、日本だけが抱えていたわけではありません。たとえば、日本のかつての同盟国ドイツも敗戦の結果、植民地だったオーストリアの独立を経験します。そこでドイツは、独立する前の日にドイツ国籍を全て消滅させます。ただし、ドイツに住んでいる人には、新しい独立国の国籍か、ドイツの国籍か、それぞれが選べるようにしたんです。

一方で、日本の場合は、選択させることなく、全部「外国人」にしてしまいました。日本にいる朝鮮人で日本の国籍を取りたい方もいるわけですから、当然帰化の申請をします。その決定権は日本の法務大臣が持っています。独立国の人々が決定権を持っているドイツと、日本側が決定権を持っている日本では、全然違いますよね。

「特別」ってなんだろう?

 先ほど「法126」について「講和条約発効の日までに生まれた人については」許可されたといいました。つまり1952年4月28日以前に生まれた人は「法126-2-6」の資格が許可され、在留期間の定めがありません。

しかし、この枠にすら入れない人々もいました。ひとつは日本の降伏をまたいで日・朝間を往来した人です。この資格は降服文書の調印、つまり45年9月2日以前から引き続き日本の内地に居続けることを条件としています。しかし、在日朝鮮人の少なくない人々は戦時期末期に朝鮮へと疎開・避難しました。無条件降伏となり日本へとまた戻った人はこの条件から除外されます。こうした降服文書調印後の渡航者の地位は、生活実態としては他の在日朝鮮人と変わらない場合であっても全く別扱いで、今でも特別永住からは除外されています。植民地支配への反省から在留権を保障するという発想に立つならば、同じ歴史的経緯を持つこうした人々の権利も保障されるべきです。

もう一つは、52年4月29日以後に生まれた人々です。この人々も「法126-2-6」の資格の対象にはなりません。この人々は「法126の子」と呼ばれますが、在留期間は3年と定められました。つまり親とは異なり、この人々は3年毎に「日本にいていいですか」と許可をもらって生きていく必要が生じるわけです。こうした「子孫の法的地位」の問題は、その後の日韓交渉で非常に重要な論点となりますが、完全には解決されませんでした。

田中 それ以降下の子孫の法的地位をどうするのかについては、日韓法的地位協定施行の1965年から25年後の1991年までに、日韓で話し合いをすることになっていました。

そして、1991年に、日韓の外務大臣の間で「覚書」が交わされ、それ以降の子孫については「特別永住」という資格を認めることになりました。子々孫々に亘って定住を認めるという形で、法的地位協定でのペンディングになっていた部分が一応クリアされたというわけです。

荻上 ここで、やっと「特別永住資格」を得ることができたのですね。

 それまでバラバラだった旧植民地出身者の在留資格を一定程度一本化したと言えます。ちなみに、これは「権利」ではなく「特別永住資格」です。当時、在日朝鮮人団体は永住の権利を求めましたが、結局は日本政府は権利としては認めませんでした。

荻上 先日の橋下徹共同代表(当時)の発言の中では、特別永住について「見直す時期に来ている」「国籍を選んでもらう」という話が出ていましたよね。どうお感じになられましたか。

 91年の入管特例法により設けられた特別永住の新しさは、世代を区切らず代々永住許可が継承されていくところにあります。この制度が作られた背景には、旧植民地出身者が「定住外国人」として生きていくことを求める当事者たちの強い声があったわけです。現行の制度には様々な問題が残っていますが、橋下代表の発言はむしろ制度の問題点をさらに大きくし、むしろ当事者たちの声がわずかながら反映された箇所を除去してしまおうとする制度改悪の提案です。「時間が経ったから考え直そう」というのはその趣旨を全く理解していない発言です。

荻上 ベースにして考えて行くための法律だったんですよね。メールをリスナーからいただいています。

『”特別”と付いているから「在日コリアンだけに何故特権が!」という誤解が生まれているんでしょうか』

「特別」という言葉だけから判断して、そういった反応が出てきてしまう人もいるのでしょうね。しかし、重要なのはあくまでも「資格」であって、イニシアティブは政府の側にある、と。

 そうですね。日本政府は91年以前はとにかく子々孫々永住許可が継承されることを防ごうとしてきました。1965年の日韓協定締結に伴い韓国籍者に限り協定永住が、朝鮮籍者の場合は1982年に特例永住が認められますが、その時も子孫に関しては定めなかったのです。

この背景には外国人を「一時的にしか日本にいない存在」と扱いたいという発想があります。外国人のまま、民族性を維持したまま、ずっと居ついてしまったら困るという発想で制度がつくられています。いずれは帰国するか、或いは日本にずっといたいなら帰化しろというわけです。このため、民族教育の発想も出てきません。むしろ戦後日本の出入国管理制度は一貫して世代を追うごとに在留が不安定化するように設計されてきました。

