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日本野球機構オフィシャルサイト

PACIFIC LEAGUEパシフィック・リーグ

パシフィック・リーグ略史

1949
11月26日 東京、毎日新館セント・ポールに於て「国際的視野に立つ職業野球」として太平洋野球連盟結成式を行う。
1950
3月11日 毎日-西鉄、阪急-南海(西宮)で選手権試合開始。毎日・戸倉がパ・リーグ第1号本塁打を打つ。(投手木下)
5月5日 仙台宮城球場の球場開きに毎日-大映、毎日-南海のカードが組まれたが、午前8時頃多数のファンが殺到し、死者3名、負傷者26名を出す事故が発生する。
7月5日 大映-毎日(後楽園)の第2試合が、パ・リーグ初のナイトゲームで行われる。パ・リーグのナイター初本塁打は毎日・戸倉。
12月9日 パ・リーグ選抜渡米チームの壮行試合として、渡米チーム対新鋭選抜チーム及び東西対抗試合を行う。9日、10日(西宮)、11日(大阪)、16日、17日(後楽園)。
1951
1月30日 西日本パイレーツがセ・リーグを脱退し西鉄と合併。
2月11日 パ・リーグ選抜チームがハワイ遠征に出発。(4月7日帰国)
2月28日 「西鉄クリッパース」は「西鉄ライオンズ」に改称。
3月18日 大阪、西宮両球場でパ・リーグ第1回トーナメントを行う。
6月21日 全国プロフェッショナル野球協約発効。
10月7日 米大リーグ選抜チーム来日のため日本シリーズを10月10日開始としたことにより、連盟選手権試合を打ち切る。
11月13日 岡山球場で行われた全パ対米大リーグ選抜の試合で、全パが日本のプロ野球チームとしては初めて米国プロ野球チームから勝利する。
12月1日 野球選手統一契約書発効。
1952
2月14日 常任理事会で今年度より変則的ながらフランチャイズ制を採用することを決める。
7月16日 西鉄-毎日(平和台)日没ノーゲームが宣告されようとした際、グラウンドに侵入した観衆によって審判員、選手が包囲、殴打される。(平和台事件)
1953
1月30日 今年度勝率3割5分を割った球団は来年度選手権試合を休場することに決定。
8月23日 阪急-毎日(西宮)NHKでTVプロ野球初中継。
11月6日 毎日がフィリピン遠征に出発。
11月28日 実行委員会で両リーグ公式戦使用球の規格検査をコミッショナー事務局で管理すると決定。
12月14日 来年度は勝率3割5分に達しない球団に対し500万円の制裁金を科すことを決定。
12月25日 高橋龍太郎氏をオーナーとする新球団の加盟を承認。(1954年2月4日「高橋ユニオンズ」、本拠地球場は川崎球場)
1954
2月1日 「東急フライヤーズ」は「東映フライヤーズ」に改称。
3月19日 後楽園球場に於て「パ・リーグ8球団制記念トーナメント」を行う。(22日まで)
11月17日 今シーズン勝率3割5分に達しなかった大映は制裁金500万円を科せられる。
1955
1月17日 「高橋ユニオンズ」は「トンボ・ユニオンズ」に改称。
2月23日 イースタン・リーグ結成。5球団制。
3月1日 ウエスタン・リーグ結成。7球団制。
10月13日 閉幕。トンボは勝率3割5分を割り、制裁金500万円を科せられる。
1956
1月14日 「トンボ・ユニオンズ」は「高橋ユニオンズ」に改称。
2月2日 南海がハワイ遠征に出発。(2月27日帰国)
11月28日 勝率3割5分に達しなかった球団への制裁金制度を廃止。
1957
1月12日 スタルヒン(元トンボ)が自動車事故で逝去。40歳。(20日青山葬儀所でプロ野球葬)
2月25日 大映、高橋両球団の合併決定。3月21日「大映ユニオンズ」となる。
3月21日 大阪球場で「パ・リーグトーナメント大会」を行う。(24日まで)
4月6日 大映-東映(後楽園)岸首相が始球式。
11月24日 毎日-大映両球団の合併を承認。11月28日「大毎オリオンズ」設立。(12月18日承認)
1958
3月28日 西宮、大阪両球場で「6球団制記念トーナメント」を行う。
5月10日 東映-南海(駒沢)東映・山本八郎は角田審判員を殴打、退場を命じられたが再度同審判員を殴打し、14日に無期出場停止が科せられる。(6月23日に解除)
1959
1月12日 「近鉄パールス」は「近鉄バファロー」に改称。
2月5日 総裁輪番制廃止。中沢不二雄氏が初代専任会長に就任。
2月11日 実行委員会で、パ・リーグがサスペンデッド・ゲームの規則を採用することを承認。
5月30日 東映-近鉄(駒沢)東映・山本八郎は近鉄・加藤昌利を殴打し連盟会長より指示あるまで試合出場を停止される。(9月1日に解除)

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1960
1月15日 東映はハワイ遠征に出発。
3月1日 西鉄・大下の引退試合が平和台で行われる。
7月17日 皇太子ご夫妻が大毎-南海(後楽園)をご観戦。
1961
4月27日 南海-近鉄(大阪)外野のモヤが深く7回から外審を増やし初の7人制審判で行う。
5月13日 社会人野球協会は、中日が日本生命の柳川選手を引き抜いたことから「今後プロ野球退団者は一切受け入れない」と発表。(1997年12月8日解除を発表)
5月20日 西鉄-東映が沖縄奥武山球場でリーグ初の国外公式戦として行われる。
6月3日 阪急-近鉄(西宮)近鉄・ブルームは観客から野次られ、スタンドで暴力を振るう。
6月24日~29日 近鉄は24日から6日間連続、雨で試合が中止となる。(7試合)
1962
2月1日 「近鉄バファロー」は「近鉄バファローズ」に改称。
6月13日 沖縄遠征、阪急-大毎。(13、14日)
11月10日 東映は国鉄と韓国で非公式戦4試合を行う。
11月16日 実行委員会で来年から馬皮球使用を決める。
1963
3月4日 第1回新人選手研修講座開講。(1968年まで)
5月13日 4月7日の南海-近鉄(大阪)サスペンデッド・ゲーム続行試合の開始にあたって、投手交代をめぐり、試合開始が13分遅れる。
7月22日 オーナー理事合同会議で、公式戦において国歌演奏と国旗掲揚の実施を決定。
8月7日 東映‐近鉄(神宮)近鉄・ブルームは中根塁審に退場を命じられ、同審判の脅迫事件の原因となる。
11月2日 東映は大洋と韓国で非公式戦7試合を行う。
1964
1月13日 南海・村上雅則投手は野球留学生として、サンフランシスコ・ジャイアンツと契約。(9月1日に大リーグ昇格、その後翌シーズンの契約を結び、南海との間で問題が起こる)
1月16日 「大毎オリオンズ」は「東京オリオンズ」に改称。
1月25日 東京は単独チームとしては初の海外キャンプ(マウイ島)に出発。
8月21日 理事会で西鉄・西代表が新人採用方式改革に関する具体案を提出。(新人プール採用方式)
1965
3月5日 西鉄を退団した若林忠志氏が胃がんのため逝去。57歳。(8日青山葬儀所でプロ野球葬)
4月16日 審判にキャプテン制を設けることを決定。
4月22日 合同会議で、本年度から選手採用制度を実施することを決定。
4月27日 村上問題は、今年1年村上がアメリカでプレーすることで解決。
6月9日 中沢不二雄会長が有馬温泉宿舎で逝去。72歳。(12日青山葬儀所でプロ野球葬)
8月13日 松浦晋氏が会長に就任。
11月17日 13日に就任した南海・蔭山新監督が急性副腎皮質機能不全のため逝去。38歳。8日に辞任した鶴岡前監督が復帰。
11月17日 第1回ドラフト会議が日生会館で開かれる。
1966
2月10日 西宮球場に電光スクリーンと雨天練習場完成。
3月5日 日本教育テレビ(NET)と業務協定を結ぶ。
6月5日 阪急-東映(西宮)東映・ラーカーは1回表に色つきバットを使用、久保山球審が初球ファウル後に気づき取りかえさせる。
11月1日 東映がブラジル遠征に出発。
12月19日 審判員の技術向上をはかるため技術部を設けることを決定。
1967
6月8日 阪急・スペンサーは、南海戦(西京極)の試合前に記録席の中沢記録員に対し、前日の試合(西宮)における同選手のプレーに失策が記録されていることにつき説明を求め、その回答を聞くや、同記録員のスコアカードを破り捨てる。(戒告と制裁金5万円)
7月19日 東映-近鉄(後楽園)東映・白は3-5の9回裏無死一・二塁で左翼席に打球を放つが、一・二塁間で一塁走者の吉田正を追い越しアウト。幻の逆転サヨナラ本塁打となる(記録は単打、打点2)。チームは延長10回で敗戦。
7月30日 東京-阪急(東京)阪急・住友二塁手は2回裏無死一・二塁から無補殺三重殺を記録。
10月27日 東映は中日と帯同試合のため韓国へ出発。
11月3日 西鉄、東映は帯同試合のため沖縄へ出発。
11月13日 東京・永田オーナーは、オーナー会議に「交流試合」を提案。
12月22日 実行委員会で審判管理委員会規定を可決。
1968
2月3日 審判管理委員会は両リーグ交流審判員を決める。期間は1年間。(1970年まで交流する)
4月26日 松浦晋会長は、東京・三原橋付近で道路を横断中、車にはねられ重体。29日に逝去。(5月9日青山葬儀所でプロ野球葬)
7月3日 西鉄-東京(小倉)東京・ロペスはパ・リーグ通算10000号本塁打を打つ。(投手池永)
7月21日 東京-近鉄(東京)近鉄・荒川はバットで東京・榎本を殴ってこん倒させる。(8月9日南千住署は暴行の疑いで荒川を書類送検)
8月14日 南海-阪急(大阪)阪急・スペンサーは1回表、私服で次打者席に出る。(制裁金1万円)
