内山 真龍(うちやま またつ、1740年1月29日(元文5年1月1日)- 1821年9月18日(文政4年8月22日))は、江戸時代中期から後期の国学者である。初名は市六後に龍麿。通称は彌兵衛、徳右衛門。号は龍洞等。本姓は藤原。