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2012年6月21日木曜日

簡単! 読点の打ち方

文章力が上がる記事のまとめがツイッターで流れてきました。

NAVERまとめ:[保存版]読むだけで文章力が劇的に向上する良質記事まとめ8選+α

ふむふむ勉強になる、と読んでたんだけど、読点(、)を打つ場所を分かりやすく説明している記事があまりないみたい。「息継ぎするところ」とか「意味の切れ目」とか言われても、実際に文章を書く場面になるとよく分からないことが多いわけで。

研究室の論文指導では、やはり読点の打ち方に苦しむ学生がいました。そこで私は、読点の打ち方を簡単な手順にして、それで教えてました。長い文のどこに読点を打つか、その場所の見つけ方です。

ちょっと検索してみても似た方法が(あるんだろうけど)見つからなかったので、書いてみることにします。

あ、これはあくまで私のやり方で、一般的とか確立された方法じゃないので悪しからず。

基本手順


読点なしにはちょっと分かりにくい、こんな文。
「私が知っている読点の分かりやすい打ち方のひとつはこれです。」
この文に読点を打ってみましょう。

1. 文を文節に分ける。

「文節」って国文法用語だけど、難しく考えることはなくて、要は「〜ね」を入れられる場所で切ればよいのです(と学校で習った)。私がね 知っているね …てな感じに。

分けました。
私が・知っている・読点の・分かりやすい・打ち方の・ひとつは・これです
国文法的には、正しくは「知って」と「いる」は別の文節、「分かり」と「やすい」も別の文節みたい。でもこの記事の目的は読点を打つことで、「知って」と「いる」の間などに打つわけないので、「知っている」とか「分かりやすい」をひとつの文節として扱っちゃいます。その方が簡単だし。

2. 文節間で「係っている」関係を矢印で書く。

文節の関係には、主語-述語の関係や、修飾-被修飾の関係とかがあるそうです。ここではそれらを引っくるめて「係る(かかる)」関係と呼ぶことにします。そして、ある文節が、後ろの文節のどれかに係っているという関係を矢印で書きます。

例文にあるのは以下の「係る文節→係られる文節」の関係です。
  • 私が→知っている
  • 知っている→打ち方(の)
  • 読点の→打ち方(の)
  • 分かりやすい→打ち方(の)
  • 打ち方の→ひとつ(は)
  • ひとつは→これ(です)
係ってるかどうか分からないときは、その2つだけをつなげて見ます。例えば、「読点の」が「分かりやすい」に係ってるか。「読点の分かりやすい」は意味不明なので係ってない。あるいは「知っている」が「読点の」に係ってるか。「知っている読点の」としてみると、言いたい意味と違うので(読点を知ってるわけじゃない)、係ってない。こんな具合に判断します。

係る・係られる関係として上に挙げた「私が→知っている」「知っている→打ち方」などは、元の文の意味の一部を表していることが分かると思います。

というわけで、このように矢印が書けます。


3. 長い矢印があったら、その根元にある文節の直後に読点を打つ!

この文では、「知っている」→「打ち方の」という矢印が長いので、その根元の文節「知っている」の直後に読点を打ちます。そしてあとは全部そのままで、分けた文節をくっつけて文に戻す。
私が知っている、読点の分かりやすい打ち方のひとつはこれです。
はい、でき上がり!

何をやっているのか?


なぜ長い矢印の根元に読点を打つとよいんでしょう。

長い矢印は、大きな言葉の固まりを飛び越して意味が係っていることを表しています。飛び越された言葉の固まりは、係られる方の言葉を説明しています。上の例では、飛び越されている「読点の分かりやすい」が「打ち方」を説明している。これらが意味的にまとまって「読点の分かりやすい打ち方」となります。

そこに「知っている」が係る。この「知っている」も、その前の「私が」に説明されて、「私が知っている」というまとまりになってます。つまり、「私が知っている」が、「読点の分かりやすい打ち方」を説明している。この大きな構造を、長い矢印は表しています。


長い矢印の根元は、意味の切れ目であり、読点を打つよい場所なのです。

このような文を口に出して読むとき、「知っている」が直後の「読点の」につながって聞こえると「私が知っている読点」と誤解される恐れがあります。ここで少し間を空けると、そういう誤解が防げる。

だからこの場所は、息継ぎをするところとも言えます。

係る先が複数ある場合


係る先がひとつ明らかにある場合はこれでいいんですが、複数あるっぽい場合もあります。例えばこれ。
「塀を越えてきた大きくて白い犬と小さくて虎縞の猫がうちの庭で鶏と喧嘩をしている。」
この例で「越えてきた」の係り方は、「越えてきた→犬(と)」でも「越えてきた→猫(が)」でもよさそうです。