10月11日 阪急と南海はともに1試合を残して79勝50敗で並び史上初の首位決定試合の可能性があったが、阪急が東京に11回裏サヨナラ勝ち(矢野のサヨナラ本塁打、終了6時21分)、南海が近鉄に敗れた(終了6時29分)ため、阪急の優勝が決まる。
11月1日 岡野祐氏が会長に就任。
1969
1月18日 東京オリオンズと株式会社ロッテ製菓との間に業務提携が成立、名称も「ロッテ・オリオンズ」となる。
3月14日 西鉄・宇佐美和雄投手は、午後9時すぎ西鉄の雨天練習場で練習中、チームメートの打球を左胸部に当て、同35分に死亡。18歳。
4月1日 南海野球株式会社を発展的解消し、株式会社南海ホークスを設立発足。
5月18日 阪急-近鉄(西宮)近鉄・ジムタイルは2回表に本塁打を打ったが、一塁の手前で左足肉離れを発症。代走・伊勢がベース一周する。
10月7日 西鉄は永易将之投手が暴力団と関係をもち、公式試合で敗退行為を行っていたため、シーズン終了後に解雇することを決める。
11月28日 コミッショナー委員会は西鉄・永易将之を永久失格にする。

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1970
1月19日 コミッショナー委員会は全球団に、ポストシーズンの自主トレーニングに監督・コーチがユニフォームを着用して参加することを禁止する通達を出す。
2月27日 阪急・中谷準志コーチが胃かいようの手術後肝不全のため逝去。51歳。
5月23日 東映-近鉄(後楽園)東映・白は露崎球審に激しく暴力を振るい退場を命じられる。(24日に制裁金と2試合出場停止の処分。25日露崎審判員は白を告訴。28日和解)
5月25日 コミッショナー委員会は、西鉄の与田順欣、益田昭雄、池永正明の3選手を永久失格に、船田和英、村上公康を本年11月末日まで一切の野球活動を禁止、基満男を厳重戒告の裁決。
7月30日 コミッショナー委員会は、東映・森安敏明を永久失格、田中調を厳重戒告処分とする。
11月19日 トレード活性化を目的とした第1回選抜会議が日生会館で開かれる。(1973年まで)
1971
1月25日 ロッテ製菓はオリオンズの球団経営肩代りを全面的に受入れ、球団会長に重光武雄氏、新オーナーに中村長芳氏の就任を発表。
3月25日 南海・杉浦の引退試合が大阪球場で行われる。
5月3日 ロッテ-東映(東京)東映は10回表二死から5打者連続本塁打のプロ野球新記録。
8月17日 東映・大川博オーナーが肝硬変で逝去。74歳。
1972
1月16日 ロッテ・浜浦投手とサンフランシスコ・ジャイアンツのF・ジョンソン外野手の日米初のトレードが成立。
4月14日 東映-阪急(後楽園)1回裏、阪急・梶本は露崎二塁審判に野球規則8.04(塁に走者がいないとき投手はボールを受けた後20秒以内に打者に投球しなければならない)を適用され、ボールを宣告される。
9月26日 阪急-南海(西宮)阪急・福本はシーズン105個目の盗塁に成功。当時の米大リーグ記録は、1962年モーリー・ウィルスの104個。
10月27日 西鉄・木本オーナーは、球団を中村長芳氏に譲渡すると発表。
11月9日 実行委員会で西鉄の株式移動および名称変更を承認。(太平洋クラブ・ライオンズ)
11月20日 パ・リーグオーナー懇談会で来年度より2シーズン制の実施を承認。
1973
2月7日 実行委員会で東映が日拓に全株式を譲渡することを承認。(日拓ホーム・フライヤーズ)
2月24日 近鉄は専用球場を日生から藤井寺に移すことを決める。(10月13日藤井寺球場のナイター設備建設工事をめぐる裁判で大阪地裁は条件付きで工事中止を命じる決定を下す)
5月26日 南海はスミス選手が22、25日の試合に無断欠場したことに対し、無期限の自宅謹慎処分にすると発表。(6月22日に解除)
6月1日 太平洋-ロッテ(平和台)ファンが騒いだため、ロッテの選手は試合終了後1時間にわたり球場から出られず、機動隊が出動する。
9月28日 コミッショナーが、来年度から牛皮ボール使用を決定する。(1962年まで牛皮、1963年から1973年は馬皮、1974年から牛皮)
11月19日 緊急実行委員会で、日拓ホームが日本ハムヘ株式を譲渡することを承認。(日本ハム・ファイターズ)
12月21日 実行委員会でロッテが本拠地を暫定的に東京都から宮城県に変更することを承認。
1974
2月8日 株式会社東京スタジアムが解散を決定。
2月19日 本年度より採用のセーブ10以上投手を対象とする「最多セーブ」表彰が決定。
5月9日 コミッショナーは、失跡した日本ハムのバール・スノーを無期限の失格選手とする。
5月23日 太平洋-ロッテ(平和台)試合終了後、ロッテの選手は群衆に取り囲まれ、1時間20分後、機動隊に守られ装甲車で球場を脱出。
7月16日 本年度より優秀審判員を選定することを決定。
7月21日 打者のイアフラップヘルメット着用を義務化。
9月29日 日本ハム‐南海(後楽園)日本ハム・高橋博士は1試合で全ポジションを守る。
11月18日 パ・リーグオーナー懇談会は来年度より2年間を試行期間として指名打者制採用を決める。
1975
3月26日 日本ハムが大リーグのニューヨーク・ヤンキースと技術援助協定を締結。
10月23日 親善野球のため、ロッテと選抜チームが韓国に出発。
1976
1月27日 実行委員会で最優秀新人の資格が「5年以内で打者は60打席、投手は30イニング以内の者」に緩和される。
3月1日 後楽園球場は日本初の全面人工芝となる。
4月29日 日本ハム-近鉄(後楽園)日本ハム・行沢は8回裏一死満塁で左翼席に打球を放つが、一・二塁間で一塁走者・服部を追い越しアウトになる(記録は単打、打点3。プロ初安打)。
5月14日 照明設備のない球場での日没によるサスペンデッド・ゲーム採用を決定。
10月12日 太平洋クラブ・中村オーナーはチーム名を「クラウンライター・ライオンズ」に改称すると発表。(15日リーグ承認)
1977
1月20日 審判員に退場を命じられた監督・コーチ・選手に制裁金を科すときは10万円以下とする。(1987年12月26日制裁金額制限を廃止)
審判員に腕番号をつけることを決める。
「最多セーブ」を廃し、セーブポイント(セーブ+救援勝利)による「最優秀救援投手賞」を設ける。
5月6日 理事会で、これまで禁止されていたテレビカメラの外野席設置を、バックスクリーン区域を除いて許可。
8月13日~18日 近鉄は13日から6日間連続、雨で試合が中止となる。
9月20日 日本ハム-近鉄(後楽園)タッグプレイをめぐり乱闘中、近鉄のブルペン捕手・岩木が日本ハム・加藤に暴力を振るい、退場処分。
10月4日 実行委員会でロッテが保護地域を神奈川県に移すことを承認。(本拠地球場は川崎球場)
1978
2月11日 クラウンライター・江田孝コーチは島原キャンプ初日に脳梗塞のため逝去。54歳。
3月7日 理事会が、一般公募の詞による曲「白いボールのファンタジー」を連盟歌と認定。
3月23日 西宮球場の外野の人工芝敷設工事完成。
7月20日 日本ハムは7月1日の南海戦(大阪)よりこの日の南海戦(神宮)で20連戦。
8月10日 岡野祐会長辞任。
10月1日 工藤信一良氏が会長に就任。
10月12日 緊急実行委員会およびオーナー会議でクラウンライターの経営権を西武に委譲し、保護地域を福岡県から埼玉県に移すことを承認。(西武ライオンズ)
1979
1月13日 ハーフスイングの際、球審は塁審のアドバイスを受けられることとなる。
2月9日 西武がフロリダ・キャンプに出発。オープン戦を米国でのみ19試合行い、4月3日帰国。

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1980
1月1日 パシフィック・ベースボール・リーグとなる。
3月24日 パシフィック野球連盟が正式名称となる。
4月8日 近鉄-ロッテ(日生)ロッテ・山内監督が、近鉄の攻撃の際にコミッショナーの合格印を押印していないボールを使用していると抗議。
6月6日 日本ハム-阪急(後楽園)試合前、阪急選手のティー打撃の打球がネットを破り観客に当たり重傷を負わす。(7日会長は観客席に向かっての打撃練習禁止の規則厳守を通達)
7月30日 コミッショナーはバットの製造販売会社に、1981年からの含浸加工のバット(圧縮バット)を禁止する通達を出す。
10月1日 南海-西武(大阪)南海・門田はパ・リーグ通算20000号本塁打を打つ。(投手東尾)
10月2日 南海-阪急(大阪)9回表二死一・三塁、金城の一塁けん制でランナーアウト。しかし阪急側からボークだとの抗議があり、55分間中断後ゲームセットが宣告される。
11月7日 ロッテは親善試合のため韓国へ出発。
12月3日 西武・板澤峰生選手が急性心不全のため逝去。19歳。
1981
2月4日 勝利打点の採用が決まる。(10月28日「最多勝利打点」の表彰が決定。1988年まで)
2月21日 ア・リーグ審判員D.デンキンガー、M.スプリングステッド両氏を招き、28日まで各キャンプ地で審判員の講習会を行う。
4月1日 〔エキサイティング・リーグ「パ」〕のキャンペーンをシーズン通して行うことを発表。
7月7日 ロッテ・三宅宗源は帰化が認められ、外国人選手枠からのぞかれる。
7月23日 工藤信一良会長が脊髄腫瘍のため逝去。75歳。(8月6日青山葬儀所でプロ野球葬)
