小笠原 政登(おがさわら まさなり、1685年(貞享2年) - 1769年10月5日(明和6年9月6日))は、江戸時代中期の紀州藩士、江戸幕府旗本。清広系高天神小笠原氏当主。 紀州藩士・の子。初名は政庸(まさつね)。通称は壱岐助、玄蕃、弥之助、善五右衛門、平右衛門。妻は紀州藩士の娘。子に政方、政尹(政尚養子)、長儀(小笠原長賢養子)、政孝、娘(戸田定候の妻)、養女(小笠原政方の娘、松平常唯の妻)らがいる。