デフレ主義からリフレ主義へ
あけましておめでとうございます。新しい年、2015年が始まりました。実はこのブログは2005年1月29日に始めたので、今年でちょうど10周年となります。リフレ政策を中心に細く長く続けてきたこのブログですが、今年もマイペースで更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
前回の記事はまだ総選挙前でしたが、その後の総選挙で自民党はほぼ現状維持、公明党も含む与党全体で3分の2の議席を確保し、争点となったアベノミクスが国民から信任された結果になりました。前回の記事で、この解散総選挙は財務省や与党内増税派の動きを押さえて消費税増税を延期するのが目的だと書きましたが、安倍政権はその目的を達成したと考えて良いでしょう。
ただ、その一方で野党側は、民主党がやや議席増、みんなの党の一部が合流した維新は現状維持、共産党が躍進した一方、維新から元「たちあがれ日本」の議員が分離してできた次世代の党は激減しました。安倍政権よりも右派で、なおかつリフレ政策を否定する次世代の党が壊滅的打撃を受けたことは、国民が望んでいるのはナショナリズムの強化や民族的な偏見に基づいた政策ではなく、金融緩和や増税の停止による景気回復であることを示していると思います。安倍総理がこの選挙で国民が示したこのような民意を理解してくれることを期待します。
話は変わりますが、去年の12月、Wall Street Journalのサイトに興味深い記事がありました。国内のマスコミではなかなか見られない視点ですので、今回はその記事を紹介したいと思います。
2009年の終わりに私が日本に越してくる以前、日本が「景気後退」、「停滞」、「不振」といった不吉な言葉で表現されるのをよく目にしていた。ところが、引っ越しを終えて落ち着くと、私にとってより適切だと思われたのは英語の「comfort」に意味が近く、便利、信頼性、安全性、魅力など幅広い美徳が表せる「快適」という言葉だった。私は世界の日本に対する認識と国内で感じる雰囲気、並外れた豊かさの格差に衝撃を受けた。その繁栄ぶりは、前回私がここに住んだ20年前に知ったバブル時代の日本だけではなく、その後に私が米国で経験したいくつかの好況と比較しても引けを取らなかった。
景気後退期の東京には、同じような状況下の欧米で見られるような経済的困窮の象徴、たとえば板が打ち付けられた店舗、割れた窓ガラス、積み上がったゴミ、物乞い、舗装道路のくぼみ、荒廃した地下鉄の駅、深刻な路上犯罪の気配などが全くなかった。図書館や公園といった公共サービスの閉鎖もなかった。それどころか、私がいなかった「失われた20年」に東京はかなりおしゃれになっていた。大手町にある私のオフィスの界隈では、古ぼけたコーヒーショップが入った軽量コンクリートブロック造りのみすぼらしい事務所ビルが、客で賑わうグルメ向けレストランや高級デザイナーのブティックなどが入っているきらびやかなオフィスタワーに取って代わられていた。下町にある自宅の周辺では、古い店舗が頻繁に閉店したが、週末のあいだに大急ぎで改装工事が行われ、月曜日の朝には新しい看板を掲げた店が開店していた。
データはうそをつかない。多くの指標によると、日本経済は歴史的な衰退をたどり、特に増加傾向にある不完全雇用者という底辺層や人口減少地域に弊害をもたらした。それでも日本は、全般的に見て、比較的苦痛が少ない、穏やかな衰退でどうにかしのいできた。これは、アベノミクスという形の積極的な行動を伴う反応が現れるまでにあまりにも長い年月がかかったこと――そしてあまりに早く日本国民がそれを考え直すことになった原因の一つでもあるだろう。
こうしたことから、過去5年にわたって日本の混乱した政治、金融、経済をウォール・ストリート・ジャーナルで記事にしてきた私はある結論にたどり着いた。日本の現代の政治経済には、デフレ主義対リフレ主義という特徴的な緊張関係があり、それぞれが思い描く日本の将来像も全く異なっているというものだ。
