灰山 元治(はいやま もとはる、1912年7月17日 - 1987年11月27日)は、昭和初期に中等野球他で活躍したアマチュア野球選手、プロ野球選手。投手・内野手。プロ入り後は灰山 元章と改名した。広島県佐伯郡廿日市町桜尾(現:廿日市市)出身。 プロでは活躍出来なかったが、旧制広島商業で、昭和初頭の1930年は4番遊撃手として、翌1931年は4番エースとして全国中等学校野球優勝大会(現:全国高校野球選手権大会)連覇に貢献。さらに翌1931年の春選抜大会では、4番エース主将として選抜大会史上初のノーヒットノーランを含む3完封で、史上初の夏春連覇に導いた戦前の中等野球史を代表する名選手の一人である。日本の野球史上初めて背番号が採用された1931年選抜大会に、エース番号1を背負い4番を打ち主将として優勝したことから元祖エースで4番ともいわれる。 NPBに所属したプロ野球選手のうち、生年月日がはっきりしている明治生まれの選手たちの中では、最も誕生日の遅い選手である。