劉牢之(りゅう ろうし、? - 402年)は、中国東晋の武将。字は道堅。本貫は彭城郡彭城県(現在の江蘇省徐州市)。前漢の楚元王の劉交の末裔で、祖父の劉羲は西晋の武帝に仕えて、雁門郡太守となり、父の劉建は征虜将軍となった。子に劉敬宣、孫は劉祖がいる。娘は高雅之の妻。また姉妹の子には何無忌がいる 名門出身で武勇に優れた猛将であったが、三度の背反(三反)を繰り返して信望を失い、最期は自滅した。