7月23日 ロッテ-近鉄(金沢)ロッテ・倉持投手が右手中指にテープを巻いた状態で投球練習をしていると近鉄から指摘があり、球審が除去を命じる。しかし次の回再び確認の申し出があり調べたところ、テープを巻いているのが発見された。審判団協議中にロッテは投手を梅沢に代える。(倉持に厳重戒告と制裁金10万円、山内監督と五十嵐球審に厳重戒告)
7月31日 南海-西武(大阪)南海・門田が月間16本目の本塁打を打つ。(プロ野球新記録)
9月10日 福島慎太郎氏が会長代行に就任。
11月17日 パ・リーグ選手会が福島会長代行に1シーズン制復活の要望書を提出。
1982
2月5日 今年度より指名打者の“偵察要員”が禁止される(相手チームの先発投手が交代しない限り一度は打撃を完了しなければならない)。
7月30日 福島会長代行は、審判員に危険球に関する通達を出す。
8月12日 近鉄‐阪急(日生)阪急は先発5番指名打者に投手の山沖を記入する。1回表一死満塁で打席に立ち見逃三振。※2月5日参照
11月24日 パ・リーグオーナー懇談会で来年度は1シーズン制の日程を採用し、プレーオフを加える試合方式にすることを決定。
1983
1月7日 ロッテは高橋博士選手を自由契約選手指名申請し、連盟会長経由でコミッショナー事務局より公示される。高橋選手はこれを不当とし、1月26日連盟会長に提訴。
2月16日 「ロッテ球団と高橋氏は参稼報酬年額1,137万5千円で速やかに1983年度の選手契約を締結するものとする」主旨の連盟会長裁定が下される。3月18日、連盟は高橋氏をロッテの支配下選手として契約承認番号登録公示。26日、高橋選手は任意引退を申し出、連盟はこれを公示。
4月7日 福島会長代行が会長に就任。
実行委員会で、本年度のオールスターゲームにおいて試験的に指名打者規則を使用することが了承された。
6月3日 西武-阪急(西武)阪急・福本は通算939個目の盗塁に成功。当時の米大リーグ記録はルー・ブロックの938個。
1984
1月20日 実行委員会は、日本シリーズにおいて1985年から隔年で指名打者規則を使用すること及びオールスターゲームでの指名打者規則は両チームと両リーグが了承した時に限り使用することを決定。
4月11日 日本ハム-西武(後楽園)日本ハム・大宮の折れたバットが西武・黒田捕手の頭に当たる。これをきっかけにコミッショナーが5月から3カ月間、折損バットの調査を行う。
5月25日 コミッショナーが実行委員会で乱数表禁止の提案をする。(6月8日より実施)
7月19日 西武-阪急(西武)1対1の同点から7回表簑田は勝ち越しの本塁打を打ったが、この回途中で降雨コールドゲームになったため本塁打は取り消される。(6回終了の引分試合)
1985
1月4日 南海・久保寺雄二選手が急性心不全のため逝去。26歳。
7月31日 近鉄は7月15日に引退した鈴木啓示投手の背番号1番を永久欠番にすると発表。
11月14日 理事会で、1983年度から実施しているプレーオフ制度の廃止を決定。
1986
1月9日 「勝率第一位投手」の表彰資格を、規定投球回数から13勝(チーム試合数の10分の1)以上に変更する。
6月13日 西武-近鉄(西武)近鉄・デービスは東尾の投球を右ヒジに受け、東尾に暴力を振るい退場処分。(14日~23日まで10日間の出場停止と10万円の制裁金を科せられる)
1987
1月27日 実行委員会は、日本シリーズでの指名打者規則はパ・リーグ球団がホームチームの時に使用し、セ・リーグ球団がホームチームの時は使用しないことを決定。
2月6日 ダークブラウンの着色バットの使用を認める。
4月2日 福島慎太郎会長が大腸がんのため逝去。80歳。(22日青山葬儀所で合同葬)
5月21日 堀新助氏が会長に就任。
7月6日 実行委員会で、ラバーフェンスのない球場は公式戦に使用しないことを決定。
10月20日 西武-ロッテ(西武)西武は指名打者を使用せず。(指名打者制採用後初)
12月28日 平和台球場の外野席から、平安時代の外交施設・鴻臚館の遺構が発掘される。
1988
2月6日 マウンドの高さを10インチ(25.4センチ)に統一する。
2月15日 元パ・リーグ会長・岡野祐氏が急性心不全のため逝去。78歳。
3月17日 日本初のドーム球場「東京ドーム」完工。
4月23日 南海ホークスオーナー・川勝傅氏が脳梗塞のため逝去。86歳。(5月23日吉村茂夫氏オーナーに就任)
6月7日 近鉄・デービスが大麻取締法違反(大麻所持)の現行犯で逮捕される。27日野球協約の「不適格選手」にあたるとして解雇。
6月17日 南海スコアラー・西村省一郎氏が心筋梗塞のため逝去。47歳。
10月1日 実行委員会ならびにオーナー会議で、選手権試合終了後に株式会社南海ホークスの参加資格を株式会社ダイエーに譲渡し、保護地域を福岡県に変更することが承認される。(11月1日発足、福岡ダイエーホークス)
10月19日 ロッテ-近鉄(川崎)ダブルヘッダー第二試合は、規定による時間制限で延長10回4対4の引き分けとなり、近鉄はチーム最終戦での逆転優勝を逃す。
10月21日 実行委員会で株式会社阪急ブレーブスの参加資格をオリエント・リース株式会社に譲渡することを承認。保護地域は兵庫県。(11月4日発足、オリックス・ブレーブス)
12月27日 1989年より表彰項目に「最多三振奪取」を加えることを決定。
1989
10月5日 近鉄バファローズオーナー・佐伯勇氏が肝不全のため逝去。86歳。(11月8日上山善紀氏オーナーに就任)

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1990
2月11日 パ・リーグ審判部、労働組合結成。
2月20日 捕手の防護用ヘルメット着用を義務づける。
6月6日 日本ハム-近鉄(東京ドーム)近鉄・ブライアントの打球は二塁後方の天井にあるスピーカーに当たり、東京ドーム初の認定本塁打。
6月23日 西武-ロッテ(西武)ロッテ・金田監督は高木球審のボーク宣告を不服として暴力を振るい退場処分。(6月24日から7月23日まで30日間の出場停止と制裁金100万円)
11月1日 「オリックス・ブレーブス」は「オリックス・ブルーウェーブ」に改称。
1991
1月16日 湾岸戦争勃発で、コミッショナーが海外キャンプの再検討を要望。西武がマウイでのキャンプを中止。ダイエー(カウアイ)、近鉄(サイパン)は予定どおり行う。
1月22日 原野和夫氏が会長に就任。
5月29日 近鉄-オリックス(日生)11回表オリックス・シュルジー投手は、1975年指名打者制採用後では初めての投手本塁打を打つ。
9月4日 実行委員会はロッテ・オリオンズが保護地域を1992年度より千葉県に変更することを承認。
11月21日 「ロッテ・オリオンズ」は「千葉ロッテマリーンズ」に改称。
12月4日 千葉ロッテ・荘勝雄は、帰化が認められ外国人選手枠からのぞかれる。
1992
2月13日 スピードアップのため、野球規則8.04の20秒ルールを15秒ルールとして導入。
4月21日 近鉄、日本ハム、福岡ダイエー、千葉ロッテ4球団が7勝5敗で首位に並ぶ。(10試合以上消化で4球団首位は両リーグ初)
5月15日 福岡ダイエー-近鉄(平和台)8回一死一塁、近鉄・清川は投手から一塁へ回り、二死後再び投手へ。指名打者制採用後、投手から守備に回るのは初めて。
6月6日 西武-福岡ダイエー(西武)福岡ダイエー・広永は代打でパ・リーグ通算30000号本塁打を打つ。(投手潮崎)
1993
4月2日 福岡ドーム竣工記念、パ・リーグトーナメントを行う(4日まで)。常陸宮ご夫妻がご観戦。
4月10日 三笠宮殿下が開幕戦オリックス-千葉ロッテ(神戸)をご観戦。
8月1日 公式記録員の帖地益雄氏がウエスタン・リーグ阪神-近鉄(高砂)の試合中に急性心不全で死去。44歳。
8月9日 パ・リーグ初の「球団社長会議」開催。
11月2日 フリーエージェント(FA)制度発効。
11月10日 千葉ロッテが中日と帯同し、韓国で親善試合を行う。(16日まで)
1994
4月1日 朝日ソーラーシリーズ’94「パ」を福岡ドームで行う。(3日まで)
8月7日 上位4球団が0.5ゲーム差。西武(49勝39敗)、福岡ダイエー(50勝40敗1分)、オリックス(48勝39敗1分)、近鉄(49勝40敗1分)
9月14日 日本ハム-オリックス(東京ドーム)オリックス・イチローはプロ野球新記録となるシーズン192本目の安打を打つ。
9月20日 オリックス-千葉ロッテ(神戸)オリックス・イチローはプロ野球史上初のシーズン200安打を達成。
10月6日 今シーズンから「最多安打賞」の新設を決定。
1995
2月12日 公式戦の審判員6人制(1964年から全試合)を1996年より4人制に切り替えることを発表。
2月16日 西武スコアラー・植上健治氏はマウイキャンプ中に急性心不全のため逝去。39歳。
4月1日 オリックス-千葉ロッテ(神戸)オリックス・佐藤が2リーグ制以降の最年長開幕投手(40歳6カ月)となる。
5月9日 オリックス-西武(富山)8回裏二死から西武の指名打者デストラーデが登板。指名打者解除で指名打者が登板するのは初めて。
7月22日 オリックスにマジック43が点灯。7月中のマジック点灯は1965年の南海(7月6日)以来30年ぶり。
9月17日 日本ハム‐福岡ダイエー(東京ドーム)日本ハム・デューシーは福岡ダイエー・坊西捕手への暴力行為で16日に続く退場処分。2日連続の退場処分はプロ野球史上初。
11月21日 審判員4人制に備え、ジム・エバンス氏ら大リーグ審判5人を招き日米アンパイア・アカデミーを開催。(24日まで、千葉マリン)
1996
