山田 正男(やまだ まさお、1913年8月1日 - 1995年)は日本の都市計画家。土木技術者。1930年代から1970年代の30年以上にわたり、東京都の道路計画の策定などに携わった。戦後の首都高速道路・東京外環自動車道の立案・設計に積極的に関与し、一時は「山田天皇」と呼ばれるほどの権勢を誇った。東京都建設局長・東京都首都整備局長・首都高速道路公団理事長などを歴任。 今日の東京の自動車専用道路網構築の立役者とも言え、東京都市計画史上では石川栄耀に次いで重要な人物とみなされている。