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 私たち人間は豊かさの絶対水準の変化よりも、身近な格差の変化にはるかに強く反応する動物だ。私の2人の子供は衣食住満ち足り、なに不自由なく暮らしている。にもかかわらず、おやつの配分をうっかりわずかでも違えると、それがもとで言い争いになる。そんな子供を大人は笑えない。

 近年の日本はとりわけ格差問題に過敏になっている。今国会では、「格差是正」のキーワードで様々な種類の「格差拡大問題」が論じられている。都市部と農村部の経済・財政格差、正規雇用と非正規雇用の給与格差、家計(あるいは個人)の所得格差などである。

 攻める野党は「格差拡大は小泉・安倍政権の負の遺産」だと攻撃し、守る与党も「格差是正」への配慮を唱える。ところが、日本社会全体として本当に格差拡大が進んでいるのかどうか、実証的な検証がなされないまま議論が展開しているのはいかにも奇妙だ。

世帯所得の格差は拡大しているのか?

 例えば、8月に発表された「平成17年、所得再分配調査報告書」(厚生労働省)は、世帯所得の格差の変化を報告している。この報告書が発表された時、日本経済新聞は比較的公平で十分な解説を行っていたが、ほかの多くのメディアは見出しに「格差拡大」の文字を掲げるばかりで、不十分な紹介が目立った。この報告書の22ページほどの本文をきちんと読めば専門家でなくても分かることだが、そこで明らかにされているのは世帯所得の格差が実態的には拡大していない事実なのだ。

 具体的に説明しよう。報告書は世帯の所得格差の計測にジニ係数を用いている。「ニュースを斬る」2007年8月7日付「地域間経済格差拡大論のウソ」で説明したので繰り返さないが、ジニ係数は格差(不平等度合い)を測定する代表的な概念で、値は「0」から「1」まで変化する。「0」に近いほど平等であり、「1」に近いほど不平等(格差大)であることを示す。

 報告書によると、「当初所得」のジニ係数は1993年の0.4394から2005年の0.5263に上昇した(格差が拡大)。多くのメディアはこの数字だけを拾って「格差拡大」の見出しを掲げた。当初所得とは税金や社会保険料の支払いと公的年金や医療費などの給付を加減する前のグロス所得である。

 純所得はこれら支払いと給付を加減した後の「再分配所得」で見る必要がある。再分配所得で見ると、ジニ係数は1993年0.3645から2005年0.3873となり、係数の絶対値が当初所得よりも低い(格差が少ない)だけでなく、格差拡大の幅もずっと小さい。税率や社会保険料率が変化しなくても、高齢化が進むと公的年金や老齢医療給付の受給が増えるので、所得の再配分調整が大きくなるのは当然の結果だ。

 世帯の所得格差の実態を見るためには、世帯構成員数の違いも勘案しなくてはならない。単身世帯で年間所得700万円と、4人家族で700万円では、生活の余裕がまるで違う。そこで世帯構成員数の違いを調整した「等価再分配所得」で見ると、ジニ係数は1993年0.3047、2005年0.3225となり、さらに格差の水準も変化幅も小さくなる。

“格差拡大”の主因は高齢化と単身世帯の増加

 「それでもジニ係数は上昇しているじゃないか」と言うことはできる。ところが、格差の拡大の主因は、同一同世代での格差の拡大ではなく、人口構成の老齢化と単身世帯の比率増加によるものであることが、報告書では検証されている。

 元々高齢者世帯の所得格差は現役世代よりも大きい。“金持ちじいさん”と“貧乏じいさん”に分化する傾向は、今も昔も変わらない。現役時代に成功して資産リッチになり資産所得のある人とない人、60歳を過ぎても働いて所得のある人と年金所得しかない人という具合に分化するからだ。

 従って、老齢人口の全人口に占める比率が上昇すると、同一世代内の所得格差が不変でも、全体の格差が拡大する(ジニ係数は上昇する)。また、単身世帯は共稼ぎ世帯を含む複数構成員の世帯より平均所得は小さい。従って単身世帯が増えると、実態的な所得格差は拡大しなくても、世帯単位で計測された見かけ上のジニ係数は上昇する。

 1993年から2005年の期間の「当初所得」拡大の要因のうち92%は、こうした人口の高齢化と単身世帯の増加によるものであることが、報告書で検証されている。さらに「再分配所得」で見ると、これら2つの要因による変化を除去したベースではジニ係数はほとんど変化していない(格差は拡大していない)。

格差是正の政策論争は実証的な調査とデータに基づくべき

 ただし、格差拡大の兆候が全くないわけではない。20代から30代前半の若い層では、「就職氷河期」に正規雇用に就けず、フリーターなどになった人の増加で所得格差拡大の微妙な兆候はある。しかし景気回復が続いて再び正規雇用採用が増えているので、この兆候がトレンドになるとは断定できない。

 念のために言い添えると、私はこうした政府統計を絶対視しているわけではない。公正に作られたどんな統計でもある意味で一面的であり、特有のバイアス(歪み)が避けられない。あるいは、こうした日本のマクロ統計を政府による「やらせ統計」だと考える方もいるかもしれない。

 ならば、日本の野党も「格差是正」を政策論争の目玉に掲げる以上、格差の実態について民間のシンクタンクなどを使って調査し、政府統計を覆すような実証データを提示すべきだろう。米国では与野党とも主要な政策争点ではシンクタンクや議会の委員会リサーチスタッフを利用して、少なくともその程度の調査はやったうえで政策論争しているのだ。

世界的な格差拡大の要因は「技術革新」と「教育」

 次に、日本の所得格差を他国と比較してみよう。これについては10月に発表されたIMF(国際通貨基金)の調査リポート(World Economic Outlook Oct.2007、「グローバル化と不平等」)が興味深い。

 IMFのリポートは各国の1人当たりの年間所得を低い方から20%、次の20%と5分位に分けた所得分布を推計している。「ジニ係数などという馴染みのない数字で説明されても、だまされたような気がする」方もいるだろう。そこで最高所得層(上位20%)が最低所得層(下位20%)の何倍の年間平均所得を得ているか(所得格差倍率)、またその所得格差倍率が過去数年拡大しているかどうかで各国の格差の状況を比べてみたのが表である。

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