このように係る先が複数あるっぽい場合には、近い方に係ってることにします。遠い方に矢印を引いてしまうと、その矢印の根元に読点を打った時に、近い方の係り先に係ってないように読めてしまうから。

というわけでここでは「越えてきた→犬(と)」に矢印を書きます。
  • 塀を→越えてきた
  • 越えてきた→犬(と)
  • 大きくて→白い
  • 白い→犬(と)
  • 小さくて→虎縞(の)
  • 虎縞の→猫(が)
  • 犬と→猫が
  • 猫が→している
  • うちの→庭(で)
  • 庭で→している
  • 鶏と→している
  • 喧嘩を→している
「犬と」は「猫(が)」に係るので、「越えてきた→犬と→猫が」とつながります。


長い矢印は、「越えてきた→犬(と)」「犬と→猫が」「猫が→している」のところにありますね。この3つの矢印の根元に打ちましょう。
塀を越えてきた、大きくて白い犬と、小さくて虎縞の猫が、うちの庭で鶏と喧嘩をしている。
「越えてきた」が係る「〜犬と〜猫が」をまとめて一体と考えるなら、「犬と」の後には読点を打たず(直後の猫とつながってることにして)
塀を越えてきた、大きくて白い犬と小さくて虎縞の猫が、うちの庭で鶏と喧嘩をしている。
としてもよいでしょう。

接続の場合も「係り」として扱う


「〜したが」とか「〜するとき」とか「〜したのに」とか、前後をつなぐための助詞があります。接続助詞と呼ぶらしい。例えば
「私は姉が早く帰ってくると思って夕飯を用意したが結局姉は翌朝まで帰らなかった。」
という文では、「思って」の「て」、「用意したが」の「が」が接続助詞です。

これらの語は、後の何かに係ると言うより、文の中で前後をつないでます。つまりこれらの語は文中の意味的な切れ目を表していて、その直後は読点を打つ候補地になります。

ただ、これを主語-述語や修飾-被修飾の関係と別に扱うのは面倒です。どうせなら矢印で何とかしたい。

そこで、接続語は後の述語(のどれか)に係ることにします。述語をその後の部分の代表として扱うわけです。この例では、「思って→用意した(が)」「用意したが→帰らなかった」のように矢印を書きます。「思って用意した(が)」「用意したが帰らなかった」どちらも元の文の意味の一部を表してますよね。

では矢印を書いてみましょう。
  • 私は→思って
  • 姉が→帰ってくる(と)
  • 早く→帰ってくる(と)
  • 帰ってくると→思って
  • 思って→用意した(が)
  • 夕飯を→用意した(が)
  • 用意したが→帰らなかった
  • 結局→帰らなかった
  • 姉は→帰らなかった
  • 翌朝まで→帰らなかった
「私は」は「思って」と「用意した(が)」の両方に係ってるっぽいので、近い方で「私は→思って」とします。


矢印が長いのは「私は→思って」「用意したが→帰らなかった」くらいでしょうか。
私は、姉が早く帰ってくると思って夕飯を用意したが、結局姉は翌朝まで帰らなかった。
「結局→帰らなかった」も長いかな。
私は、姉が早く帰ってくると思って夕飯を用意したが、結局、姉は翌朝まで帰らなかった。
「思って→用意したが」も長い?
私は、姉が早く帰ってくると思って、夕飯を用意したが、結局、姉は翌朝まで帰らなかった。
まあどれでもよいやね。

独立した接続詞(「しかし」とか「従って」とか)がある場合も、同じように後の述語に係るとして扱えばおっけー。

読み間違いを防ぐのにも有効


こちらにとてもよい例があるので拝借します。

N1kuMeet5:[書籍]読みやすい文章にする効果的なひと工夫|書籍「頭がいい人の文章の書き方」|読み違いを防ぐ工夫をする

例文:
「妻は鼻血を流しながら逃げ出した私を追いかけた」
鼻血を流してるのが妻なのか私なのかが曖昧な文です。妻が流してるなら、
  • 妻は→流しながら
  • 鼻血を→流しながら
  • 流しながら(接続助詞)→追いかけた(妻は鼻血を出しながら追いかける)
  • 逃げ出した→私(を)
  • 私を→追いかけた
となり、「流しながら→追いかけた」が長い矢印になるので(図は省略、自分で書いてみて!)
妻は鼻血を流しながら、逃げ出した私を追いかけた
になります。もし私が流してるなら、
  • 妻は→追いかけた
  • 鼻血を→流しながら
  • 流しながら(接続助詞)→逃げ出した(私が鼻血を流しながら逃げ出す)
  • 逃げ出した→私(を)
  • 私を→追いかけた
となって、長い矢印は「妻は→追いかけた」ですから、
妻は、鼻血を流しながら逃げ出した私を追いかけた
となります。

