面高 正俊(おもだか まさとし、1913年8月4日-1985年12月28日)は、日本の歴史学者。鹿児島大学名誉教授。専門は西洋史で、門割制度など薩摩藩についての研究もおこなった。 鹿児島県南さつま市の加世田地域生まれ。1931年鹿児島県立第二鹿児島中学校 (旧制)卒業、1935年第七高等学校造士館 (旧制)文科卒業、1938年東京帝国大学文学部西洋史学科卒業。神奈川県史跡調査員となるが、戦争に応召され負傷し療養中に終戦。母校の旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校とその後身鹿児島県甲南高等学校で教諭を務めた後、1949年鹿児島大学鹿児島師範学校教授に就任。翌年鹿児島大学教育学部助教授、1967年4月鹿児島大学教育学部教授に昇任。1979年3月に定年退官し、鹿児島大学名誉教授。鹿児島県漕艇教会理事長も務めた。天文学者の面高俊宏鹿児島大学名誉教授は息子。