山田 吉利(やまだ よしとし、文化10年(1813年) - 明治17年(1884年)12月29日)は、7代山田朝右衛門として江戸時代に公儀御様御用を務めていた剣客である。諱は勝興寺の墓誌には吉年とある。旧名は後藤五三郎、山田家に養子入りして改名した。雅号を和水と称した。