このクイズはhttp://q.hatena.ne.jp/1168345040に応募することを目的として出題しています。
1/17の夜に回答はオープンします。
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あいつからとうとう逃げ切ってやった。
四六時中つきまといやがって。
あいつに出会ったのはテレビを見ていたときだった。
あいつは画面の向こうから俺を睨んでいた。
朝になると家の前で俺が扉を開けるのを待っている。
満員電車の中でもあいつはしぶとくついてくる。
近くの山まで、こっそり逃げ出したことがある。
帰り道のバスの中で俺はあいつにつかまった。
駅前で人ごみに紛れようとしても無駄だった。
笑顔であいつは俺の前に立ちはだかった。
俺は今、アフリカのサバンナの奥地にいる。
流石にここまでは追ってこれなかったようだ。
だが、これもあいつの計算どおりなのだろう。
次に狙われるのはあなたかもしれない。
ほら、あなたの目の前に・・・
「あいつ」がいるのはテレビの画面の向こう、家の前、満員電車、バスの中、駅前の人ごみ、あなたの目の前。
「あいつ」から逃れられるのは山の中とサバンナの奥地。
この分類から二つ解釈をしてみました。
解釈1
「あいつ」とは日本語(の音声)である。
家の前や満員電車、人ごみなど人のいるところでは日本語が聞こえてしまうので逃れられない。
また、テレビからも日本語は聞こえてくる。
一方で山に登れば人がいないので日本語は聞こえてこずに逃れられる。しかし帰りのバスでまた日本語が聞こえてきてしまう・・・。
そこでアフリカのサバンナの奥地で日本語から逃れている、という話。
解釈2
「あいつ」とは自分の鏡像である。
テレビからにらんでくる、というのは画面に映りこんだ自分。
家の外には水溜りがありそこに自分が移っている。
満員電車でも電車の窓に自分が映る。
山に鏡はないので逃れられるが、帰りのバスの窓にまた自分が映ってしまう。
アフリカのサバンナの奥地なら鏡はない(?)ので逃れられる。
ほら、あなたの目の前にもパソコンがあって自分が映りこんでいるでしょう?という話。
あいつからとうとう逃げ切ってやった。
四六時中つきまといやがって。
あいつに出会ったのはテレビを見ていたときだった。
あいつは画面の向こうから俺を睨んでいた。
ブラウン管に映った自分の顔
朝になると家の前で俺が扉を開けるのを待っている。
満員電車の中でもあいつはしぶとくついてくる。
窓に映った自分の顔
近くの山まで、こっそり逃げ出したことがある。
帰り道のバスの中で俺はあいつにつかまった。
同じく窓に映った自分の顔
駅前で人ごみに紛れようとしても無駄だった。
笑顔であいつは俺の前に立ちはだかった。
逃げれた!と笑った自分の顔が何かに映った(ショーウィンドウ?)
俺は今、アフリカのサバンナの奥地にいる。
流石にここまでは追ってこれなかったようだ。
ここには何も自分を写すものはない
だが、これもあいつの計算どおりなのだろう。
次に狙われるのはあなたかもしれない。
ほら、あなたの目の前に・・・
(精神病んでる?)もう一人の自分がいる・・・
あまり深く考えず即興で考えてみました。
この質問系答えるの初めてなんですが、的外れかなぁσ^-^;
なるほど、なるほど。
自分の顔というのも説得力ありますね。
自分の顔を襲ってくる敵と認識したら、確かに精神をやんでしまいそうです。
残念ながら正解ではないですが、正解への思考回路的には的外れではないと思います。
回答ありがとうございました。
「朝になると家の前で俺が扉を開けるのを待っている。」ってことは
新聞か牛乳かヤクルトか・・・
アイツとは広告(Ad)の事ではないですか?
新聞にもチラシ、ついてくるし。
このページにも、ほら。
関係ないけど、昔読んだ椎名誠の「アド・バード」面白かったなー。
おろおろ。正解です!
『朝になると家の前で俺が扉を開けるのを待っている。』から絞り込まれましたか。牛乳とヤクルトも確かに待っていることがありますね。これは考えてなかったな。
その通り、このページにも、やつらはいますね!
