宮沢 トシ(みやざわ トシ、正字:宮澤トシ、1898年(明治31年)11月5日 - 1922年(大正11年)11月27日)は、明治時代から大正時代にかけての日本の女性。詩人・童話作家の宮沢賢治の妹で、彼の理解者の一人であった。日本女子大学校(当時は旧制専門学校の扱い)を卒業後、岩手県立花巻高等女学校(現・岩手県立花巻南高等学校)で教員を務めていたが、結核により24歳で死去した。彼女の臨終の模様は『永訣の朝』等の賢治の詩に描写され、またその死去は賢治の創作活動に大きな影響を与えたとされる。 なお、名前の「トシ」は戸籍名であるが、賢治の創作や書簡においては「とし子」「敏」といった表記も用いられている。