今やレジェンドとしてロック史に鎮座しているクイーンだが、1980年代に入ってから洋楽を聴き始めた自分にとって、当時の彼らは微妙なポジションのアーティストだった。洋楽デビュー以前から、その名は雑誌等で目にしていたし、日本でもすごく人気があることは皮膚感覚でわかっていたけれど。
それだけにガツーン! とくるロックンロールを期待していたが、クイーンという存在を意識して初めて耳にしたのが、ラジオで聴いた「地獄へ道づれ(Another One Bites the Dust)」。これをロックの文脈で理解するのは、若気だけが先走る中学生には難しい。この人たちはディスコバンドだったのか!?
続くサントラ用の曲「フラッシュのテーマ」は好みだったが、いかんせん肝心の映画『フラッシュ・ゴードン』がトホホ。デヴィッド・ボウイとのコラボ曲「アンダー・プレッシャー」を経て、82年のシングル「ボディ・ランゲージ」は、またも暗いディスコ…。
しかし何よりボンクラ中学生をミスリードしたのはフレディ・マーキュリーのビジュアルだ。初めてアー写を見た時は “長髪のかっこいい人(=ブライアン・メイ)が歌ってる” と勝手に想像したが、まさかドラマーと思われた短髪&ヒゲ男がボーカルとは… ヴィレッジ・ピープルにも、こういう人、いたよな!?
そんなフレディのイビツさを、より強烈に印象づけたのが84年のアルバム『ザ・ワークス』からのヒット曲「ブレイク・フリー」の PV。ここではメンバー全員が女装しているが、ノースリーブ&レザーのミニスカでヒゲ面のフレディの存在感がスパークする。
気持ち悪いけど、これ笑ってイイんですか?
しかし翌年、ロックバンドとしてのクイーンの底力を思い知る。そう、フレディのソロアルバム『MR.バッド・ガイ』を挟んで出演したライヴ・エイド。「ボヘミアン・ラプソディ」「RADIO GA GA」も感動的だったが、『ザ・ワークス』中もっともハードな「ハマー・トゥ・フォール」のパフォーマンスは私的ハイライト。テレビ中継時は日本時間午前3時を過ぎていたが、タイトな演奏とフレディのスキのないボーカルに眠気が吹っ飛んだ。
ゴメンな、クイーン、あの時、あなたたちは確かにロックだったよ…。
※2016年11月23日に掲載された記事をアップデート
2018.11.24
YouTube / Queen Forever
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