全部に打たなくてもいい


長い矢印があるときに矢印の根元に打つ、が目安ですが、そういうとこ全部に打つと多すぎることもあります。
「私は昨日いつもの電車に乗って学校に行った。」
  • 私は→乗って
  • 昨日→乗って
  • いつもの→電車(に)
  • 電車に→乗って
  • 乗って→行った
  • 学校に→行った
長い矢印は「私は→乗って」「昨日→乗って」で、その両方に打つとこうなる。
私は、昨日、いつもの電車に乗って学校に行った。
これでもいいけど、ちょっと前半に読点が多い気がする。こんな時は、下のように読点を省きます。
私は昨日、いつもの電車に乗って学校に行った。
「私は」は主語だから述語に係る。直後の「昨日」に係ることはない。このように読点を省いても、読み手は「私は→乗って」だと分かってくれます。

「読点を省いても、読み間違えられず、分かりやすいままか」を判断基準にするとよいでしょう。


文節の切り方は適当でいい


文節ってのに正しく区切るのが大変だ、と思ったかも知れません。でも、あまり気にしなくてよいのです。

はじめの例
私が知っている読点の分かりやすい打ち方のひとつはこれです
では、本当は2つの文節からできている「知って・いる」「分かり・やすい」を以下のようにひとまとめにして扱いました。


でも、下のように(正しく)文節に切っても、


やっぱり「いる→打ち方」が長い矢印になって、結果は同じ「私が知っている、読点の分かりやすい打ち方のひとつはこれです。」になります。

だから、適当に切りゃいいのです。てきとーに。


読点を打つのが難しかったら、元の文が悪いのかも


同じ例
私が知っている読点の分かりやすい打ち方のひとつはこれです。
に、「すごく」を足して少し長くしてみます。
私が知っている読点のすごく分かりやすい打ち方のひとつはこれです。


「読点の→打ち方(の)」という矢印も長くなって、読点を打った方がいいかな、という気にもなります。打つとこうなる。
私が知っている、読点の、すごく分かりやすい打ち方のひとつはこれです。
うーむ、これだと文の長さに比べて読点がちょっと多いかな…

読点を打つのが難しいと感じるのは、大抵の場合、元の文を改良した方がいいというサインです。文を分けたり、語順を入れ替えたりして改良します。

この例文の場合、「読点の」と「すごく分かりやすい」を入れ替えて
私が知っているすごく分かりやすい読点の打ち方のひとつはこれです。
とすれば、


長い矢印は「知っている→打ち方(の)」だけになり、そこにひとつ読点を打つだけで、
私が知っている、すごく分かりやすい読点の打ち方のひとつはこれです。
と読みやすい文になります。


まとめ


てなわけで、長い文で読点を打つ場所を見つける手順はこう。
  1. 文を文節のようなものにてきとーに切る。てきとーでいいんです、てきとーで。
  2. 「係る」関係を矢印で書く。複数に係ってるっぽかったら近い方に。
  3. ちょっと長いなぁと思う矢印の根元に読点を打つ!
  4. 読点が多いと感じたら、誤読されず分かりやすい範囲で、読点を省く。
  5. 読点を打つのが難しいと感じたら、文そのものを見直す。
慣れてくると、矢印を書かなくても「これちょっと遠いな」と分かるようになります。

実は、これが読点を打つ場合の全てではありません。倒置とか、他にもいろいろあります。でもまあ、これを教えた学生はその後そこそこまともに読点を打てるようになったので、これだけでも結構役に立つかと。

文の長さに対して矢印の長さがどのくらいだったら読点を打つか、ある文と別の文で読点の打ち方をどう変えるか(あるいは変えないか)、そのへんは好みやバランス、あるいはセンスですね。

「山が、動いた。」って、たまに書くとかっこいいしw


関連リンクなど


この記事は、実用的な読点の打ち方を説明するために書いたので、国文法的には正確じゃありません。文節や文節間の修飾など、正確な文法を知りたいなら、他の文書を見て下さい。

例えばこの↓サイトは分かりやすそうです。私も参考にさせてもらいました。

中学国語系エンターテインメント 中学国語のツボ|中学国文法講座

攻める気分の日には、文節を「〜ね」でなく「〜よ」で切れってのには笑いましたw

2012年3月3日土曜日

「なぜ Gumroad や PayPal が日本から現れないのか」みたいな記事を書くとブログへのアクセスがどうなるのか

一日数十PVのこの小さなブログですが、例のエントリ「なぜ Gumroad や PayPal が日本から現れないのか」は多くの人に興味を持ってもらえたようで、およそ5日間で26,000回以上アクセスしてもらえました。

