相手を気遣おうとすると、独善になってしまいそうで怖いのです。かと言って、自主性を尊重してあげようとすると、冷たくて無関心だと取られます。
恋人、親友、家族、大切な人との相互信頼を保ちながら、お互いの違いを認め合い、自主性や価値観を尊重し合う関係を築いてゆくにはどうすればよいのでしょう。
あなたは大切な人との絆を深めるために、どんなことを心がけてきましたか?これからはどんなことを心がけていきたいとお考えですか?
あなたが大切な人を大切にするためのコツや心構えや経験から学び取ったこと、私に教えてください。
コメントがかなり断続的になるかもしれませんが、のんびりご回答いただけると幸いです。
http://gogen-allguide.com/i/ichigoichie.html
一期一会(いちごいちえ) - 語源由来辞典
上記URLは半分ダミーですが、真面目に回答します。
逆説的ですが、
「一期一会」、
「来るものは拒まず、去る者は追わず」
の心がけが大事だと思います。
相手に対して指摘する必要があると判断すれば指摘し、
必要がないと判断すれば指摘しなければいいだけだと思います。
結果よりプロセス、つまり相手を思いやる気持ちが大事だと思います。
そういった観点から考えると、
threecloudjp様は、
既に答えを見つけていらっしゃると思います。
「相手を気遣おうとすると、独善になってしまいそうで怖いのです。かと言って、自主性を尊重してあげようとすると、冷たくて無関心だと取られます。」
全くその通りです。
常にその事を考えて、
大切な人と付き合って行けば、
案外長続きするものですよ。
http://www.hatena.ne.jp/1098101549########
「ヤマアラシのジレンマ」を克服できず、今までの、そしてこれからの人間関係に自信をなくしています。 相手を気遣おうとすると、独善になってしまいそうで怖いのです。か.. - 人力検索はてな
threecloudipさん、またまたおじゃまします。
まるで突き放すような意見で、なんとなく言いづらい感じもしますが、私の思うことを。
たぶんこれを克服するための「コツ」とか「方法」はないでしょう。なにせ相手は生身の人間ですから。あなたと特定の誰かの信頼関係を築くのは、あなたとその人でしかない。ヤマアラシ同士はお互いに傷つき合いながら、お互いに認め合いながら、お互いの距離を見つけていくしかないんだと思います。相手が変われば相手の針の長さが違うので、やはりまた同じ道筋を辿って、そのヤマアラシとの距離を探さざるを得ない。
耳障りのいいアドバイスをしようと思えばできるんでしょうが、threecloudipさんに以前回答させていただいた件を踏まえて、あえて厳しい意見です。
これからきっと目指すものの先にはこういうことがいっぱいあるように思うのです。というのも、あなたが目指すものは人間相手のことだから。決して機械や物を相手にしようとしているのではないです。
私は今まで生きてきて「人間相手の仕事ほど難しいものはない」と感じています。人は人それぞれの個性を持ち、物のように変化しないものではなく、今日と昨日であっても違う時があります。それは自分自身も含めて。
だから「こうしたら正解」が明日になれば「不正解」ということも多々あります。
ではどうしたらいいのか。それはあなた自身が経験するしかない、あなた自身がその人と向かい合って、信頼できる距離を探すしかないと思う。
なんとなく仕事関係の話ではないように読み取れますが、いろいろな意味でくじけず頑張ってください。
ありがとうございます。
厳しいご意見歓迎です。でもおっしゃるほど厳しくないですよ(^-^)その通りだと思うことをハッキリ言っていただけて嬉しいです。
なんか陳腐なセリフですが、傷つくことから逃げようとしているだけかもしれません。
でも、それを怖がっていたら前には進めないですよね。
私が人間関係の悩みから克服するために心がけたことは、
・一定の距離を置く
・依存しない
です。
また、なるべく大切にしたい人との共通の課題や目標を再認識した上で、一緒に取り組むことです。
”仮想敵国”は人間関係を深めることができますよ
ありがとうございます。
「一定の距離を置く」「依存しない」
私の場合、距離を置こうとすると置きすぎて疎遠になってしまいます。「つかず離れず」とよく言いますが、それがなかなかできない。一定の距離を保持することができないんです。
「仮想敵国」いいですね!確かに大切だし、人間関係を深めるのに効果大だと思います。ありがとうございます。
ひとまず相手の事は考えないで、ありのままの自分でやってみたらどうでしょうか。
「相手を気遣おうとすると、独善になってしまいそうで怖いのです。かと言って、自主性を尊重してあげようとすると、冷たくて無関心だと取られます。」とあなたは書いていますが、自分だけがそう思っているだけで、他人はそう思っていないかもしれません。
他人がなんと言おうが、自分らしく生きれば良いじゃないですか。
自分が思ってるように他人が自分の事を思ってくれるとは限りませんよ。
ありがとうございます。