田中 また、在特会は、「在日朝鮮人は掛け金も払っていないのに、年金相当の福祉給付金を取っている。それが特権だ。」と言っています。

そもそも、外国人には国民年金法が適用されていませんでした。ベトナム戦争後の難民受け入れを機に、日本が難民条約・国際人権規約を批准していく中で、国民年金や児童手当、公営住宅など、国内外人平等になるように整備されていきます。

ですが、国民年金は25年掛けないと国から年金が支給されません。ですから、ある年齢以上の外国人は、年金が支給されないことになってしまいます。本来は、それを防ぐ手当てをしないといけませんが、何もしていないので、無年金になってしまいました。

在特会の言い分は、これらの歴史的背景を全く無視して、福祉給付金が月1万円ほど出ている自治体を捕まえて攻撃しています。真に内外人平等を達成するためには、無年金者が出ないように手当しなければいけません。不当にもらっていると「特権」扱いするのは無知にもほどがあります。【次ページに続く】

「帰化」を巡って

荻上 次は、帰化についてお話を伺いたいと思います。「嫌なら、帰化すればいいじゃん」という意見もよく聞かれます。どう思われますか。

 他のマイノリティと比べた場合、在日朝鮮人の特徴は2つあると思います。一つは、朝鮮半島に母国があること。もう一つは、日本という旧宗主国に住んでいることです。

確かに日本の場合、制度的に血統主義で日本国籍が出生によって取得出来ないという背景も勿論あります。ですが、同時に朝鮮人側の主体的な意見として、解放後長らく、自分たちは新しい国の国籍を取りたい、それを認めて欲しいと願う人が多かったのです。ただ、同時に植民地期に無理矢理拡大された日本と朝鮮をまたぐ生活圏があって、その中で自分たちの在留権はしっかり保障したいという要求があった。在日朝鮮人運動の基本的な主張はこうしたものでした。なので、自国の国籍をちゃんと守っていきたい、同時に在留権を保証したいという動きが存在したと言えます。

荻上 なるほど。ここでメールを紹介します。

『外国人が帰化するのはすごいハードルの高い事なんでしょうか。また例えば総連や民団などその在日社会のコミュニティがそれを許さないんでしょうか』

 統計的に見ると、ここ十何年の帰化許可者数は増えています。また、「総連や民団が帰化した人を許さない」というのは誤解があります。両者とも日本国籍を持っている人をメンバーとして認めています。むしろ日本国籍でありながら、自らが朝鮮民族であることを示そうとすることへの日本社会の無理解や抑圧こそが問題ではないでしょうか。

これは日本国籍者に限ったことではありませんが、自分が朝鮮人であること、あるいはルーツが朝鮮民族にもあることを公然と示すことは、いまの日本社会では相当な覚悟がいると思います。

田中 帰化については、色んなことが秘密になっている点もが問題だと思っています。

例えば帰化要件の中に「素行が善良であること」って法律に書いてあるんですよ。ですが、素行が善良かどうかって、どう決めるんでしょう(笑)。この明確な定義は秘密にされているんです。例えば、交通違反で切符切られたらのも「素行が悪い」ってことになってしまうのか。

帰化申請書類を見ると、記入例ひな形に、交通違反で切符を切られた回数も書いてあるんです。ぼくは、車に乗らないからよく知りませんが、申請するときに細かい回数まで覚えていない人も多いでしょう。「この野郎5回もやってるのに、1回としか申請してない」となる可能性もある。

荻上 5回なら覚えてそうですが(笑)。透明性が担保されていないから、「素行が善良」が何を指すのか分かっていないということですね。

田中 それから、「独立の生計を営む」ことも要条件に入っています。だったら、年収どれくらいとか、もっと明らかにすべきだと私は思うんです。だけれども、帰化については全く議論がなされていません。

荻上 制度として透明性があるとは言えないんですね。その中で帰化が個人の選択だと言われても、実情とはかけ離れている。

 いまの日本では在日朝鮮人の「母国の国籍への権利」が充分に保障されていません。日本は「韓国併合」、朝鮮植民地化によって、とりわけ朝鮮の民族自決権を蹂躙してきました。なので、戦後において、在日朝鮮人が母国の国籍を取得して朝鮮民族の一員として生きる権利、そして安定的に日本に在留する権利を「特別」に配慮して尊重する歴史的責任が日本政府にはあると私は思います。

それにも関わらず、戦後日本がやってきた事は正に真逆だったわけです。いきなり日本の法律上は「外国人」だということにしましたが、他方で母国の国籍は認めない。しかも在留権は極めて不安定な状態にすると、文句を言うなら帰化しろと。

