華陽太后(かようたいごう、? - 紀元前230年)は、楚の公女で秦の王太后。諱と父母は不明で、姉(諱は不明)と弟の陽泉君がいる。秦の孝文王の継室。継子の子楚が荘襄王として即位前は華陽夫人或いは華陽后と呼ばれ、即位後は華陽太后と呼ばれるようになった。秦の恵文王の側室で昭襄王の生母だった宣太后や秦の丞相で後に楚王となる昌平君(公子啓)らと同じく楚の公族である羋姓であり、始皇帝の養祖母にあたる。