2月5日 オリックス・野村貴仁投手がパ・リーグ初の「調停」を申請。原野連盟会長ら調停委員会は3月1日、オリックスの提示する参稼報酬額3900万円を妥当な金額と認定。野村投手の主張する6500万円を退けた。
3月2日~10日 「第1回日米審判交流プログラム」が実施され、村越、東両審判員が、米国フロリダ州で行われた大リーグオープン戦にパ・リーグで初めて出場。(8試合)
3月16日~24日 審判交流として、大リーグ審判4人が来日してオープン戦に出場。(14試合)
8月1日 中継ぎ投手の公式表彰として、「最多ホールド投手賞」を新設。
9月23日 オリックス-日本ハム(神戸)オリックスが、イチローの二塁打でサヨナラ勝ちし、優勝決定。
9月30日 吉國コミッショナーは、「97、98年の2シーズン、27回戦総当たりの計135試合に試合数を増加する」との裁定を下す。
1997
1月13日 千葉ロッテが大リーグのサンディエゴ・パドレスと業務提携を締結。
1月20日 オリックスが韓国プロ野球の現代ユニコーンズと業務提携を締結。
4月30日 6球団が1ゲーム差以内に接近(パ・リーグ初)。①千葉ロッテ・オリックス、③福岡ダイエー・近鉄(0.5)、⑤日本ハム・西武(1.0)
8月24日 近鉄-千葉ロッテ(大阪ドーム)近鉄は延長12回の末、リーグ史上初の10点差逆転勝利(11対10)を収める。
8月29日 西武が大リーグのタンパベイ・デビルレイズと業務提携を締結。
8月31日 8月度のリーグ観客数が2,169,000人となり、1ヵ月の入場者数最高を記録する。
10月3日 西武-福岡ダイエー(西武)西武が、鈴木健の本塁打でサヨナラ勝ちし、優勝決定。
11月1日 オリックスが中日と帯同し、韓国で親善試合を行う。(2日まで)
1998
2月9日 前年告発された脱税事件に関与した選手(起訴10人、不起訴9人)に、コミッショナー制裁(出場停止、制裁金)が科される。
5月15日 オリックス-福岡ダイエー(神戸)打順表に四番指名打者で記載されたオリックス・ニールが試合開始直前に腹痛を訴えたため、仰木監督が指名打者変更を申し出たが野球規則により認められなかった。1回裏ニールは先制2点本塁打を打ち交代する。
6月16日~27日 近鉄-千葉ロッテ(同一カード)で試合時間が5試合連続で4時間を超える。
8月28日 リーグ創設通算20000試合(プレーオフ32試合を除く)に達する。
9月23日~24日 上位4球団(西武・日本ハム・福岡ダイエー・近鉄)が1ゲーム差以内。9月以降では初。
11月14日 西武は台湾に遠征し3試合を行う。(17日まで)
12月2日 「福岡ダイエーのサイン盗み疑惑」が一部で報じられる。21日、第三者による調査機関「パ・リーグ特別調査委員会」発足。
1999
1月18日 パ・リーグ特別調査委員会は、福岡ダイエーのサイン盗み疑惑に対し「間違いなく行われていたとの確証は得られなかったものの、疑惑を完全に払拭することはできない」とする最終調査報告を発表。(村上球団社長が戒告と6ヵ月間球団社長職務停止、岸谷代表が1カ月間代表職務停止)。
2月1日 アマチュア選手が初めてプロ野球各球団のキャンプに参加。海外キャンプの近鉄、ヤクルトを除く10球団のキャンプに、4人ずつ参加。
2月13日 監督会議の申し合わせで、野球規則8.04の20秒ルールを12秒ルールとして導入。
4月1日 「近鉄バファローズ」は「大阪近鉄バファローズ」に改称。
9月3日 大阪近鉄は8月28日の日本ハム戦からこの日までプロ野球ワーストの5試合連続2ケタ失点を記録。
9月11日~17日 韓国ソウルで行われたシドニー五輪アジア予選にプロ選手8人が参加。パ・リーグからは6選手が出場。史上初のプロ・アマ合同の日本代表チームは16日五輪出場権を獲得。17日決勝で韓国に敗れ準優勝。
11月18日 オリックスは台湾で親善試合3試合を行う。(22日まで)

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2000
3月3日 オリックスは、ファームチームの名称を「サーパス神戸」とすることを発表。穴吹工務店とのスポンサー契約によるもので、3月31日のウエスタン・リーグ開幕から変更。
3月10日 第1回パ・リーグ改革委員会開催。
7月22日 オーナー会議で2001年の公式戦を140試合制で行うと決定。(7月17日実行委員会で合意)
8月30日 131試合連続中止試合なし。(6月29日~8月30日・試合実施日52日)
9月17日~27日 シドニー五輪にプロ選手8人が参加。パ・リーグからは6選手が出場。日本代表チームは予選を4勝3敗で通過も、準決勝(対キューバ)、3位決定戦(対韓国)に敗れ4位に終わる。
10月13日 福岡ダイエー・藤井将雄投手が肺がんのため逝去。31歳。
10月31日 実行委員会はユニホームおよびヘルメットへの商標ロゴの掲出を認める。(50平方センチ以下。縦、横、斜めが11センチ以下)
12月20日 オリックス・イチローは、日本人初のポスティングでシアトル・マリナーズに移籍する。
2001
1月1日 小池唯夫氏が第8代専任会長に就任。
3月13日 大阪近鉄が大リーグのロサンゼルス・ドジャースと業務提携を締結。
6月20日 西武-大阪近鉄(西武ドーム)試合中の球種伝達疑惑で、バックネット裏の大阪近鉄スコアラーに審判員から「警告」が発せられる。
8月31日 福岡ダイエーが大リーグのボストン・レッドソックスと友好関係協定を締結。
9月26日 大阪近鉄-オリックス(大阪ドーム)大阪近鉄・北川博敏が、優勝決定試合では史上初となる代打逆転満塁サヨナラ本塁打を打つ。
10月5日 全日程終了。中止試合は史上最少の13試合。
10月7日 西武・ミゲール・デルトロ投手は、メキシコ帰国後に交通事故により逝去。29歳。
2002
3月30日 川島コミッショナーの要望により「全国分散開幕」を実施。パは札幌、大阪、福岡、セは東京(東京ドーム)、名古屋、広島。
5月14日~15日 台湾(台北市天母)で日本プロ野球初の公式戦2試合(福岡ダイエー-オリックス)を開催。
7月4日 実行委員会は日本ハム・ファイターズが2004年度より保護地域を北海道に変更することを承認。(本拠地球場は札幌ドーム)
7月18日 日本ハムが大リーグのアリゾナ・ダイヤモンドバックスと業務提携を締結。
9月5日 131試合連続中止試合なし。(2000年とタイ・7月10日~9月5日・試合実施日47日)
10月14日 西武・伊原監督は新人監督最多の90勝を記録。
2003
1月1日 「株式会社大阪近鉄バファローズ」は「株式会社大阪バファローズ」に社名を改称。
1月28日 渡邉孝男(西武自由契約→サンワード貿易)は、日本ハムの支配下選手となる。(社会人に所属する元プロ選手がプロへ再入団するのは2002年の日本野球連盟規則改正後初めて)
2月10日 大阪近鉄が中国野球リーグの上海ゴールデンイーグルスと業務提携を締結。
2月18日 理事会は2004年度に導入するプレーオフ制度の骨子を決定。
3月31日 オリックスの本拠地「グリーンスタジアム神戸」がプロ野球初のネーミングライツで「Yahoo! BB STADIUM」に改称。
5月19日 コミッショナー裁定により、来季からの135試合制とプレーオフ実施が決定する。
11月5日~7日 アテネ五輪アジア予選(札幌ドーム)に史上初の全員プロ選手(24名)のドリームチームを結成。パ・リーグからは8選手が出場。3戦全勝の1位で五輪出場を決める。
2004
1月1日 「日本ハム球団株式会社」は社名を「株式会社北海道日本ハムファイターズ」、チーム名も「北海道日本ハムファイターズ」にそれぞれ改称。
1月31日 大阪近鉄はチームの命名権を売却する方針を打ち出すが、2月5日に白紙撤回する。
5月17日 大阪近鉄・鈴木貴久コーチが急性気管支肺炎のため逝去。40歳。
6月13日 オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズが、合併へ向けて協議に入ると発表。
8月15日~25日 アテネ五輪に史上初めてプロ選手のみにより構成された代表チームを派遣。パ・リーグからは12選手が出場。3位決定戦でカナダを破り、2大会ぶりのメダル獲得。(銅メダル)
9月8日 オーナー会議でオリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの統合を正式承認。
9月18日~19日 日本プロ野球選手会はプロ野球史上初のストライキを決行。2日間でパ・セ両リーグ各6試合ずつの計12試合とイースタン・リーグ5試合が中止となる。
9月20日 北海道日本ハム-福岡ダイエー(札幌ドーム)北海道日本ハム・SHINJOは同点(12-12)の9回裏二死満塁で左翼席に打球を放つが、一・二塁間で一塁走者の田中幸を追い越しアウト。幻のサヨナラ満塁本塁打となる。(記録は単打、打点1)
9月29日 臨時オーナー会議で2005年度に各カード6試合(ホーム・ビジター各3試合)のパ・セ交流試合を実施することを承認。
9月30日 1978年に作られた連盟歌「白いボールのファンタジー」が26年ぶりに復刻、CD化され、初めて市販される。
10月29日 実行委員会で2005年公式戦を136試合制(交流戦36試合を含む)で行うことを決定。
11月2日 オーナー会議で株式会社楽天野球団(東北楽天ゴールデンイーグルス)の新規参入を承認。
