尾崎世界観 × 金原ひとみ『私語と』対談 「小説という表現は、音楽をやっている感覚ではとうてい手におえない」
クリープハイプのファンであり、尾崎世界観の友人でもある作家・金原ひとみは、文庫版『私語と』を読み、どんな感想を抱いたのか。尾崎世界観と金原ひとみの特別対談をお届けする。
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罵倒の奥にあるものがより鮮明に浮かびあがってきた
――金原さんはもともとクリープハイプのファンだと公言していますが、『私語と』で改めてその歌詞に触れて、いかがでしたか。
金原ひとみ(以下、金原):単行本で刊行されたときから嬉しくて、何度も読み返しました。やっぱり、音で聴いているときと、文字で読むときとでは、印象がずいぶん変わるんですよね。歌詞カードを見たことのない曲もあるので、こんな漢字をあてていたのか、と発見するのはシンプルに楽しかったですし、短い言葉のなかにこんなにもたくさんの情景や意味が詰まっていたのかと、改めて驚かされました。短歌や詩を読んでいるのと同じような感覚を味わうことのできる歌詞を書く尾崎さんは、本当に稀有な存在だなと。一方で、生粋の文芸畑で育った人からは生まれない言葉の使い方をされるなという印象もあるんですよね。海外文学と日本文学の狭間にいらっしゃるような。
尾崎世界観(以下、尾崎):ありがとうございます。もちろん、音がないと意味をもたない歌詞もたくさんあって、今回は言葉だけで成立するものを中心に選んだというのもありますが、後者だけで一冊にまとまる程度には、意識的に言葉を選んで書いてきたんだなとふりかえって思いました。
金原:私は、「身も蓋もない水槽」や「テレビサイズ (TV Size 2'30)」みたいな罵倒系の曲が大好きなんですよ。ライブでやってもらえると、イントロだけで飛び跳ねて喜んでしまうくらい。そこにはやっぱり、音ありきで受容している部分もあったとは思うんですけれど、音のない状態で言葉だけに触れても、まったくマイナスの要素はなくて。むしろ、これまでとは違うイメージを受けとることで、より理解が深まったというか、罵倒の奥にあるものがより鮮明に浮かびあがってきたというか。もちろん、「風にふかれて」とか、罵倒しない系の歌詞もいいんですけど(笑)。
尾崎:最近、罵倒系が少なくなってきて、ちょっと冷めた感じの歌詞が増えているんですよね。叫ばなくてもある程度言いたいことが届くようになったからなんでしょうか。
金原:あ、ちょっとわかる気がします。私も小説を書きながら取り乱すことがなくなってきたから。思考を整理して、落ち着いた主人公を軸に書いても、ちゃんと読者には伝わるという実感を得られるようになったんですよね。
尾崎:でも、自分の出自は罵倒系であることを忘れず、胸に刻んでおかないと。プロフィールから「罵倒高校出身」であることを削除しかけていた自分に気がつきました。
金原:罵倒高校、首席で卒業されていますからね(笑)。
最初の3曲は、誰にも届かないもがきのなかで生まれた
――尾崎さんご自身が、印象に残っている歌詞はありますか。
尾崎:最初の3曲は、誰にも届かないもがきのなかで生まれた言葉なので、今の自分には書くことができないという意味でも、印象深いですね。どういう気持ちの流れでこの言葉が生まれたのか、ふりかえってもわからないところがある。もちろん、今みたいに届いている実感を得られるのはありがたいことなんですが、そうするとどんどん、「上手」になろうとする。どうすれば自分も、聴き手も、一緒に気持ちよくなれるかを考えてしまう。それだけではいずれ飽きがくるし、届かない、という切実さもまた大事なんだなと思いました。
金原:広く届いたからこそ「絶対に届かないゾーンというものがある」ということも実感しませんか。広く届くということは、誤解されたり、そのものを受け取る素養がない人にまで届く可能性が高まるということでもあるから。先日、映画『ナミビアの砂漠』の山中(瑶子)監督と対談した際、TOHOで上映されたことで予想外に客層が広がった、というお話をされていました。彼女が一番驚いていたのは、考察映画としてとらえる層がいたこと。私も『ナミビアの砂漠』は、ある意味、とてもわかりやすくストレートな表現を選択していると思ったのですが、うがった見方をしたり、描かれていないものを見抜こうとしたりする人は、必ず出てくるんですよね。その乖離を、監督は実感するきっかけになったと。私も、とにかく下品であるとか、倫理に反しているとか、想定外の怒りを買って驚いたことが多々ありました。
