境部 薬(さかいべ の くすり)は、飛鳥時代の人物。坂合部薬(さかあいべのくすり)とも書く。旧仮名遣いでの読みは前者が「さかひべのくすり」、後者が「さかあひべのくすり」。姓は連。658年に有間皇子の変で流罪となった。672年の壬申の乱では大友皇子(弘文天皇)側の将となり、息長の横河で敗死した。