つまり、自分の投げかけた言動が相手にどのように受け止められるかは相手次第なので、悩んでも仕方ないよ、ということですよね。
好かれる?…「最低限の常識を持った大胆なアクションをときどき起こす」と、信頼関係を保てるということでしょうか。
なんだかよさそうな感じはします。
ありがとうございました。
http://www.hatena.ne.jp/1098101549
「ヤマアラシのジレンマ」を克服できず、今までの、そしてこれからの人間関係に自信をなくしています。 相手を気遣おうとすると、独善になってしまいそうで怖いのです。か.. - 人力検索はてな
まず、自分が確固たる自分であり、あり続けることが重要だと思います。
自分という存在は60億分の1以上でも以下でもありません。
それが虚飾のない人間関係の第一歩だと思い実践しています。
ありがとうございます。
そうですね。同じようなご回答が続くということはそれが私の課題なのかな、やっぱり。
http://www.hatena.ne.jp/1098101549#
「ヤマアラシのジレンマ」を克服できず、今までの、そしてこれからの人間関係に自信をなくしています。 相手を気遣おうとすると、独善になってしまいそうで怖いのです。か.. - 人力検索はてな
「人と人とは所詮分かり合えない」
これが全てではないでしょうか。
同じ物を見たとしても同じようには感じません。どんなに通じ合っていると思っても、
それは自分の思い込みでしかないのです。
それでも。それでも。
私は、同じ物を見て同じように感じたいと思います。
共感したいと思います。
共感する「努力」をしたいと思います。
ありがとうございます。
「所詮分かり合えない」ところからスタートして、それでも「努力」すること。
読みながら、励まされました。
(URLはダミーです)
私は「話を聞く体勢」をいつも持っていようと思っています。
話を聞いてすぐに「それはこうじゃない?」とか答えを出すのではなく、とにかく話し自体を
ゆっくりと聞く体制と時間を整えます。
真に答えを求めらる場合以外は、自分の思いや考えを伝えるよりも、しっかり相手の気持ちや
思いを受け止める体制を作っていること。心がけているのはそのくらいです。
でも、とことん付き合うことを喜んでくれる人はとても多いですよ(*^-^*)
相手が求める答えを読んでそれを答えてあげるということもよくやりましたが、
本当に大切な人にはそれはできないですね。
人付き合いは難しいです。悩むことも多いし、自分が傷ついてしまうことも多いと思います。
どうぞ優しさとゆとりを持って頑張ってください^^
暖かいご回答、ありがとうございます。
以前は友人から「聞き上手だね」とか「あなたには他の人には言えないようなことも相談できる」と言われることが多かったのですが、ある時期から「ホントにそれでいいのかな?」って思うようになったんですね。聞いてばっかりで、相手の気持ちを汲んでばっかりで、それで本当に相手のためになってるのかなって…。「本当に大切な人にそれはできないですね。」っておっしゃっているのも、きっとそういうことだろうと思います。
それで、私なりに何かアドバイスできれば、と思って自分の意見を伝えたりもするのですが、なんだかダメなんですね。余計なお世話って感じで。空回ってしまいます。
それは、本当に相手にとって必要な意見じゃないからかもしれないですよね。
やっぱり「聞く」ことはとても大切なことですね。
>話を聞いてすぐに「それはこうじゃない?」とか答えを出すのではなく、とにかく話し自体を
ゆっくりと聞く体制と時間を整えます。
>真に答えを求めらる場合以外は、自分の思いや考えを伝えるよりも、しっかり相手の気持ちや
思いを受け止める体制を作っていること。
これは本当に大事だと思いました。ありがとうございました。
@nifty
「言葉」が大事なのではないでしょうか。こちらが気を使ったり、自主性を云々て言っても結局そのthreecloudjpさんの気持が
相手に伝わっていないと、相手も冷たく感じたり、信用されて無いとか思ってしまうかもしれませんね。
直接的でなくても良いと思いますが、こちらの思いも伝えた方がよいかもしれませんね。参考にならないようでしたらポイントは結構です。
ありがとうございます。
言葉にして伝えることですね。
参考にならないなんてことはありません。感謝です。
Yahoo! JAPAN
URLはダミーです。まずはわかりやすい、客観視できる共有できる価値を通じて人と付き合うよう心がけるのが重要ではないでしょうか?技術を身につける、一般的な話題ができるようになる。自分の経験から言っても生の人間どうしのやり取りはあまり牧歌的なものではないし、人によっては苦手でも仕方ないと思います。物理的に建設的な関係なら自然と心理的にも建設的な関係になるものです。
ありがとうございます。
よくわかります。多分私は技術が足りないのです。
経験値が足りないのかな。そんな気がします。
URLは私の意見とはあまり関係ありません。
あくまで参考ってことで。
私の考えですが、まずは自分と他人は“違う”ってことを認識することじゃないでしょうか?