尾崎:それでいうと、クリープハイプはそこまで届いていなのいかもしれない(笑)。あくまで邦ロックというジャンルの中で、必要としてくれる人のところには届いている。金原さんが言うように、それ以上は乖離が生まれそうだから、あんまり大きくなりすぎても良くないのかなと思っています。
金原:とんでもない解釈をする人が現れるかもしれませんね。
尾崎:逆に、解釈しない人も増えますよね。音楽の場合、今は一曲単位で消費するような聴き方が主流になりつつあるから、考察すらしてもらえないかもしれない。あとは、「この曲は合わないな」「好きじゃないな」と思われても、一曲が短いからそれほど聴き手に負荷がかからないし、またすぐに新しい曲が出て、そのなかから好きなものが見つかれば、バンドに対する評価はさほどぶれない。というか、バンド自体に執着してもらっている場合、だめな曲を出しても、それはそれで愛されてしまうんです。でも小説は、どんなに好きな作家でも、この一冊は受け入れられないとなれば、けっこうしっかり批判されるじゃないですか。毎回ちゃんとふりだしに戻る感じがあって、そこがいいなと思います。
まだ自分の歌詞には明言化できない何かがあるのかも
金原:小説を書くとき、たぶん歌詞を書くのとは別の脳の回路を使っていますよね。言われてみれば小説っぽいけれども、決してアーティストとしての尾崎さんに依拠しすぎていないというか……作家としての言葉と、アーティストとしての言葉は、まるで違う響きをもっていると感じます。
尾崎:そう言っていただけると安心します。同じ言葉を扱っているというだけで、似た感覚で向き合っているととらえられると、モヤモヤするので。歌詞を書くときに、音がなくても成立する言葉を意識しているという話はしましたが、そもそも自分が曲をつくるときはまず音があって、そのあとに言葉が生まれているので、音のない世界を探る小説とはまるで違うんです。だから音で埋めることのできない部分を、すべて自分の責任で表現していくことが、小説を書く楽しみでもある。
金原:尾崎さんの小説は『祐介』から読んでいますけど、『転の声』でちょっとステージが変わったのを感じました。『祐介』のラストで描かれる、現実と妄想が入り混じるような疾走感が好きなんですけど、『転の声』ではもう一歩、フィクショナルなところに踏み込んだというか、リアリズムの扱われ方がこれまでとは変わっているのを感じました。登場人物も、みんなキャラが立っていたし、これからまた表現の幅がグッと広がっていくのではないかと感じました。
尾崎:今回はミュージシャンが主人公なので、ふだん自分が経験している舞台裏を都合よく組み合わせたりしていて、そういう意味ではリアリティがある作品だと思います。でもそれと同時に、物語であるということをこれまでよりも強く意識しました。やっぱり小説という表現は、音楽をやっている感覚ではとうてい手におえない。ゼロからそこに届けるためにはどうすればいいか、今なお、試行錯誤しています。
――逆に、小説を書き始めたことで、歌詞を書くことになにか変化はありましたか?
尾崎:変化しているかどうかはさておき、ラクにはなりました。これまでは歌詞を書くことが、自分にとっての文章を書くことのすべてだったし、こうすれば伝わるはずだと、ものすごく期待をこめていたんです。でも小説に比べて、歌詞は使える言葉の数が圧倒的に少ない。伝えたいものがそもそも全部入りきっていないというのが、小説を書いたことでわかったんです。だから前後のつながりが多少おかしくても気にならなくなったし、歌詞そのものですべてを伝えようとしなくていい、予告編を見てもらうくらいのつもりでいよう、そう思えるようになってから、むしろより伝わるようになった気がします。
金原:歌詞は、スマホで書くことが多いんですよね。
尾崎:ほとんどそうですね。iPhoneのメモ画面じゃないと言葉が出てこないんです。小説は、スマホやポメラなど、いろいろですけど。書けなくなったら道具を変えて、自分を騙し、ごまかしながら、なんとか進めています。どちらにせよ、画面を見つめながら考えて、ちょっとずつ生まれるもので埋めていくというのは変わらないんですけどね。
金原:曲をつくるときは音のあとに言葉って言ってましたけど、それは必ず、ですか?
