伴 正順(ばん まさより、1843年(天保14年) - 1908年(明治41年)6月14日)は、明治時代前半期の文部官僚、裁判官。旧土佐藩士。通称は権太夫(明治初年までは修吉もしくは周吉)。 開成学校(東京大学の前身の1つ)、東京外国語学校(東京外国語大学の前身)、宮城外国語学校の校長を歴任した。