関島 良致(せきじま りょうち、文化3年(1806年) - 明治21年(1888年)12月30日))は江戸時代の信濃国の医師、手習師匠、神職。 伊那郡島田村出身。江戸で雨森宗真、京都で名古屋でに各派医学を学んだ後、下川路村の旧家関島家の養子に入り、医業、寺子屋百華園、八幡宮神職を受け継いだ。 明治時代にはウィーン万国博覧会に対する筑摩県の出品物収集、天竜峡の名勝化にも貢献した。