大岡 忠次(おおおか ただつぐ、? - 永禄3年(1560年))は、安土桃山時代の武将。通称は助十郎。 大岡忠右衛門忠勝の次男。松平広忠、徳川家康の2代に仕え、永禄3年(1560年)の尾張国知多郡石瀬(現在の愛知県常滑市)の合戦で討ち死にした。法名儀山浄勇(『家譜』)