12月1日 オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの統合により、社名「オリックス野球クラブ株式会社」、球団名「オリックス・バファローズ」となる。
12月6日 オリックスは専用球場を「Yahoo! BB STADIUM」から「大阪ドーム」に変更。
12月24日 臨時オーナー会議で、ダイエーからソフトバンクへの球団株式譲渡を承認。
2005
1月17日 理事会は、西武が3月1日からファームチームの名称を「インボイス」とすることを了承。
1月22日 東北楽天は専用球場名を「フルキャストスタジアム宮城」とすると発表。
1月25日 実行委員会で観客数を実数で発表すると決定。
1月26日 今季から「最優秀救援投手賞」(セーブ+救援勝利)を「最多セーブ投手賞」へ、「最優秀中継ぎ投手賞」の規定をホールドからホールドポイント(ホールド+救援勝利)へ変更する。
1月27日 12球団監督会議で、パ・セの交流試合、日本シリーズ、オールスターゲームにおける「危険投球、投手の投球間隔、監督またはコーチがマウンドに行く回数、監督の異議申し立ての時間」を統一する。
1月28日 ダイエーからソフトバンクへの球団株式譲渡が完了。社名「福岡ソフトバンクホークス株式会社」、球団名「福岡ソフトバンクホークス」、専用球場名「福岡Yahoo! JAPANドーム」とすることを発表。
2月14日 「Yahoo! BB STADIUM」を「スカイマークスタジアム」に改称。
3月1日 「西武ドーム」を「インボイスSEIBUドーム」に改称。
3月9日 千葉ロッテが、開催を発表していた韓国での公式戦(6月28日釜山、29日仁川)中止を決定。
4月18日 福岡ソフトバンク‐オリックス(ヤフードーム)福岡ソフトバンク・バティスタは、8回にパ・リーグ通算40000号本塁打を打つ。(投手山口)
4月25日 根來コミッショナーは、池永正明氏(元西鉄)の永久失格処分解除を決定。
5月6日 プロ野球初のセ・パ交流戦がスタート。
7月23日 プロ野球規則委員会は、監督会議でいわゆる「二段モーション」を不正投球とし、2006年から厳正に対処することを確認。
8月27日 西武-楽天(インボイス)西武・西口は、9回まで完全投球をするも延長に入り、28人目の打者(沖原)に安打され完全試合を逃す。(延長で完全試合を逃したのはプロ初)。
11月10日~13日 アジア4カ国(日本、韓国、中国、チャイニーズ・タイペイ)のそれぞれの優勝チーム(中国は選抜チーム)で争うアジアシリーズが開催され、日本代表の千葉ロッテが初代アジアチャンピオンチームとなる。
11月20日 理事会でプレーオフ制度の一部変更(1位チームに無条件でアドバンテージを与えるなど)を決める。
12月19日 実行委員会はオリックスの専用球場を「大阪ドーム」から「スカイマークスタジアム」に変更することを承認。
2006
1月1日 オリックスはファームチームの名称を「サーパス神戸」から「サーパス」に改称。
3月20日 第1回ワールド・べースボール・クラシック(2006WBC)で、王貞治監督率いる日本代表は、決勝でキューバを10-6で下し、初代世界チャンピオンの座に就く。パ・リーグからは16選手が出場。大会で3勝をマークした西武・松坂大輔投手がMVPに選出された。
4月3日 実行委員会は、西武球団の親会社であったコクドとプリンスホテルの合併により、球団の親会社がプリンスホテル(球団株式100%保有)となることを承認。
4月15日 福岡ソフトバンク‐北海道日本ハム(ヤフードーム)北海道日本ハム・八木は、先発し延長10回まで無安打無失点に抑えるも降板(補回まで投げ、無安打のまま降板は初)。日本ハムは武田久、MICHEALと3人の継投で延長12回を無安打無失点に抑え、1-0で勝利。
5月21日 東京ヤクルト-福岡ソフトバンク(神宮)試合終了時刻が翌日午前0時12分。パ・リーグのチームによる「2日がかり」の試合は史上初。
6月20日 交流戦終了。パ・リーグは、2年連続でセ・リーグに勝ち越し(108勝107敗1分)を決める。
7月1日 「大阪ドーム」を「京セラドーム大阪」に改称。
9月4日 実行委員会は、2007年公式戦を144試合制(交流戦24試合を含む)で行い、両リーグ同一形態のポストシーズンゲーム(後にクライマックスシリーズと命名)を実施することを決定。
10月1日~11月22日 9年ぶりに復活したハワイ・ウインター・ベースボール(HWB)に、パ・リーグ各球団は計19名の選手を派遣。
10月31日 理事会は、パ・リーグ・オールスター東西対抗を本年度で休止と決定。(11月は「国際月間」とする球界の流れに加え、日程的にも困難が伴うことや選手会の意向等を考慮した結果)
11月9日~12日 第2回アジアシリーズが開催され、北海道日本ハムが優勝。2年連続でパ・リーグからアジアチャンピオンが誕生。
12月4日 実行委員会は、西武がファームチームの名称を「インボイス」から「グッドウィル」とすることを承認。
2007
1月1日 「インボイスSEIBUドーム」を「グッドウィルドーム」に改称。
1月23日 実行委員会はオリックスの専用球場を「スカイマークスタジアム」から「京セラドーム大阪」に変更することを承認。
3月6日 実行委員会は育成選手のオープン戦出場を認めることを決定。
4月2日 実行委員会は今秋のドラフト会議から「希望入団枠」を廃止することを正式に決定。
5月14日 パ・リーグ6球団はリーグ振興を目的とした共同事業会社「パシフィック・リーグマーケティング株式会社(PLM)」の設立を発表。
6月4日 実行委員会は、2004年からオリックスと阪神に認められていた大阪府と兵庫県のダブルフランチャイズ制を、3年の期限が切れる今季限りにすることを確認。(2008年からオリックス・大阪府、阪神・兵庫県が保護地域)
7月27日 ヤフードームで行われる予定(ナイター)だった、福岡ソフトバンク対西武戦が、航空機の故障で西武の移動が遅れたため中止となる。航空機の不具合が原因の中止は、史上初。
8月10日 NPB(日本プロフェッショナル野球組織)アンチ・ドーピング特別委員会は、禁止薬物のフィナステリドが検出された福岡ソフトバンク・ガトームソンに出場停止20日、球団に制裁金750万円の処分を科すと発表した。
12月1日~3日 北京五輪アジア予選(台湾)パ・リーグからは10選手が出場。3戦全勝で五輪出場を決める。
2008
1月1日 西武ライオンズはチームの名称を「埼玉西武ライオンズ」に改称。
「フルキャストスタジアム宮城」を「日本製紙クリネックススタジアム宮城」に改称。(2月15日「クリネックススタジアム宮城」に改称)
1月8日 「グッドウィルドーム」を「西武ドーム」に改称。
1月21日 実行委員会は、埼玉西武がファームチームの名称を1月9日付で「グッドウィル」から「埼玉西武ライオンズ」とすることを承認。
4月16日 開幕から68試合連続中止なし。(パ新記録)
4月17日のオリックス-福岡ソフトバンク(スカイマーク)が雨天中止。
6月14日 東北楽天‐巨人(Kスタ宮城)が岩手・宮城内陸地震の影響で中止となる。(プロ野球初)
7月7日 実行委員会で、トレードの期限を7月31日にすることを承認。
8月13日~23日 北京五輪にパ・リーグからは12選手が出場。3位決定戦で米国に敗れて4位。
10月1日 北海道日本ハムは、パ・リーグ初のホーム・ビジター全試合で中止なしとなる。
11月16日 第4回アジアシリーズで、埼玉西武がパ・リーグで3度目のアジアチャンピオンとなる。
11月17日 実行委員会は、西武球団の親会社がプリンスホテルから西武鉄道(球団株式100%)に移行することを承認。(預かり保証金などはなし)
12月31日 両リーグの会長職が廃止される。
2009
1月19日 実行委員会はオリックスがファームチームの名称を同日付で「サーパス」から「オリックス・バファローズ」とすることを承認。
3月24日 第2回ワールド・ベースボール・クラシック(2009WBC)で、原辰徳監督率いる日本代表は大会2連覇を達成。パ・リーグからは12選手が出場。松坂大輔投手(ボストン・レッドソックス)は2大会連続でMVPに選出される。
4月3日 6年ぶりとなる金曜日開幕。パ・リーグ3球場合計で102,475人の観客を動員し、実数発表となった2005年以降、平日(祝日でない月曜日~金曜日)観客動員の最多記録となる。
6月11日 交流戦、千葉ロッテ-広島東洋(千葉マリン)千葉ロッテは6回裏、1イニングでのプロ野球新記録の打者20人、15打点、15得点、14連続得点をマーク。大松の1イニング3打席、3打数(三飛、右二、右飛)もプロ野球史上初。
7月2日 埼玉西武-千葉ロッテ(西武ドーム)は、パ・リーグ球団同士の対戦では史上最長の5時間42分。(延長12回、9-8で千葉ロッテ勝利)
8月18日 北海道日本ハムの選手、コーチが新型インフルエンザに集団感染したことが明らかになる。
10月8日 実行委員会は、インフルエンザに伴う特例措置を10月9日から発効することを決定。インフルエンザに罹患し出場選手登録を抹消された選手については、通常の10日間を経ずに再登録を可能とする。
10月21日 クライマックスシリーズ第2ステージ第1戦、北海道日本ハム-東北楽天(札幌ドーム)北海道日本ハム・スレッジは9回裏、ポストシーズン(日本シリーズ、プレーオフ、クライマックスシリーズ)ではプロ野球史上初となる逆転満塁サヨナラ本塁打を打つ。(スコア9-8)
12月7日 理事会は、2010年シーズンから、ホームランか否かの判定に疑義が生じた場合に限り、リプレイ映像を参考にすることを決定。

