「40歳定年」。その意味は概ね、40歳で自分のキャリアを棚卸して新しいことに挑戦し、健康である限り、生涯現役でいられるような職業人生を送ることである。得意分野を持つサラリーマンがそれを活かして、コンサルタントなどとして独立することや、ポストもなく停滞気味の大企業から事業拡大を狙う元気な新興企業に転職することなどがイメージできる。
筆者は「40歳定年」を実行した人間である。今からちょうど14年前の2004年、その言葉が世間にまだない頃、約13年間勤めた朝日新聞社(経済部記者)を40歳で退社、どこの会社にも属さないフリーのジャーナリストに転じた。
月給とボーナスが確実にいただける身分の安定したサラリーマン記者を捨てて以来、著述業という自営業で何とか生計をたてている。記者は特殊な職業なのかもしれないが、40歳で大企業を辞めて食っていくには何が必要かを、自分の経験を踏まえて考えてみたい。独断と偏見がかなり入ることをお許しいただきたい。
3つの心構え
最初に40歳で会社を辞めても食っていくための基本的な考え方(心構え)について述べる。自分で何かやれるノウハウやスキルを持って独立することを前提としてお話ししていく。正直に申し上げて、最初からこんなことが分かっていたわけではない。過去を振り返っての後付的解釈である。しかし、これから「40歳定年」を実行される方に少しでも参考になればと思う。
まず、独立して食っていくためには、
(ⅰ)自己中心的(自分勝手)であること
(ⅱ)興味の対象は広くもっておくこと
(ⅲ)不快なことがあってもくよくよと考えないこと(不快なことはすぐに忘れること)
が不可欠であると思う。
(ⅰ)については、何の後ろ盾もなく自分の力で食っていくのは甘いことではないので、自分の生活をまずは成り立たせることを優先せよという意味である。自分を格好よく見せようとしたり、大人げないと言われるようなことを怖れたりしてはいけない。衣食足りて礼節を知るという古い諺もある。
(ⅱ)については何が仕事に結びつくか分からないので情報のアンテナは高く張り巡らせておくという意味である。
(ⅲ)については、実はこれを実践することが一番難しいと思う。組織内でも人間関係などで不快なことは多いかと思うが、独立して自由になっても、これまた不快なことが多い。その理由を一言でいえば、戦後の日本社会は終身雇用が崩れたとはいえ、サラリーマンとして職業人生を全うすることがメジャーな生き方なので、それから外れると生きづらいのが現実だからだ。
肩書きがないと見向きもされない
大企業での肩書がなくなると、多くの人は離れていく。人物を見込んで付き合ってくれていたのではなく、会社の肩書があるから付き合ってくれている人が多い。このへんについては、転職ノウハウ本などにも書かれているかと思うが、ほぼその通り。
筆者の場合、関西電力の秘書系幹部からこんなことを言われて頭にきた記憶がある。
「フリー記者は乞食と同じ。絵にかいたような転落人生ですね。今後取材を希望する場合、うちではフリージャーナリストは特殊株主(総会屋)と同じ扱いになるので、これから広報部ではなく総務部に来てください」
また、ある朝日のOBからは「警察官から泥棒には簡単に転落できるが、泥棒から警察官には絶対に戻れないのを知っているか」と言われて仰天した。フリージャーナリストが乞食や泥棒にたとえられるとは正直想像もしていなかった。
これほど露骨ではないにせよ、もうお付き合いできませんといったニュアンスの会社も多かった。最初は気にしていたが、フリー記者になったことは事実なので、実績を出して認めてもらうしかないと考えを改めた。現実を直視、それを柔軟に受け入れ、余計なことは考えずに覚悟を持って臨むしかないということでもある。
次は多少ハウツー的なことについて述べるが、これは基本的な考え方をブレークダウンしていったものである。