自分、鏡に映った自分の姿で無いでしょうか
>あいつに出会ったのはテレビを見ていたときだった。
>あいつは画面の向こうから俺を睨んでいた。
暗い画面になった時テレビに自分がみえる事が。
>朝になると家の前で俺が扉を開けるのを待っている。
ドアに映った自分
>満員電車の中でもあいつはしぶとくついてくる。
窓に映った自分
外が暗いので地下鉄に乗った可能性大。
>近くの山まで、こっそり逃げ出したことがある。
>帰り道のバスの中で俺はあいつにつかまった。
帰りは夕方か夜のバスで外が車内より暗く窓に自分が映った
>駅前で人ごみに紛れようとしても無駄だった。
>笑顔であいつは俺の前に立ちはだかった。
店の入口のガラスの自動ドアや、百貨店、駅ビルなどガラスのものに映る自分
>俺は今、アフリカのサバンナの奥地にいる。
>流石にここまでは追ってこれなかったようだ。
ガラスが無いし氷も湖なども近くに無いので。
「あいつは自分」というのはなかなか説得力がある回答ですね。
『>帰り道のバスの中で俺はあいつにつかまった。
帰りは夕方か夜のバスで外が車内より暗く窓に自分が映った』
なるほど、こう考えると帰り道で出会うことについて納得できますね。
“あいつ”とは逃げ回っている“俺”自身ではないのだろうか、と思いました。
“俺”は多分、すごく有名なタレントか俳優で、毎日テレビにはでるし、街中にはその人のポスターや広告が貼ってあるんです。
しかし、その人は仕事をしている自分は本当の自分ではないと思っていました。作り笑いをしたり、飾った言葉であれこれ言う自分をテレビで見るたび憂鬱になりました。
そんな自分が嫌で堪らなくなり、その虚像から逃げ出したんだと思います。
ああ、なんというかとても惜しいというか素晴らしい回答です。
一つに、「毎日テレビにはでるし、街中にはその人のポスターや広告が貼ってある」というところから『あいつ=広告』に近いところに至っているところが素晴らしいです。
もう一つとして、「自分が有名人」という仮定が加わることで「あいつは自分」仮説を強力にバックアップしうる回答だということです。
問題とは関係ないですが、自分が嫌になったり、仕事などで行き詰っているときは、旅行などにでかけて自分を客観的に見つめなおしてみるといいらしいですね。
「あいつ」がいるのはテレビの画面の向こう、家の前、満員電車、バスの中、駅前の人ごみ、あなたの目の前。
「あいつ」から逃れられるのは山の中とサバンナの奥地。
この分類から二つ解釈をしてみました。
解釈1
「あいつ」とは日本語(の音声)である。
家の前や満員電車、人ごみなど人のいるところでは日本語が聞こえてしまうので逃れられない。
また、テレビからも日本語は聞こえてくる。
一方で山に登れば人がいないので日本語は聞こえてこずに逃れられる。しかし帰りのバスでまた日本語が聞こえてきてしまう・・・。
そこでアフリカのサバンナの奥地で日本語から逃れている、という話。
解釈2
「あいつ」とは自分の鏡像である。
テレビからにらんでくる、というのは画面に映りこんだ自分。
家の外には水溜りがありそこに自分が移っている。
満員電車でも電車の窓に自分が映る。
山に鏡はないので逃れられるが、帰りのバスの窓にまた自分が映ってしまう。
アフリカのサバンナの奥地なら鏡はない(?)ので逃れられる。
ほら、あなたの目の前にもパソコンがあって自分が映りこんでいるでしょう?という話。
日本語に追われるというのは、大変オリジナリティーが高い回答ですね!