デフレ主義者たちは安定を優先させ、人口動態を運命と見なし、日本の人口の高齢化と減少は必然的に経済停滞を招くと考えている。彼らの反応はリスク、混乱、分裂を最低限にとどめ、その移行にできるだけ苦痛が伴わないようにするというもので、国が引退生活の計画を立てるかのようである。一方のリフレ主義者たちは、そうした見通しを無用な敗北主義と捉え、より発展性があり、活力に満ちた未来を求めているので、あらゆるリスクを冒すこと、さまざまな混乱を受け入れることにも前向きである。
日本の衰退期のイメージとして心に残っているのが、2011年3月11日の衝撃的な地震、津波、原発事故の三重災害である。そこには自然の脅威と無能なリーダーシップになすすべがない日本があった。より明るい未来の象徴としては、2020年の夏季オリンピックの東京開催決定があった。
過去20年間の大半で幅をきかせてきたのはデフレ主義者たちだが、安倍政権が発足してからの2年間ではリフレ主義者たちが優勢となっている。しかし、首相になって1年間は高い支持率を享受した安倍氏も今では高まりつつある疑念に直面しており、自分の名前を冠した経済再生プログラムの是非を問う国民投票として、12月14日に総選挙を実施することにした。その投票結果は、2つの統治哲学の勢力バランスを再調整し、向こう数年間に日本が――経済や市場だけではなく、外交や防衛の分野でも――進む方向を決める一因となるだろう。
日本の安倍政権以前の体制を「デフレ主義者」と呼ぶ一方で、私は物価、賃金、消費、投資の低下という経済を弱体化させる悪循環に陥ることが彼らの意図だったと示唆しているわけではない。それは主に、失策と麻痺状態の結果として起きたことだった。とはいえ、1990年代の終わりにこのような状況に陥った時、日本の指導者たちは、これはそれほど悪いことではなく、一般的に処方される対策は利益以上に害をもたらすリスクがあるという判断を暗黙のうちに下していたのだ。
考えてみてほしい。日本の国民1人当たりの国内総生産(GDP)成長率は、他の先進国と同等、あるいはそれ以上だった。平均寿命は伸び続け、世界最高水準であり続けた。その一方で犯罪発生率は世界最低水準を維持した。失業率は「失われた20年」のあいだにピークの5.5%に達したが、欧米の景気後退期の水準である2ケタを大きく下回っており、景気回復期に入って久しい米国の現在の失業率よりも依然として低い。
日銀の白川前総裁は退任半年後の2013年9月のスピーチで、穏やかなデフレは、ある程度において、雇用の最大化を確保するために日本社会が支払った代償だ、と述べた。慎重な白川前総裁はデフレ主義者たちの看板的存在となり、リフレ主義者たちの主な攻撃対象となった。白川前総裁によると、デフレは衰退を均一に分散させるための日本の「社会契約」の一環だという。大量一時解雇という欧米の慣習とは対照的に、日本企業は景気低迷期に賃金削減を通じて人件費を節約することができた。
おそらく米国のエコノミストたちにとっては苛立たしいそうした態度は、無秩序な市場への不信感が根深い日本ではむしろ主流なようだ。米シンクタンクのピュー・リサーチ・センターは今年、43カ国で経済に対する考え方を調査した。「富める人もいれば貧しい人もいるが、ほとんどの人は自由主義経済の方が幸せになれる」という意見に賛成か反対かを聞いたところ、日本では51%が反対だった。半数以上が資本主義の純便益を疑った国は日本を含めて4カ国しかなかった。
アベノミクスのジレンマ―破壊的再生か安楽な衰退か - WSJ
このように、現在の日本を「リフレ主義」と「デフレ主義」の対立として分析した記事は、リフレ派の論者によるものを除けばこれが初めてだと思います。
もちろんデフレ(デフレーション)というのは、継続的な物価の低下(=継続的な通貨価値の上昇)を示す言葉であり、リフレ(リフレーション)というのは、そのようなデフレからの脱却を示す言葉です。それを実現するための政策、具体的には期待インフレ率の上昇を目指すためのインフレ目標の導入や大規模な金融緩和、レジーム転換などの金融政策や、財政出動や増税の停止、減税といった財政政策から成る政策パッケージがリフレ政策と呼ばれます。