在日朝鮮人自身がどういった生活実態にあってどういう在留を求めているのか、どういう母国との関係を求めているのか一切無関係です。国籍問題を語る時に、こうした歴史的責任が議論される事が少ないので、強調しておきたいと思います。

田中 帰化すれば、全部解決するというのは基本的に間違っていると思うんです。例えば、ある時期まで日本では、外国人は公営住宅に入れない、児童手当はもらえない、国民年金も入れない。全部国籍で差別していたんですよ。

朝鮮人は、1952年に一方的に「今日からあなた外国人」と言われてしまった。そうして今度は「あんたいつまで外国人やってるの? 早く帰化したらいいのに」となる。日本側には何の問題もない、帰化しないほうに問題がある。それはないだろうというのが率直な感想ですね。

共に生きる

田中 外国人として生きていくと決めたとしても、日本は外国人として育つためには厳しい環境です。2014年の8月末に出た国連の人種差別撤廃委員会の勧告の中にも朝鮮学校差別の問題が出てきます。

朝鮮学校は自分の民族の言葉や文化を継承する教育をやっている機関です。「少数民族の権利を保護する」とのは国際条約にありますが、朝鮮学校差別は、日本がはその権利れを認めないことを意味し動きがあります。

たとえば、高校無償化から朝鮮学校だけを外している。自治体によっては朝鮮学校への補助金を止めている所も出ている。そこに関しても国連から指摘されています。外国人にしておいて外国人として生きる事は認めない、というこの矛盾は、意外と指摘されていないんですよ

荻上 ルーツを重要視しながら、国籍とはまた別の仕方で、しかし住人として共に暮らしていく在り方を探っていく必要があるんですね。

田中 OECD加盟国で地方参政権を全く認めないのは日本だけですしね。非常に閉ざされていると思います。

 今回、橋下さんは「特別扱いすることは、かえって差別を生む」という趣旨の発言をしていました。驚くべき発言です。こういう議論が成り立つならば排外主義団体は騒げば騒ぐほど得をするわけですよ。取り上げてもらえるわけですから。

荻上 自分たちが騒ぐ理由に注目してくれる。行政のトップが、「会談(?)」によって、ヘイト活動に「成果」を与えた形になりました。

 不正義や加害行為そのものを批判し、無くすのではなく、彼らが問題視する在日朝鮮人の権利そのものを消滅させてしまえば文句も言わなくなるだろう、じゃあ言う事聞こうと。こう主張しているわけです。全く倒錯した議論で、非常に問題だと思います。

荻上 そうした社会状況の中で、帰化して「日本人」になるのか、「外国人」でいるのか、と一方的に選択させるような議論になっているのですね。その背景の歴史的経緯も知られていない。そもそも、様々なルーツを持つ人の権利を認めていくという発想が、日本ではリアリティを持って受け取られていない。

だから、ヘイトスピーチも含めた発言が、わりと違和感なく浸透していく土壌があるのでしょう。恐らくこれから国政レベルでも、「帰化するの、しないの?」と選択を迫るような提案が出される可能性もあります。その時にはまた、番組でも取り扱っていきたいと思いました。

スタジオには一橋大学名誉教授の田中宏さん、そして在日朝鮮人の歴史がご専門、明治学院大学教養教育センター准教授の鄭栄桓さんとお送りしました、ありがとうございました。

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サムネイル「Today’s News is Tomorrows History」[BarZaN] Qtr

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プロフィール

田中宏経済学、在日外国人問題

1937年生まれ。東京外大中国科卒、一橋大大学院(修士)修了。アジア文化会館、愛知県大、一橋大、龍谷大に在職。現在一橋大名誉教授。近著『戦後責任』(共著、岩波書店、2014)、『在日外国人第3版』(岩波新書、2013)、『未解決の戦後補償』(共著,創史社2012)

この執筆者の記事

鄭栄桓朝鮮近現代史

明治学院大学教養教育センター准教授

専攻は朝鮮近現代史、在日朝鮮人史。著書に『朝鮮独立への隘路 在日朝鮮人の解放五年史』(法政大学出版局、2013年)など。

この執筆者の記事

荻上チキ評論家

「ブラック校則をなくそう! プロジェクト」スーパーバイザー。著書に『ウェブ炎上』(ちくま新書)、『未来をつくる権利』(NHKブックス)、『災害支援手帖』(木楽舎)、『日本の大問題』(ダイヤモンド社)、『彼女たちの売春(ワリキリ)』(新潮文庫)、『ネットいじめ』『いじめを生む教室』(以上、PHP新書)ほか、共著に『いじめの直し方』(朝日新聞出版)、『夜の経済学』(扶桑社)ほか多数。TBSラジオ「荻上チキ Session-22」メインパーソナリティ。同番組にて2015年ギャラクシー賞(ラジオ部門DJ賞)、2016年にギャラクシー賞(ラジオ部門大賞)を受賞。

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