竹重 貞蔵(たけしげ ていぞう、1905年3月-1997年8月5日)は、日本の都市計画家。土地区画整理技術者。 原爆投下の際、広島市の都市計画課の職員のほとんどが原爆で死去したが、前日自転車で登庁途中チェーンが切れて投下当日は遅刻を余儀なくされた当時課長であった竹重が奇跡的に生き残り、丹下健三らが計画に携わるまでは一人で戦後広島の戦災復興都市計画立案をする。 また1955年発足した日本住宅公団の初期事業に携わる。福岡県旧甘木町生まれ。