ただ、最近リフレ政策の実現を目指すリフレ派は、インフレ目標や金融緩和に反対したり、消費税増税を目指す勢力をデフレ派と呼ぶことがあります。このような言葉もあるのでこの対立は党派的にも見られがちですが、このWSJ記事で使われている「リフレ主義」と「デフレ主義」はもっと深い意味を持たせているようです。
この記事によれば「デフレ主義」は安定を優先させてリスクを避け、経済停滞を受け入れる考え方であり、「リフレ主義」はリスクを冒してでも、より発展性があり、活力に満ちた未来を求めている考え方だと定義されています。
約5年前に人口が減少に転じ、「高齢化社会」という自国像、そうした未来に合った政策や優先事項の新たな方向付けが定着すると、日本の危険回避傾向が強まった。デフレ主義者たちの最後の大きな行動は、3年後に消費税率を倍にするという2012年に可決した消費増税法案だった。目的は、欧州を襲ったソブリン債務危機のようなものが起きる可能性に対して追加的な防御策と、ベビーブーマー世代の引退に備えて老齢年金を補強することにあった。増税で成長が妨げられるということに疑問の余地はなかった。支持した人々は景気の減速を、老年期に入る人口の社会保障、そして国を維持するのに必要な代償だと感じていた。
当然だが、デフレにはマイナスの側面もあり、害悪と考える人々もいる。今や日本人の6人に1人が貧困線以下の生活を送っている。企業が従業員を一時解雇することをタブーにした「社会契約」は、給与と手当が保証された正社員の採用もより難しくした。日本の低い失業率は、低賃金の非正規雇用者の急増で維持されており、今やその割合はすべての労働者の3分の1以上に達している。デフレの時代に成年になった20代、30代の日本人の多くには、待遇が良く安定した職を見つけるチャンスがなかった。高齢者を保護するために将来の野心を縮小した日本は、若者の夢を台無しにしてしまったのだ。
リフレ主義者の関心は経済的苦難を通り越して、国際社会における日本の存在感の低下にある。地域のライバルである中国の台頭がそれに影響していれば、なおさらだ。中国の経済規模は日本の2倍になった。両国の経済成長率には大きな差があるため、日本に追いついてからわずか4年で達成された。領有権をめぐる2国間の緊張が高まり、最近、中国政府が高圧的にその経済力を誇示した――2010年には日本が必要としていた素材、レアアースの供給を絞り、2012年には巨大な国内市場で日本製品をボイコットした――ことは、リフレ主義者たちが景気停滞による経済上の危険と安全保障上の危険を結び付けるのに役立った。
そうしたチャイナショックの後に、休眠しているかのようだったリフレ主義の理念が一気に高まったのは偶然ではないだろう。そうした運動の政治的リーダーが、短命に終わった最初の首相在任期間に日本の失われたプライドを取り戻そうとしたことでよく知られている安倍首相になったのもやはり偶然ではあるまい。日本の平和主義は、いろいろな意味でデフレ主義――国家的影響力の低下と相伴うリスク回避の外交政策――と二つで一組になってしまった。再び首相に就任した安倍氏は、国家主義とリフレ主義の理念を融合させ、より活発な経済と同時に、より力強い外交と安全保障上の役割を目指してきた。
アベノミクスには、概念的に「新しいもの」はほとんどない。そのアイデアの大半は外国のエコノミストたちが長いあいだ日本に採用を促してきたことか、以前のデフレ主義政権が実施されなかった無数の「成長戦略」の一環としておざなりに支持したものだ。
新しかったのは、安倍首相が成長を加速させ、デフレを終わらせることが日本の最優先課題だと宣言したこと、そして、そのために必要とみられている措置の少なくともいくつかについてはやり遂げると決断したことである。両陣営の人々をよく知っている私の印象だが、デフレ主義者たちとリフレ主義者たちは実際には、アベノミクスの3本の矢(短期的な成長を促すための金融と財政面の刺激策、長期的な成長を後押しする構造改革など)がもたらし得る恩恵と波紋に関して共通の理解を持っていると思う。