自分のモノサシで相手を測ってはいけないと意識するといいと思います。
自分がコントロールできないもの=他人の感情に対して、必要以上に気をもまないようにするのも大事なんじゃないでしょうか。
大切にするためのコツですが、まずは相手を“認める”ことじゃないかと。
初めから否定するのではなく、まずは認め、それから“一緒に”その問題をよい方向に導いていけるようにしていくことができれば・・・。
ありがとうございます。
自分ではあまり意識していなかったのですが、私の質問からは「相手の反応に気を揉みすぎる」「相手の感情をコントロールしようとして悩んでいる」というようなところが察せられるのかな、と、これまでのご回答を読みながら感じました。
前から自覚はしていましたが、やっぱりここが原因のような気がします。
「一緒に」問題をよい方向へ導こうとすることですね。
Yahoo! JAPAN
アドレスはダミーです。早急に,自分の中で答えを出し,それを口に出すなり,行動してしまうなりしないよう,注意することができます。そうする前に,相手がどう思い,何故そう行動したか,よく考えてみます。どんな行動にも,それなりの理由があるものです。まずは,大切に思っている人の,話すこと,に注意を集中し,その話をさえぎらず,最後まで耳を傾けるようにします。相手が,「この人は,自分のことを大切に思ってくれてる」という事実に気付くためには,必ずしも,多くの言葉を必要とするわけではありません。地道に,頑張って下さい。
ありがとうございます。
相手の話を、最後まできちんと聞くことですね。
http://www.nifty.com/dictionary/
@nifty:URL変更のお知らせ
↑ダミーです
私が大切な人を大切にする為に心がけていることです。
”余計な事を言わずにちょっとまってみる”
”まつ”って大変です。でも人間って時間がたつと気持ちや考え方が変わったりしますよね^^。時間の経過とともに見えなかったコトが見えてくることもあるでしょうし、状況も変わるでしょう。
>「ヤマアラシのジレンマ」を克服できず、今までの、そしてこれからの人間関係に自信をなくしています。
克服する必要もないと私は思っております。
今のthreecloudjpさんの考え方は数時間前と同じですか?
相手を想う心を持っているthreecloudjpさんはそれだけで素晴らしい!
暖かい励ましのお言葉、本当に感謝です。
質問したときと比べると、すでに変わってきています。
「待つ」ことって確かに大変ですね。
どうして大変なのかというと、もどかしさや焦りを感じてしまうからで、なんでもどかしくなるかというと、つまり、相手を自分の思うように動かしたいと思っているから、なんだろうな。私の場合は。
そういうことに、この数時間で気付いてきました。
恋人、親友、家族、大切な人との相互信頼を保ちながら、お互いの違いを認め合い、自主性や価値観を尊重し合う関係を築いてゆくにはどうすればよいのか、ということは永遠の大問題だと思います。恋愛関係なんて特にそうです。
かつて、私も人間関係で悩んだことがありました。でも、考えてみれば、解決法なんてないのです。
たとえば、有名な「囚人のジレンマ」。
これを説明したページで一番しっくりしたのが、上記のURLです。
それによると、「一般にゲームの理論的状況とは 自らの行動に対して相手がおり、
その相手の出方を十分考慮した上で自らの行動を決定し、自分の行動と相手の行動が相俟って1つの結果を生じる 」
ですから、「ヤマアラシのジレンマ」も「囚人のジレンマ」も同じようなことを言っているのです。「囚人のジレンマ」の方がはるかに単純化してますが。
実際の人間関係を考えるときは「ヤマアラシのジレンマ」の方がぴったり来ますが、
解決法は同じ。人間関係を円滑にすすめていくためにお互いがほどほどのところで妥協し、互いにそこそこの利益をもたらす一定のポイントを探る、それしかないんだと気づき、それまでの黒白はっきりさせる、
all or nothing的な考え方に陥らないようにする、そう心がけるだけで随分と楽になりました。
「だいたいでいいんじゃない」
ぴたっと来ないかもしれませんが、特に「大切な人」に対しては「一定の距離」が必要です。それをつかみとるためには完全主義ではだめです。「囚人のジレンマ」だって克服が難しいのですから、はるかに複雑な人間関係をぴたっとうまく行かせることは不可能なのです。
ありがとうございます。
囚人のジレンマ、知られている話よりもう一歩深いところまで説明してあって、とても興味深く読ませていただきました。
