今は1月31日(火)の夜。ヤフートップに “エイジア ウェットンさん死去” の見出しが載っている。ジョン・ウェットンの訃報に接し、いても立ってもいられずこの原稿を書き始めた。僕にとってウェットンはキング・クリムゾンでもなくUKでもなく、ヤフートップ同様、やはりエイジアのジョン・ウェットンだった。
1982年春にエイジアのデビューアルバム『詠時感~時へのロマン~』(詠時感はエイジアと読みます)からの1stシングル「ヒート・オブ・ザ・モーメント」を聴いた時のインパクトは未だに忘れることが出来ない。鎧の様なサウンドをまとい、しかしメロディーはあくまでポップ。ヴォーカルもギターもドラムも、1つ1つが粒立って強い存在感を放っている。それまでに聞いたことの無い、唯一無二と言ってしまってもいい程ユニークなヒットソング(全米4位)だった。
元キング・クリムゾン&UKのジョン・ウェットン(ヴォーカル、ベース)、元イエスのスティーヴ・ハウ(ギター)、元バグルスのジェフリー・ダウンズ(キーボード)、元EL&Pのカール・パーマー(ドラムス)のプログレッシブ・ロックの雄が揃ったスーパーバンドがエイジアであることを知ったのはそれから程無くだった。ユニークな曲なのもむべなるかな、と僕は得心したのだが、同時にエイジアが “産業プログレ” と蔑まれていることも知ったのだった。
’80年代前半は未だ’70年代を引きずっていたのか、ロックには “アート性” が求められていた。そして所謂 “売れ線” のポップなロックは “産業ロック” とレッテルを貼られ蔑まれていた。ジャーニー、フォリナー、REOスピードワゴンあたりがその代表格と目されていた。このラインにエイジアも入ってしまったのである。“インテリ” の多いプログレファンにとってエイジアは “堕落” でさえあったらしい。幸か不幸かプログレは未だピンク・フロイドしか知らなかった僕は、なぜこのユニークで、尚且つキャッチ―そのもののエイジアの秀でたポップロックが貶されるのか理解出来なかった。
続く2ndシングル「時へのロマン」(Only Time Will Tell 全米17位)がまた “ド” が付くほどの名ポップロックで、僕のエイジア好きは不動のものになった。しかし “ツウな” ロックファンの前では僕も「恥ずかしながらエイジアが好きです」と前置きを付けざるを得なかった。それですら少々勇気が要る発言であった。しかし、決して好きでないとは言えなかった。そこまで自分の気持ちに抗うことは出来なかったのである。
『詠時感〜時へのロマン~』はポール・マッカートニーの傑作『タッグ・オブ・ウォー』に一旦全米1位を3週譲りながら再び奪首し計9週1位を獲得。全米年間No.1アルバムの座にも輝いた。売れるものには理由がある、とは今だから言えるのだろうか。
日本ではこちらの方が大ヒットした2ndアルバム『アルファ』にも、「ドント・クライ」「偽りの微笑み」(The Smile Has Left Your Eyes)といった秀でたポップロックが詰まっている。エイジアの名曲を作ったのがジョン・ウェットンとジェフリー・ダウンズのコンビだった。ウェットンはエイジア以前にも優れたポップセンスを持つソングライターだったのである。そしてウェットンのやはり唯一無二の、ふくよかな美声がエイジアのポップロックを彩ったことに異を唱える人は誰もいまい。ウェットン無くして、エイジアは無かったのだ。
僕はエイジアから “好きなものは好きと言う勇気” を学んだ。それは自分の気持ちに正直になることであるし、音楽と向き合う時にあるべき姿勢だと思うのだ。この点で僕は稀代のポップロックの達人ジョン・ウェットンに改めて感謝すると共に、彼の音楽が改めて正しく味わわれることを心から願ってやまない。
2017.02.03
YouTube / samuel matthews
YouTube / Frontiers Music srl
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