Blogger には簡単な統計情報を見る機能がついていて、アクセスしているユーザの情報(IPアドレスとか)は全然分からないんだけど、どのリンクやページやサイトからアクセスしたかという参照元は、数の多い方から10個ほどは分かります。普段は私自身のつぶやき(ブログ更新しました〜的なやつ)に入っている t.co 短縮 URL 経由から多く来てるので、ああフォロワーの方々が読んでくれてるんだな、と分かるっていう。

で、今回は珍しい体験だったので、アクセスがどんな推移を辿ったかを共有したいなと。後で何かの役に立つかも知れないし。そういうのを貯めこまないのが情報産業2.0(笑)

さて、時間ごとのアクセス数はこんな風でした↓


投稿からしばらくは自分のフォロワーからのアクセスだけがあり、その後でたぶん口コミ経由(心当たりがある)で Facebook に情報が出たようで、時間あたり数百のアクセスが始まりました。同時にこのあたりからたまに Twitter で言及されるようになりました。比較的フォロワー数の多い(およそ5桁以上)ユーザによる言及のうち分かっているものを、グラフ中に Tw と書きました。ただ、公式RTだと分かりません。

はてなブックマークに多く登録されるようになって人気エントリになると、いきなりアクセスが増えました。ここ以降しばらくは b.hatena.ne.jp や www.hatena.ne.jp からのアクセスが多くを占めるようになります。

夜中の谷を経て翌朝にはまた Twitter で言及してもらい、はてなブックマーク経由と合わせてまた多くのアクセスがありました。その後は徐々に減り、あるタイミング(3/1の前半くらいか)で人気エントリ一覧から外れると、あとは Twitter での言及で山ができる、という感じだったようです。

まあ生ログがないので多分に推測が入ってますけど、当たらずとも遠からずではないかと。

参照サイト別のこれまでのアクセス数上位は、およそこんな↓感じです。

  • はてな:4360
  • Twitter:3000
  • Google 系:1040
  • Facebook: 960
  • HK-DMZ+ さん:330

考察。ってほどじゃないが。思ったこと。

  • はてなブックマークの人気エントリに入るとなんかすごい。ブログよく読む人がチェックしてると思われる。
  • 今回は口コミから Facebook という経路だったと思われる(Facebook でどのページに書いてもらったのかは分からなかった)が、Facebook からのアクセスが目立ったのは最初だけ。
  • それに対して Twitter は、言及されるたびに波状攻撃のようにアクセスがある。
  • 言及してくれた何人かについて、アクセス数/フォロワー数という比率を見てみたら、およそ0.数%から数%だった。つまり一度の言及で、そのユーザの約1%のフォロワーの人がアクセスしてくれた計算になる。
  • 普段のつぶやきがエントリの主題に近いユーザの方がこの比率が高いようだった。

というわけでろくに分析もせずに抛ってみる(笑)

あ、いま見たら Tumblr からのアクセスが見えてる。Tumblr はユーザごとにサイト名が違うから、この方法では把握できないな…

2009年9月4日金曜日

ブログサービスを比べた

新しくブログサービスを使おうと思って、どこにしようかとちょっと調べてみた。その結果ここ (Blogger) になったんだけど。

機能や容量が一覧できる便利な比較サイトはたくさんあった。でもブログで何かを表現しようと思ったときにどんな制限があるのかを比較してるページは見つからなかった。で、いくつかのサービスについて利用規約を見て選んだ。自分がいろいろ書きそうなのは政治、法律、差別問題とかなので、そのあたりに関して気になったところを抜粋してみる。

livedoor
第8条(禁止行為)
3. 他者を差別もしくは誹謗中傷・侮辱し、他者への差別を助長し、またはその名誉もしくは信用を毀損する行為
差別表現一般を禁じている。

Seesaa
禁止事項

9. 嫌悪感を与える行為
10. 差別的な行為
11. 倫理的に問題のある行為
12. 品性を欠く行為
13. 特定の利用者にしか理解のできないことを行う行為
16. わいせつ的な表現を行う行為
18. 選挙の事前運動もしくは選挙運動とこれらに類似する行為
かなり制限が厳しい。なかなか判断しにくい事項もある。 禁止項目数も多い。