質問文を書いて、質問ボタンを押す直前になんか我ながらなんとも言えないイヤな感じがしたんですが、今読み返して理由がわかりました。ちょっと理想を追いすぎですね。
傍から見て、お互いのことを深く理解していて慈しみ合ってて羨ましいなぁと思うような人たちも、実は結構だいたいのラインで一定の距離を保ってたりするんでしょうか。私がそういう人たちのこと、勝手に理想化してただけなのかしら…
URLはダミーです。
一つは、相手に、あまり求めすぎないこと。
たとえ自分の価値観と違ってもそれはそれでいい、って思うことじゃないでしょうか。
また、たとえ自主性を尊重しても、それだけで冷たく無関心になるとは限らないと思います。
自主性を尊重しても「暖かく見守る」ということもできるのではないでしょうか。
自分から押し付けるのではなく、相手に求められたり、相手のために何か
してあげたほうがいいときに、はじめて手を差し伸べればいいと思います。
あと、個人的に、自分の意思で行動している以上、どうしても独善か偽善かのどちらかに
なっしまうと思っています。もちろん、相手の気持ちを推し量る努力は必要ですが
あまりに独善を恐れすぎては相手にとって必要なこともできなくなっちゃうと思います。
ありがとうございます。
相手に求められたときに手を差し伸べられる人。
私のひとつの目標です。
相手が本当に助けを必要としているかどうか見極める目が最近なんかすごく鈍ってきているのを感じて、焦っているのです。それでいらん世話ばっかり焼いちゃうんだろうか…。
http://www.wood.co.jp/kotowaza/kotowaza758.html
k-inetことわざ-2-編集
私もずいぶん前に人間関係で悩んだことがありました。
そのときに助言していただいたのが、「人を嫌いにならない」ことでした。
相手が自分に対してどう思っていようとも、こちらからは常に好意的に接するように心がけました。もちろん今もその気持ちは続けています。
特に「気を遣う」とかでなく、普通に自然にしかし好意的に相手に接することで、自然に信頼関係みたいなものができてくるのではないでしょうか。そして、お互いの自主性も尊重できるのではないでしょうか。
また、信頼関係が築けてもちょっとした言葉の行き違いや、誤解でお互いが気まずい雰囲気になってしまうこともあります。私はその場合も、特に普通と変わらないように接しています。ただ、元の信頼関係に戻るまで、言葉には気をつけ、相手の言いたいことを聞くようにしています。聞き手に回ることでその人がどう考えているか、少しでも軌道修正の参考になるようにしています。
「瓜田に履を納れず李下に冠を整さず」
これは、私の座右の銘です。
もちろん、疑われるような行動は慎むと言う意味ですが、言葉にも共通するのではないでしょうか。
あまり気を遣いすぎることによって、相手からこちらの気持ちを誤解されたりするのではないでしょうか。
そうならないためにも、普通に、自然に、好意的にです。
ありがとうございます。
読みながら、肩の力が抜けてとても暖かい気持ちになりました。
会社であらぬ誤解を受けて辟易することが最近多く、相手に対して不快さを感じると同時に何か自分がとても配慮の足りない人間のように思えて悩んでいました。
「人を嫌いにならないこと」「相手が自分に対してどう思っていようとも、普通に、自然に、好意的に」ですね。すごく気分が楽になりました。やってみようと思います。ありがとうございます。
http://www.anizoku.net/check/szc/
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URLダミーです、が面白いんで遊んでください。
何も身構える必要なんて無いんじゃないでしょうか。使い古された陳腐な言葉で言えば、「人は一人では生きられない」んですから。酒でも酌み交わし、胸襟を開いて話せる友人が一人いれば、十分に素敵なことだと思いますよ。自分を偽らずにいれば、きっと大丈夫です。まぁ自分がどんな人間か分からないから悩むんでしょうが。
私の友人に抜き身の刀身の様な生き方をしている者がいます。本人に他意はなくても相手を傷付けてしまい、やがて彼の元からは多くの友人が去って行きました。それでも、私は彼の親友でありたいと願い、彼も私の親友でありたいと願ってくれています。抜き身の刀も振るい続けれはやがて刃こぼれをし、丸くなるもんです。
本当に大切な人ならば、2,3ヶ月連絡を取らなくてもドコかで繋がっているもんだと思います。
もっとも、コレは野郎に限られた回答かも知れませんが。。。
参考になったでしょうか?
