多様性が失われる危うさ
―新作『アカガミ』は2030年、若者の多くが恋愛も結婚もせず極端に少子化が進んだ世界が舞台です。窪さんが近未来を書いた、という驚きがありました。
文芸誌の『文藝』から短編の依頼をいただいたのですが、書いているうちに短編では収まらなくなってしまって(笑)。担当者の快諾を得て、長編になりました。今回は普段とは違うものを書きたくて、テーマについても相当考えました。
近未来を書くという気持ちは最初のうちからありました。というのも、私自身が今の社会に対して不穏さを感じていたんです。小説は自分の主義主張を書くものではありませんが、このままの状態でいくと未来はどうなるのか……それを考えたくて現在からそれほど遠くない2030年の東京が舞台になったんです。
―不穏さというのはどういうところですか。
たとえば、偉い人や政府が偏った家族像を語って話題になりますよね。最近も大阪の中学校の校長が「女性は二人以上出産することが大切」と発言して問題になりましたが、この小説を書きはじめる前から、両親がいて子どもが二人いるのが「正しい」家族像のように言われる風潮はありました。
そこで一番違和感をおぼえるのは、多様性がないということです。家族構成に正解はないのに、みんなその家族像が正解だと刷り込まれている気がします。ぼんやりした「正しさ」に大勢が巻き込まれていくのは、国が危険な方向にいくひとつの兆候ではないかと思います。
―本作では国がお見合い制度を制定しています。志願者本人やその家族は手厚く保護される、一見ありがたそうな内容ですが、制度の名前が「アカガミ」。キナ臭いです。
国が「産まないなら産ませよう」と作った制度です。たとえば自治体が保育園を増やして安心して子どもが産める環境が整ったとしても、その裏には、将来その子に税金を払わせるなど、「国力」のための側面がありますよね。子どもの人生は国のものでも親のものでもなく、子ども自身のものであるはずなのに。
それと、以前、ツイッター上で「私は子どもを産まないかわりに、国のために何か違うことをしなければいけない」というツイートを見て、びっくりしたことも大きいですね。国の役に立たねばならないという考え方は、どこからくるんだろうと思いました。そこでも多様性のなさを感じます。