尾崎:そうですね。メロディのなかに言葉を入れられる型があって、そこにうまくハマるものから考えていく。最初から最後まで、それこそ小説を書くように流れで書いていると思われがちですが、どちらかというと穴埋め問題を解くのに似ています。というのも、メロディそれ自体が、自分のなかにある表現したい感覚を、言葉になる前の状態でとりだしたもの、というイメージなんですよね。なんとも言えないこの感じを、なんかいいと思えるこれを、どうすればかたちにできるだろう? と考えた結果、メロディになり、それに引っ張られるようにして言葉が生まれる。
――ああ、だから、尾崎さんの書く歌詞には、名前のつかない感情や瞬間を掬い上げてくれている、と思わされるのでしょうか。
尾崎:まあ、歌詞ってそういうものだよな、という感覚もありますけどね。名前のついているものを利用して、名前がついていないものを描き出すとか、既存の手法をちゃんと踏襲するというのも、わりと意識しているんですが……。いずれ「それってクリープハイプの手法だよね」ということが共有されて、クリープハイプ自体が古びていくこともあるのかなと思うけれど、今クリープハイプみたいだと言われているバンドの歌詞を見ると、なんかちょっとちがうと感じることが多いので、まだ自分の歌詞には明言化できない何かがあるのかもしれません。
金原:たしかに、きっとクリープハイプが好きなんだろうなと思うような、尾崎さんの歌い方に寄せていると感じるボーカルはたくさんいますけど、尾崎さんの言葉の扱い方を踏襲できる人は、今もこれからも絶対に出てこないと思います。
尾崎:そうなんですかね。最近、あえてそこまで意味がない歌詞を書くというのに挑戦したくて、新曲をつくっていたんです。それでほとんど意味のない言葉をつなげて何曲かつくってみたんですけど、その反動で今度は歌詞がまったく書けなくなってしまった。ちょっとびっくりしましたね。歌詞を書く感覚ってこんなにも一瞬で消えてしまうんだと思って。
金原:おもしろい。意味がない、ということに注力しすぎて、尾崎さんのなかに流れるなにかが変わってしまったのかな。
尾崎:遠出してはしゃぎすぎて、帰り道がわからなくなっちゃった。そんな感覚でした。焦ったけれど、嬉しくもあった。こういう「書けない!」は久しぶりだなって。
金原:経験を積むと、なかなか道に迷うこともできなくなりますからね。
――ちなみに尾崎さんが、言葉を扱ううえで影響を受けた人はいますか?
尾崎:よく聞かれるんですけど、歌詞に関しては、本当にいないんです。調子に乗っていると思われるから、あんまり言いたくないんですが……。小説家なら、もちろんたくさんいるけれど、悔しいからこれも言いたくない(笑)。でも小説なら、山ほどいるすごい人たちへの悔しさも、ちゃんと自分のなかにあるって素直に言うことができるんですよ。そういう意味でも、歌詞と小説は両方、自分にとって必要なものなんでしょうね。
■書籍情報
『私語と』
著者:尾崎世界観
価格:880円
発売日:2024年10月8日
出版社:河出書房新社
■尾崎世界観/衣装クレジット
ビンテージのシャツ(Pigsty原宿店 / 03-6438-9919)
WANDER ROOMのパーカー(WANDER ROOM / https://www.instagram.com/wonderroom_official/)
HOLLYWOOD RANCH MARKETのデニム(HOLLYWOOD RANCH MARKET / 03-3463-5668)
RANGLのソックス(HEMT PR / 03-6721-0882)
CONVERSEのスニーカー(CONVERSE INFORMATION CENTER / https://converse.co.jp/)
■アルバムリリース情報
7thアルバム
『こんなところに居たのかやっと見つけたよ』
2024年12月4日(水)リリース
■関連リンク
公式サイト:https://www.creephyp.com/
クリープハイプ15周年記念ページ:https://www.creephyp.com/15th/
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