ありがとうございます。
そうですね。自分がどんな人間かわからないから悩むんだと思います。これは自己規定っていうか「私はこんな人間なんだな」と自分で決めることが大切なように思います。「ホントの自分」って、どこか秘境を探検しないと見つからない宝物みたいなものじゃなく、日々の積み重ねがそのままホントの自分なんだし。
身構えることはないんですよね。ホント。
私の知り合いにも似たようなような生き方の人がいます。けど、彼にもやっぱり、無二の親友がいるんですよね。
自分を偽らずにいれば大丈夫、との言葉が胸に沁みました。十分参考になりました。ありがとうございます。
ちなみに私のストライクゾーンは18〜35歳とのことでした。意外と広いのね。(女だけど)
NIKKEI NET(日経ネット):日経の最新ニュースを速報
URLは無意味です。
相手が話すペースに任せて、相手の話を聞くことかな。その際、こちら側がすることは、相手の言っていることをオウム返しでまとめてみることです。決して、ああせいこうせいという助言は要りません。結局のところ、人は自分の採るべき道は自分で選ぶのが、その人の最も満足するものとなるのだと私は考えてます。このことに鑑みて、先の助言はむしろ相手の自主性を否定する方向に働くので、有害です。ただし、相手が、相手自身は気がつかないが思わしくない方向に行こうとしているときは、どうしてそういうことをするのかを先ず聞いてみることです。聞いてみてから、相手に疑問に思うことを話してみてはどうでしょうか。
ありがとうございます。
>相手が、相手自身は気がつかないが思わしくない方向に行こうとしているときは、どうしてそういうことをするのかを先ず聞いてみることです。聞いてみてから、相手に疑問に思うことを話してみてはどうでしょうか。
この部分は本当にそうだと思いました。
オウム返しでまとめてみることですね。
http://www.fukkan.com/vote.php3?no=8177
「山アラシのジレンマ」 遠藤淑子 復刊リクエスト投票
私も覚えがあります。相手に良かれと思ってしたことが伝わらなくて、よく泣いたものです。自己満足といってしまえばそれまでなのですが、昔読んだ漫画(漫画が嫌いでしたらごめんなさい)で、遠藤淑子先生が書いていた「山アラシのジレンマ」というのがあるのですが、その中で、ヤマアラシ同士が二本足で立ち上がったら抱き合えるのでは?というフレーズがありました
(おなかのところには針がないといっていました)。お互いが協力し合うというのは難しいことです。相手の心を理解するということも、難しいです。まだ、犬や猫たちの方がとても素直でわかりやすいです。人間ほど難しいものはないと思います。
自分自身に自信がもてなくなります。
でも、自分が自分を信じないと相手のことも信じられなくなると思います。自分の心に疑いをもって接すると、なんとなくでも相手に伝わってしまうような気がします。自分に正直に生きていくのは、この世の中では難しいことですが、これが一番大事なことじゃないかなと私自身もそう思ってがんばってます。
なんだか、きれいごとばっかりいってるみたいですいません。
ありがとうございます。
「2本足で立ち上がる」と聞いて、なんとなく「精神的な自立」を連想しました。
きれいごとで解決できないこともあるけれども、でもやっぱり、なるべくきれいごとを大事にして生きていきたいのです。
難しく考えたり妙に力んだりせずに、自分の気持ちに素直に生活することなのかな、と思います。
最近思ったのですが、私は「自立」と「意地を張ること」を取り違えていたのかもしれません。
ありがとうございます。
>「一期一会」、
>「来るものは拒まず、去る者は追わず」
>の心がけが大事だと思います。
>相手に対して指摘する必要があると判断すれば指摘し、
>必要がないと判断すれば指摘しなければいいだけだと思います。
自分の行為が相手に与える影響を気に病むより、思いやろうとする気持ちそのものが一番大切なのかもしれないですね。