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2010
1月17日 北海道日本ハム・小林繁コーチが心筋梗塞のため逝去。57歳。
2月5日 オリックス・小瀬浩之選手が、宮古島キャンプ中の宿舎で転落死。24歳。
3月18日 PLMは、マニュライフ生命保険株式会社を2010年度パ・リーグ6球団の共通スポンサーとすることを発表。また、6球団のプロモーションサイト「PACIFIC LEAGUE.JP」を開設、パ・リーグ6球団の主催試合を有料ライブ配信することを発表。
3月28日 千葉ロッテ-北海道日本ハム(千葉マリン)千葉ロッテ・西岡の本塁打判定の際、パ・リーグで初めてリプレイ映像を使用。以後シーズン終了までに、パ・リーグ球団関連試合の11件でリプレイ映像を使用。このうち審判員の判定がリプレイ検証で変更されたのは3件。
6月7日 千葉ロッテが対東京ヤクルト戦(神宮)の7回に、オリックスが対広島東洋戦(福山)の6回に、それぞれイニング10打者連続安打のプロ野球新記録を樹立。
6月16日 交流戦終了。パ・リーグ全6球団が勝ち越し、初めて1位から6位を占める。
8月23日 NPBは2011年シーズンから各球団が統一して使用する一軍公式戦試合球を、ミズノ社製の低反発球とすることを発表。
10月19日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、千葉ロッテが福岡ソフトバンクを破り、両リーグ通じて初めて3位からの日本シリーズ出場を決定。
2011
1月1日 「クリネックススタジアム宮城」を「日本製紙クリネックススタジアム宮城」に改称。
1月28日 埼玉西武と涌井秀章投手から申請があった参稼報酬調停について、参稼報酬調停委員会(熊﨑勝彦委員長)は、涌井投手の2011年度の参稼報酬額を2億5300万円に決定したと発表。
2月14日 「スカイマークスタジアム」を「ほっともっとフィールド神戸」に改称。
3月1日 「千葉マリンスタジアム」を「QVCマリンフィールド」に改称。
3月11日 東日本大震災が発生。兵庫県明石市で行われていたオープン戦、東北楽天-千葉ロッテは、8回表終了でコールドゲームとなる。
3月21日 パ・リーグ臨時オーナー会議は、東日本大震災の影響を考慮し、開幕日を3月25日から4月12日に延期すること、4月中の東北電力・東京電力管内における試合はデイ・ゲームとすること、3時間30分を超えて新しい延長回に入らない時間制限を設けることを決定。
3月26日 12球団オーナー・実行委員合同会議は、4月12日パ・セ同時開幕とクライマックスシリーズ、日本シリーズの2週間延期を決定。
5月26日~6月4日 北海道日本ハムはプロ野球タイ記録となる52イニング連続無失点を記録。
5月28日~6月3日 北海道日本ハムはプロ野球タイ記録となる5試合連続無失点勝利を記録。
9月5日 実行委員会は、クライマックスシリーズ、日本シリーズでは3時間30分の時間制限を設けないことを決定。
10月3日 実行委員会は「クライマックスシリーズ出場球団のレギュラー・シーズン終了からクライマックスシリーズ初戦まで10日間以上期間が空く場合には、自動的に全選手の出場選手登録を抹消する」ことを決定。
10月10日 福岡ソフトバンクはオリックス戦での勝ち越しを決め、セ・リーグとの交流戦を合わせ、史上初の「11球団に勝ち越し」を達成。
11月5日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、福岡ソフトバンクが埼玉西武を破り、2004年からのプレーオフ、クライマックスシリーズ制度下では初の日本シリーズ出場を決定。
2012
1月24日 理事会は、今シーズンからサスペンデッド・ゲーム規定の適用を停止することを決定。
実行委員会は、2011年に引き続き、公式戦では3時間30分を超えて新しい延長回に入らない時間制限ルールを設けることを決定。
3月1日 PLMは、パ・リーグ6球団ポータルサイト「PACIFIC LEAGUE.JP」をリニューアル。PC、スマートフォン、タブレット端末でパ・リーグ公式戦全試合を視聴できる「パ・リーグTV」のライブ配信サービスを開始。
3月30日 レギュラー・シーズン開幕。両リーグとも、メンバー交換を試合開始5分前に行うことになる。
5月1日 埼玉西武は、前身の西鉄で活躍した稲尾和久投手の背番号「24」を、ライオンズ史上初の永久欠番とすることを発表。7月1日に西武ドーム、4日にヤフードームで、「稲尾和久 生誕75周年 メモリアルゲーム」として、全選手、監督、コーチが24番をつけた西鉄ライオンズ復刻ユニホームで試合を行う。
10月8日 オリックス・西勇輝投手はパ・リーグで12年ぶりの無安打無得点試合を達成。チームのシーズン最終戦での達成は2リーグ制後初。
10月9日 レギュラー・シーズン終了。千葉ロッテ・角中勝也選手は日本の独立リーグ出身選手として初めてNPBのタイトル(首位打者)を獲得。
10月19日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、北海道日本ハムが福岡ソフトバンクを破り、日本シリーズ出場を決定。
2013
1月11日 北海道日本ハムは、高校で監督経験のある阿井英二郎氏のヘッドコーチ就任を発表。
2月1日 「福岡Yahoo!JAPANドーム」は「福岡 ヤフオク!ドーム」に改称。
3月2日~19日 第3回ワールド・ベースボール・クラシック(2013WBC)で、山本浩二監督率いる日本代表はベスト4に終わる。パ・リーグからは15選手が出場。
3月7日 実行委員会は、3時間30分を過ぎて新たな延長回に入らない時間制限ルールの撤廃を決定。
6月11日 NPB選手関係委員会と選手会との間で持たれた事務折衝で、統一球の仕様が2011年、2012年の仕様から変更されていたことが対外的に明らかになる。
8月30日~9月5日 パ・リーグ6球団が、自球団の歴史や伝統に関係するユニフォームを着用してプレーする「レジェンドシリーズ」を開催。
9月4日 北海道日本ハム-福岡ソフトバンク(東京ドーム)は、パ・リーグ球団同士の試合としては史上最長の6時間1分(延長12回、9-7で福岡ソフトバンク勝利)。延長12回制の試合としては、2009年7月2日の埼玉西武-千葉ロッテを更新し両リーグ史上最長。
9月26日 東北楽天は西武ドームで埼玉西武を逆転で下し、創設9年目で初のリーグ優勝。
9月28日 元パ・リーグ会長・堀新助氏が逝去。94歳。
10月13日 レギュラー・シーズン終了。東北楽天・田中投手は24勝無敗でシーズンを終える。
10月21日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、東北楽天が千葉ロッテを破り、初の日本シリーズ出場を決定。
11月3日 東北楽天は、日本シリーズ第7戦で巨人を破り、初の日本一。
2014
1月1日 「日本製紙クリネックススタジアム宮城」は「楽天Koboスタジアム宮城」に改称。
3月28日 レギュラー・シーズン開幕。北海道日本ハム-オリックス(札幌ドーム)の試合時間は、開幕戦では史上最長となる5時間2分。(延長12回、6-5で北海道日本ハムがサヨナラ勝利)
4月14日 臨時機構理事会は、本年度の交流戦において、従来とは逆のセ・リーグ球団主催試合で指名打者ルールを採用し、パ・リーグ球団主催試合では採用しないことを決定。
8月11日 12球団代表者会議は、2015年、2016年のセ・パ交流戦の試合数を18試合とすることを決定。
9月7日 北海道日本ハム・大谷はオリックス戦で今季10号の本塁打を打ち、プロ野球史上初の同一シーズン二桁勝利・二桁本塁打を達成。
10月2日 福岡ソフトバンクはチーム最終戦でオリックスを延長10回、松田のサヨナラ安打で破り、リーグ優勝を決める。チーム最終戦サヨナラ勝利での自力優勝決定はプロ野球初。
10月7日 レギュラー・シーズン終了。最終順位は、前年の上位3球団と下位3球団が完全に入れ替わる。(NPB史上初)
5月に埼玉西武に入団したメヒアは、途中入団選手としては初の本塁打王となる。(同僚・中村と並ぶ34本塁打。同一チームから同時に本塁打王が生まれるのも史上初)リーグ入場者数は1024万2478人(1試合平均23,709人)で、実数発表となった2005年以降では初の1000万人突破。
10月31日~11月2日 千葉ロッテが台湾でLamigoモンキーズと交流試合を行う。
12月26日 福岡ソフトバンクは、福岡 ヤフオク!ドームの左中間、右中間のフェンスを従来の位置より前方に新設することを発表。
2015
3月1日 「西武ドーム」は「西武プリンスドーム」に改称。
3月2日 実行委員会は、ドラフト会議の指名順を決定する「球団順位の逆順」のリーグ優先権を、オールスター・ゲームの勝敗結果からセ・パ交流戦で勝ち越したリーグが獲得することに変更すると決定。
3月27日 レギュラー・シーズン開幕。東北楽天・則本は新人から3年連続で開幕投手を務める。(1958~60年南海・杉浦以来、リーグ史上2人目)
3月29日 東北楽天・聖澤が継続していた外野手連続守備機会無失策(連続シーズン、プロ野球記録)が927でストップ。
8月9日 埼玉西武・中村がオリックス戦で通算16本目の満塁本塁打を放つ。(プロ野球記録)