両者を分かつのは、リスクに対する許容度の違いである。
安倍首相の下、成長を追い求める日本は刺激策を新たな極限まで押し進めた――これは日本に限った話ではなく、世界的に見ても極限と言える。
今や日銀はそのポートフォリオに、日本のGDPの約6割――他の先進国の中央銀行が達した水準の2倍――に相当する資産を保有している。安倍氏が首相に就任する以前でさえ、日本政府の債務残高はそのGDPの2倍以上という世界最高水準に達していた(これに近いのはジンバブエぐらいである)。それでも、来年に予定されていた消費増税――デフレ主義の前任者たちが成立させた法案――を先送りにすることで成長をさらに促進させようという安倍首相の最近の決断には、日本の記録破りの借り入れに対する市場の許容度を試すことへの猛烈な意欲が示されている。
日本のリスク回避からリスク負担への急転換は、約130兆円の資金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)にも拡大した。あまり慎重ではない国でさえ、保守的に扱う傾向がある老後の支えだが、GPIFは今や安全だが低利回りの国債の比率を減らし、より利益性は高いが値動きが激しい株式の比率を増やしている。
安倍政権以前の日本はどうしてそうした賭けに出なかったのか。世界の投資家が日本の経済政策は不安定になったという結論を下し、その結果の資金逃避で経済を衰弱させるような何らかの相場崩壊――金利の急騰、底なしの円安、株価の暴落など――が引き起こされるのをデフレ主義者たちは恐れていたのだ。そうした大惨事が起きる確率は測定できるものではないが、その可能性が、より大胆な刺激策への意欲をそぐものとして長く機能してきた。
安倍首相の大博打にもかかわらず、少なくとも今のところは、デフレ主義者たちが長く恐れてきた市場の大混乱は引き起こされていない。一方で、夏場に景気後退に陥るなど、リフレ主義者たちが約束した停滞からの決別も実現していない。今やリフレ主義者たちの運動は、政治と政策において岐路に立たされている。
このように、この記事は「リフレ主義」と「デフレ主義」の違いを「リスクに対する許容度の違い」と言っています。「デフレ主義」は「金利の急騰、底なしの円安、株価の暴落」といった市場の混乱を恐れる考え方だと述べています。
また、この記事はデフレが高齢者を保護するために若者の夢を台無しにしたことも書いていますし、中国の台頭が「リフレ主義」と日本の影響力低下を危惧する安倍総理のような国家主義勢力を結びつけたことや、逆に日本の平和主義(日本で言う「リベラル左派」と同じと言って良いでしょう)が「デフレ主義――国家的影響力の低下と相伴うリスク回避の外交政策――と二つで一組になってしまった」ことも指摘しています。日本の平和主義がいつの間にか外交的にも経済的にもリスク回避ばかりするようになってしまったことを指摘した部分でしょう。日本でリベラル左派が国民の信頼を失ってしまった本質的な理由は、このようなリスク回避の姿勢にあるのかもしれません。
このようにこの記事はいろんな論点を含んでいて、様々なことを考えさせてくれる記事です。一流のジャーナリストというのはこのような記事を書くのかと、改めて感心させられました。
僕は「デフレ主義」をリスクを避けて、安定の中の衰退を受け入れ、日本の未来を閉ざす考え方、「リフレ主義」をリスクを取って、社会の不安定化を受け入れてでも、日本の成長を目指し未来を開く考え方だと受け取りました。今回の総選挙で、有権者は安倍政権の国家主義的な姿勢に釘を刺しつつも、「リフレ主義」のリスクを取る考え方を選んだのだと思います。
リベラル左派はこの結果に反発するのでしょうが、これに対抗するには平和主義と「デフレ主義」の組み合わせを解いて、国家主義的ではないがリスクを受け入れる「リフレ主義」と平和主義の組み合わせを作るしかないと思います。
「リフレ主義」と「デフレ主義」、国家主義と平和主義、この2軸で日本の諸勢力を分析してみると、これまでの右派、左派の枠組みだけではない新たな見方が得られるのではないでしょうか。