確かに日本で生きている以上、日本語からは逃げられませんからね。
主人公が日本から出なければならなかった理由を「日本が文明社会&資本主義経済であるから」とする本作よりも、もっとスマートに説明されている気がします。
「あいつは自分」仮説もありがとうございます。確かにパソコンも電源を落とせば、自分を映してくれますね。
自分はニートもしくは引きこもり。あいつとは現実。社会生活。
現実は46時中つきまとい。
道徳的なテレビ番組はまるで自分を睨んでいるみたい。
家を出ようとすると現実が重くのしかかり、電車に乗ると家に帰りたい衝動にかられる。
現実逃避して山に逃げても、帰りのバスで現実に引き戻される。
人ごみにまぎれても現実からは逃げられない。
アフリカに現実逃避することでやっとこ社会から開放された。
まさに「自分探しのたび」「自分の居場所を求めてさ迷い歩く」話ですね。
アフリカへ行き、隠遁者としての道を究めたことでようやく社会生活からの重圧から開放されたということですね。
なんだか僕もアフリカにいって、自分を見つめなおしたくなってきました。。。
「あいつ=社会生活」というのは、ある意味で正解ですね。
miyatyu様、ありがとうございます。
2回答えて良いというので、すごく敷居が下がって答えやすくなりました。
さてさて、CMというのが僕の答えですがいかが?
>あいつからとうとう逃げ切ってやった。
>四六時中つきまといやがって。
→確かに!
>あいつに出会ったのはテレビを見ていたときだった。
>あいつは画面の向こうから俺を睨んでいた。
→TVのコマーシャルでしょう。
朝になると家の前で俺が扉を開けるのを待っている。
→新聞の広告ですね。
満員電車の中でもあいつはしぶとくついてくる。
→中吊り広告かと。
近くの山まで、こっそり逃げ出したことがある。
帰り道のバスの中で俺はあいつにつかまった。
→バスのポスター広告orアナウンス広告かと。
駅前で人ごみに紛れようとしても無駄だった。
笑顔であいつは俺の前に立ちはだかった。
→ティッシュくばりのアルバイト。
俺は今、アフリカのサバンナの奥地にいる。
流石にここまでは追ってこれなかったようだ。
→それはそうでしょうな。
だが、これもあいつの計算どおりなのだろう。
→残念、CM仮説だと、この行がすこし危ういのです・・・。
次に狙われるのはあなたかもしれない。
ほら、あなたの目の前に・・・
→ああ、今もネット広告を見させられていますね。
ぐはー、lionfanさんには見抜かれてしまいました。正解です。
>→バスのポスター広告orアナウンス広告かと。
言われてみれば、バスは「アナウンス広告」というオリジナルな広告媒体を持っていましたね。この発想はちょっとなかった^^
十分な回答を頂き、"乾杯です"という気分ですね。
>だが、これもあいつの計算どおりなのだろう。
>→残念、CM仮説だと、この行がすこし危ういのです・・・。
これは、CM/広告の本来の役目を考えていただければ納得していただけると思います。
鏡のことは分かっていて、鏡に映った自分は自分と認識できたが、
ガラスに映った自分は自分と認識できなかった。
サバンナの奥地に行けばガラスは無いけども、
水を飲もうと水面を覗き込んだら…、という感じでしょうか?
「あいつは自分」仮説に近いお答えでしょうか。「歪んだ自分の鏡像=あいつ」と捉えるという新しい視点ですね。
「サバンナの奥地に行けばガラスは無いけども、水を飲もうと水面を覗き込んだら…、」というのは、「ほら、あなたの目の前に・・・」の解釈ですね。なるほど、そう考えればそのようにも見えますね。
「あいつは自分の鏡像」仮説を自分も大変気に入ってしまったのですが、
「だが、これもあいつの計算どおりなのだろう。」の説明と、山の中及びサバンナで水溜りや穏やかな川及び池・沼にうつった自分の鏡像を見つける可能性があるという点で不正解とさせていただきます。
みなさま、ご回答どうもありがとうございました。よろしければ、http://q.hatena.ne.jp/1168944489もよろしくお願いします。
日本語に追われるというのは、大変オリジナリティーが高い回答ですね!
確かに日本で生きている以上、日本語からは逃げられませんからね。
主人公が日本から出なければならなかった理由を「日本が文明社会&資本主義経済であるから」とする本作よりも、もっとスマートに説明されている気がします。
「あいつは自分」仮説もありがとうございます。確かにパソコンも電源を落とせば、自分を映してくれますね。