9月17日 福岡ソフトバンクは2年連続17度目のリーグ優勝。優勝決定の日付としてはリーグ史上最速(1964年南海、1995年オリックスの9月19日を更新)。最終的に、工藤監督は新人監督最多タイの90勝を記録。(2002年西武・伊原監督に並ぶプロ野球タイ記録)
10月6日 レギュラー・シーズン終了。埼玉西武・秋山はシーズン216安打の日本新記録(2010年阪神・マートンの214を更新)。ソフトバンク・柳田は打率.363、34本塁打、32盗塁を記録し、球団では初、プロ野球史上10人目(ヤクルト・山田も2015年に達成)の「シーズン打率3割30本塁打30盗塁」を達成。リーグ入場者数は1072万6020人(1試合平均25,002人)で、パ・リーグ最多記録を更新。
10月16日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、福岡ソフトバンクが2年連続16度目の日本シリーズ出場を決定。
11月9日~21日 世界のトップ12チームが参加する「2015 WBSC プレミア12」で、小久保裕紀監督率いる日本代表は3位に終わる。
11月20日 東北楽天は、「楽天Koboスタジアム宮城」の内野・外野フェア地域の天然芝化などの改修計画を発表。
2016
2月1日~ 本年度から各球団キャンプ地においてNPB主催による「有害行為の再発防止およびアンチ・ドーピングに関する研修会」を開催。
3月25日 レギュラー・シーズン開幕。東北楽天・則本は2リーグ制後初となる、新人から4年連続で開幕投手を務める。
3月27日 パ・リーグ史上初となる開幕後3日間(9試合)で本塁打なし。
3月25日~4月12日 オリックスは「開幕から13試合連続本塁打なし」の2リーグ制後のプロ野球新記録。(1953年大映の12試合を更新)
3月25日~4月19日 福岡ソフトバンク・柳田は、プロ野球タイ記録となる18試合連続四球を記録。(1970年巨人・王に並ぶ。パ・リーグ記録だった1951年西鉄・田部の15試合連続を更新)
5月10日 福岡ソフトバンク・バンデンハークは初登板から14連勝を記録。(2015年6月14日広島戦~2016年5月10日千葉ロッテ戦まで。1966年巨人・堀内の13連勝を更新するプロ野球新記録)
6月19日~7月11日 北海道日本ハムが球団新記録となる15連勝。7月の月間勝ち越し13(17勝4敗)は1961年9月と並ぶ球団最多タイ記録。
7月3日 福岡ソフトバンク-北海道日本ハム(ヤフオクドーム)北海道日本ハム・大谷はプロ野球史上初の「投手での初回先頭打者本塁打」を打ち、さらに8回無失点で勝利投手となる。
9月28日 北海道日本ハムは、大谷の1安打完封勝利で4年ぶり7度目のリーグ優勝決定。大谷は2014年以来2度目の同一シーズン二桁勝利・二桁本塁打を達成し、投球回・打席いずれも規定未満ながらパ・リーグMVPに選出される。さらにプロ野球史上初めて2部門(投手、指名打者)同時にベストナインに選出される。
10月5日 レギュラー・シーズン終了。リーグ入場者数は1113万2526人(1試合平均25,950人)で、2年連続でリーグ最多記録を更新。オリックスは2リーグ制後でのプロ野球新記録となる「シーズン捕逸0」を達成。
10月12日~16日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、北海道日本ハムが4年ぶり7度目の日本シリーズ出場を決める。第1戦で、北海道日本ハム・大谷が八番投手で先発。1975年以降ポストシーズンの指名打者使用試合で、指名打者を起用しないのは初。(プレーオフ、クライマックスシリーズで投手が九番以外の打順で先発出場したのも初)
12月1日 「QVCマリンフィールド」は「ZOZOマリンスタジアム」に改称。
2017
1月1日 「楽天Koboスタジアム宮城」は、「Koboパーク宮城」に改称。
3月1日 「西武プリンスドーム」は「メットライフドーム」に改称。
3月7日~22日 第4回ワールド・ベースボール・クラシック(2017WBC)で、小久保裕紀監督率いる日本代表はベスト4に終わる。パ・リーグからは15選手が出場。福岡ソフトバンク・千賀滉大投手がベストナインに選出された。
3月31日 レギュラー・シーズン開幕。2005年に観客数実数発表となって以来、一日の観客動員数最多記録(115,877人)をマーク。(交流戦除く)
4月19日~6月8日 東北楽天・則本は、プロ野球新記録となる8試合連続二桁奪三振を記録。(1991年近鉄・野茂の6試合を更新)
6月9日 オリックス‐中日(京セラドーム大阪)この日が初出場のオリックス・マレーロは、5回裏無死一塁で左中間に柵越えの打球を放つが、本塁を空過しアピールアウトになる。(記録は三塁打、打点1。NPB初安打)
6月11日 開幕からの出場50試合(6月6日まで)で、打率.407、出塁率.567と記録的な活躍を見せていた北海道日本ハム・近藤が故障により出場選手登録抹消。(9月に復帰し、規定打席不足も打率.413、出塁率.567でシーズンを終える)
6月28日 埼玉西武・森慎二コーチが劇症型溶連菌感染症による多臓器不全で逝去。42歳。
8月9日~9月14日 福岡ソフトバンク・サファテは、パ・リーグタイ記録となる17試合連続セーブを記録。
9月16日 福岡ソフトバンクが、メットライフドームで埼玉西武を下し、2年ぶり18度目のリーグ優勝決定。(日付としてはリーグ史上最速の優勝)
9月29日 千葉ロッテ-オリックス(ZOZOマリン)オリックス・マレーロは、6回にプロ野球通算100000号本塁打を打つ。(投手成田)
10月4日 北海道日本ハム・大谷が四番投手で先発出場。先発投手が四番で出場は66年ぶり、2リーグ制後では2人目、パ・リーグでは初。
10月10日 レギュラー・シーズン終了。福岡ソフトバンク・サファテはシーズン54セーブのプロ野球新記録。福岡ソフトバンクのチーム守備率.993は1991年西武(.992)を更新するプロ野球新記録。シーズン失策数38は1991年西武と並ぶプロ野球最少タイ記録。
10月18日~22日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、福岡ソフトバンクが2年ぶり17度目の日本シリーズ進出を決める。史上初の同一ステージ4試合連続本塁打と5試合連続打点を記録した福岡ソフトバンク・内川が、2011年、2015年に続き3度目の最優秀選手。
11月16日~19日 チャイニーズ・タイペイ、韓国、日本の3チームが参加する[ENEOS アジア プロ野球チャンピオンシップ2017(APBC)]で、稲葉篤紀監督率いる日本代表は、決勝で韓国を下し、チャンピオンの座に就く。パ・リーグからは16選手が出場。大会で決勝打を2本打った外崎修汰選手(埼玉西武)が、MVPに選出された。
11月30日 元パ・リーグ会長・小池唯夫氏が肥大性心筋症のため逝去。85歳。
2018
1月1日 「Koboパーク宮城」は、「楽天生命パーク宮城」に改称。
1月4日 東北楽天・星野仙一取締役副会長が膵臓がんのため逝去。70歳。
3月30日 レギュラー・シーズン開幕。オリックスは、球団ワーストを更新する7年連続開幕敗戦。
3月30日~4月7日 埼玉西武はプロ野球タイ記録となる「開幕から7試合連続先発投手勝利」を記録。
4月18日 埼玉西武-北海道日本ハム(メットライフ)埼玉西武は、0対8の8回裏に7点を返し、9回裏、無死満塁から森の逆転サヨナラ二塁打で9対8と大逆転勝利。8、9回の2イニングで8点差を逆転したのはプロ野球史上初。
7月6日 北海道日本ハム・宮西は、通算274ホールドのプロ野球新記録を達成(最終294まで更新)。
8月9日 NPBアンチ・ドーピング調査裁定委員会は、東北楽天・アマダーから禁止物質であるクロルタリドンとフロセミドが検出されたため、6カ月間の出場停止処分を科す。
9月3日 千葉ロッテは、2019年からZOZOマリンスタジアムの外野フェンスを前方に移動し、観客席を設けるなどの改修計画を発表。
9月6日 北海道胆振東部地震の影響により、北海道日本ハムの移動の見通しが立たないため、9月7日の東北楽天-北海道日本ハム(楽天生命パーク宮城)を中止とすることを発表。
9月8日 北海道胆振東部地震の影響により、9月11日、12日の北海道日本ハム-千葉ロッテ(札幌ドーム)を中止とすることを発表。
9月18日~25日 福岡ソフトバンク・森は、プロ野球新記録となるチーム7試合連続セーブを達成。
9月27日 北海道日本ハム・宮西は、通算325ホールドポイント(ホールド293+救援勝利32)のプロ野球新記録を達成。(最終326まで更新)
10月13日 千葉ロッテはプロ野球ワーストタイとなる本拠地14連敗を記録(9月6日から連敗)。
レギュラー・シーズン終了。リーグのシーズン617ホールドは、2017年の610ホールドを更新するパ・リーグ最多記録。オリックスのシーズン投手起用延べ人数618はパ・リーグ新記録、シーズン最少完投2はプロ野球タイ記録(パ・リーグ新記録)。リーグ入場者数は1131万5146人(1試合平均26,376人)で、前年比1.8%増、2016年の1113万2526人を更新する史上最多。
10月17日~21日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、福岡ソフトバンクがリーグ優勝の埼玉西武を下し、2年連続18度目の日本シリーズ出場。福岡ソフトバンクが記録した打率(.335)、得点(44)、安打(63)、塁打(95)はいずれもファイナルステージ(5試合シリーズ)の新記録。
2019