はてな
ユーザーは、本サービスを利用するに際し、以下のような社会的に不適切な行為を行ってはなりません。
2. 人種、民族、信条、性別、社会的身分、居住場所、身体的特徴、病歴、教育、財産及び収入等を根拠にする差別的表現行為
3. 倫理的に問題がある低俗、有害、下品な行為、他人に嫌悪感を与える内容の情報を開示する行為。ポルノ、売春、風俗営業、これらに関連する内容の情報を開示する行為。
差別表現をかなり具体的に挙げているが、やはり差別表現一般を禁止している。また、受け手の嫌悪感を基準に表現を禁止する項目がある。

FC2
■禁止行為について
ユーザーは本サービスの利用について以下の行為を禁止します。禁止行為を行った場合は予告なく利用を停止しするとともに、禁止行為に基づきFC2または第三者が損害を被った場合は、当該ユーザーはこれを賠償するものとします。
  • 公序良俗に反する行為及び表現
  • さまざまなトラブルに発展しうる個人、特定団体、製品、その他を差別し、誹謗中傷を行うなど、名誉や信用を毀損する行為。
  • 特定の国家、組織団体、統治機構に対して誹謗中傷し、名誉・信用を毀損する行為とそれを助長する行為。
この2つめは人間以外に対する差別(どう定義されるのだろう)をも禁じている。3つめは…言論の自由や表現の自由をどう考えて作ったんだろう。

例えば差別に関して論じようとすると、差別的と見なされうる表現を使わざるを得なくなる。ここまでの規定はそこに網がかかっている。というか全体として当り障りのない情報だけ発信できるような規定になっているように見える。

ワールドワイドブログ

ここは心配になるほど規定が甘いんだけど、どうも新規に登録できないみたいであきらめた。

gooブログ
第12条(禁止事項)
1.会員は、本サービスを利用するにあたり、以下に該当し又はその恐れがある行為を行ってはなりません。
(4) 他の会員又は第三者の財産、信用、名誉、プライバシーを侵害する場合
(6) 他の会員又は第三者に不利益を与える場合
(10) 選挙の事前運動、選挙運動又はこれらに類似する場合、及び公職選挙法に抵触する場合
「信用を侵害する」や「不利益を与える」が何を指すか分からないけど、それほど表現が制限されてはいない。差別を明示的に禁止する項目がないのも大きい。最後に選挙運動が禁止されている(合法であっても)のがやや厳しいか。禁止項目数もやや多い。

そして最後。

Blogger
Blogger は、コミュニケーション、自己表現、自由な言論の場を提供する無料のサービスです。 Google では、Blogger を提供することで、情報の有用性が高まり、健全な議論が活発化し、人々の新しいつながりが可能になると考えています。
Google では、ユーザーが共有するコンテンツの所有権およびそのコンテンツに対する責任を尊重しており、 このようなコンテンツの検閲は表現の自由に基づく当社のサービスに反するという信念を持っております。
悪意のある表現: Blogger では、議論を呼ぶような意見を表明してもかまいませんが、悪意のある表現は公開してはいけません。これは、人種、民族、信仰、障害、性別、年齢、従軍経験、性的指向/性同一性に基づくグループに対する憎悪や暴力を助長するようなコンテンツを指します。たとえば、特定の人種のメンバーを犯罪者であると書いたり、特定の宗教の信奉者に対する暴力を主張してはいけません。
下品なコンテンツ: 衝撃や生々しさだけを意図したコンテンツを投稿しないでください。たとえば、銃創や事故現場のアップ画像は、追加のコンテキストや解説がない場合、このポリシーに違反したものとみなされます。
これも差別表現そのものを禁止してないところが大きく違う。あと禁止項目が少ない。

いくつか規約を見ると、基本的な考え方が大きく2つに分かれるようだ。

ひとつは、問題になりそうな表現は禁止しておくという考え方。上の挙げた中では Seesaa がこっちの端にあるようだ。

もうひとつは、発信内容についての責任は利用者に負わせて、明らかな権利侵害や違法行為(に加えてサービスや価値観についての+α)だけを禁止するという考え方。こちらの方が表現の自由という考え方に近い。表現者が責任を負うのは当り前なのだから。(と言っても、ひとつめのやり方でサービス提供者が責任を負ってくれる訳ではないが。)こちらの端が上に挙げた中では Blogger(あるいはワールドワイドブログ)だろう。

ま、どこにしたってサービス提供側がどのような理由でもサービス提供を打ち切ることができるようにしてあるので、それについては変わらないけど、基本姿勢がどうかは(当り障りのあるような表現をするかも知れない利用者にとっては)重要だと思う。

というわけで Blogger にしてみた。でもそうやって選んだ割には何も書いてない。