3月29日 レギュラー・シーズン開幕。北海道日本ハム-オリックス(札幌ドーム)同点(3-3)の延長10回裏一死満塁(直前に二者連続申告敬遠)から、北海道日本ハム・中田がプロ野球3人目となる開幕戦満塁サヨナラ本塁打を打ち勝利。敗れたオリックスはリーグワーストタイ記録となる8年連続開幕敗戦。
4月14日 埼玉西武-オリックス(メットライフ)埼玉西武・源田が、前日の試合で受けた死球の影響でスタメンを外れたため、更新中だったプロ野球記録「新人開幕戦からの連続試合フルイニング出場」が299試合でストップする。
6月4日~25日 日本生命セ・パ交流戦。パ・リーグは58勝46敗4分でセ・リーグに勝ち越し(10年連続14度目)。
6月27日 NPBアンチ・ドーピング調査裁定委員会は、禁止物質が検出されたオリックス・メネセスに対し1年間の出場停止処分を科す。
8月27日 東北楽天-千葉ロッテ(楽天生命パーク)東北楽天・ブラッシュは、4回にパ・リーグ通算50000号本塁打を打つ。(投手石川)
9月11日 埼玉西武はシーズン130試合目で初めて首位に立つ。首位初奪取までの試合数としては2001年西武の129試合を抜き、パ・リーグで最も遅い記録。
9月24日 2位福岡ソフトバンクが東北楽天に敗れ、首位だった埼玉西武はZOZOマリンスタジアムで行われた千葉ロッテ戦に勝利して優勝決定。埼玉西武のリーグ優勝までの首位日数11日はリーグ史上最少。この日の結果により、3位・東北楽天、4位・千葉ロッテ、5位・北海道日本ハム、6位・オリックスの順位も確定。
9月29日 レギュラー・シーズン終了。リーグのシーズン754ホールド、225セーブがいずれもリーグ新記録となった一方、完投数はリーグ史上最少の19(2018年の42完投を更新)、規定投球回到達者も一リーグ時代を含めて史上最少の6人にとどまる。6381三振は2017年の6319三振を更新するリーグ新記録。リーグ全体の入場者数1166万9891人(1試合平均27,203人)は、2018年の1131万5146人を更新する史上最多。
10月9日~13日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ、福岡ソフトバンクがリーグ優勝の埼玉西武を下し、3年連続19度目の日本シリーズ出場を決定。
11月9日 元パ・リーグ会長・原野和夫氏が脳梗塞のため逝去。91歳。

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2020
1月19日 千葉ロッテマリーンズオーナー・重光武雄氏が逝去。98歳。
1月29日 北海道日本ハムは、2023年に開業する新球場を「ES CON FIELD HOKKAIDO(エスコンフィールドHOKKAIDO)」とすることを発表。
2月26日 プロ野球12球団およびNPBは、政府の新型コロナウイルス感染症対策の基本方針に沿い、2月29日~3月15日に予定されていた春季非公式試合(オープン戦)72試合を無観客試合として行うことを決定。
2月29日 「福岡ヤフオク!ドーム」は「福岡PayPayドーム」に改称。
3月3日 NPBは公益社団法人日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)と共同で「新型コロナウイルス対策連絡会議」を設置。
3月9日 臨時12球団代表者会議で、3月20日に予定していたレギュラー・シーズンの開幕延期を決定。
4月17日 NPBは、5月26日から開催を予定していた2020年日本生命セ・パ交流戦の開催中止を発表。
5月25日 12球団代表者会議は、両リーグの公式戦開幕日を6月19日にすることを決定。なお試合数は1チーム120試合とし、当面の間は無観客試合で開催する。(7月10日より有観客となる)
6月15日 パ・リーグは、2020年クライマックスシリーズ・パを1位球団と2位球団による4試合制(1位球団に1勝のアドバンテージ)で実施することを発表。
6月17日 臨時実行委員会で以下の2020年シーズン特例事項を最終確認。
  • 延長回は10回までとし、10回を終わってなお同点の場合は引き分け試合とする。
  • 出場選手登録は1球団31名まで、ベンチ入りは26名まで。(うち外国人選手は出場選手登録5名以内、ベンチ入り4名以内)
  • 「感染拡大防止特例2020」を新設。選手本人や家族に感染の疑いがある時、もしくは体調不良で出場選手登録を抹消された選手については、通常の10日間を経ずに再登録を可能とする。
  • 「勝率第一位投手賞」の表彰は10勝以上を規定とする。(従来は13勝以上)
6月19日 レギュラー・シーズン開幕。オリックスは東北楽天に敗れ、リーグワースト記録となる9年連続開幕敗戦。
6月23日~28日 千葉ロッテはオリックスとの同一カード6連戦(ZOZOマリン)で6連勝。
7月11日 北海道日本ハム・公文はオリックス戦で負け投手となり、初登板から182試合連続負け無しのプロ野球記録が途切れる。
7月31日 福岡ソフトバンク・柳田はプロ野球タイ記録となる月間32得点を記録(1964年5月南海・広瀬、2013年8月巨人・村田に並ぶ)。
8月2日 福岡PayPayドームで予定されていた福岡ソフトバンク-埼玉西武は、福岡ソフトバンク所属選手の新型コロナウイルス陽性判明に伴い中止。
10月5日~7日 千葉ロッテは、計13人の選手が新型コロナウイルス検査の陽性判定または濃厚接触者認定を受けたため、出場選手登録を抹消。
10月16日~30日 福岡ソフトバンク・周東は、13試合連続盗塁のプロ野球新記録。(1971年と1974年阪急・福本の11試合連続を更新)
10月27日 福岡ソフトバンクは、福岡PayPayドームで千葉ロッテを破り、3年ぶり19度目のリーグ優勝決定。
10月31日 福岡ソフトバンクは、月間22勝(4敗1分)と月間18勝ち越しのプロ野球新記録。
11月9日 レギュラー・シーズン終了。リーグ全体の入場者数は206万8952人(1試合平均5,747人)にとどまる。(前年の1試合平均は27,203人)
11月14日~15日 クライマックスシリーズ、福岡ソフトバンクが千葉ロッテを破り、4年連続20度目の日本シリーズ進出を決める。
2021
3月22日 新型コロナウイルス感染拡大を受けた営業時間短縮要請に対応するため、臨時12球団代表者会議は、2021年シーズンのパ・セ公式戦について試合は9回までとし延長回は行わない方針を改めて確認。
3月26日 レギュラー・シーズン開幕。10度目の開幕戦先発登板となった東北楽天・涌井は、北海道日本ハム戦(楽天生命パーク宮城)で、プロ野球初となる3球団での開幕先発勝利を記録(2009年~2011年埼玉西武、2015年~2016年千葉ロッテ、2021年東北楽天)。オリックスは埼玉西武戦(メットライフ)に敗れ、2012年から10年連続開幕戦敗戦。
4月17日 8年ぶりNPB復帰の東北楽天・田中将は北海道日本ハム戦(東京ドーム)で敗戦投手となり、2012年から続いていた連勝(連続シーズン)が28でストップ。
5月25日~6月16日 日本生命セ・パ交流戦。オリックスが12勝5敗1分、勝率.706で11年ぶり2度目の優勝。交流戦MVPには、期間中3勝0敗、防御率1.23、奪三振33のオリックス・山本が選出される。
7月1日 埼玉西武・平良は39試合連続無失点のプロ野球新記録を樹立。(3月26日から7月1日まで)
7月13日 オリックス・来田は、北海道日本ハム戦(釧路)で高卒新人としては史上初の初打席初球本塁打を記録。
7月15日~8月12日 オールスターゲームと東京五輪のため一軍公式戦中断。
8月15日 福岡ソフトバンクは北海道日本ハム戦(福岡PayPayドーム)で、継投による無安打無得点試合(リーグ2度目)を記録。(6投手、スコア0-0で引き分け)
10月27日 10月25日に全日程を終了していたオリックスが、2位千葉ロッテが敗れたことにより25年ぶり13度目のリーグ優勝を決める。2年連続最下位からの優勝は2001年近鉄以来2度目。
10月30日 レギュラー・シーズンの全日程が終了。中止試合数17試合のうち、新型コロナウイルスの影響による中止は6試合。リーグ全体の入場者数は330万7515人(1試合平均7710人)。9回打ち切りの影響もあり、リーグのシーズン引き分け数61は、2012年の39引き分けを更新し史上最多。福岡ソフトバンクのシーズン21引き分け(60勝62敗21分)は、1982年中日の19引き分けを更新するプロ野球新記録となった。(2021年北海道日本ハム、読売も20引き分け)。支配下選手登録2年目の千葉ロッテ・和田は、シーズン24打席ながら24盗塁、同僚の荻野、埼玉西武・源田、北海道日本ハム・西川と並び最多盗塁のタイトルを獲得。
11月6日~12日 クライマックスシリーズはレギュラー・シーズン同様に9回打ち切りで行われ、ファーストステージは2位千葉ロッテが3位東北楽天を1勝1分で、ファイナルステージは1位オリックスが3勝1分(アドバンテージ1勝を含む)で千葉ロッテを下す。両ステージともCS特別規定(9回途中引き分けコールドゲーム)での決着となる。オリックスは3度目のクライマックスシリーズ出場で初のステージ突破。
2022
3月1日 埼玉西武の専用球場が「メットライフドーム」から「ベルーナドーム」に改称。
3月25日 レギュラー・シーズン開幕。オリックスは埼玉西武戦(ベルーナドーム)に勝利し、開幕戦の連敗を10年でストップさせる。
4月10日 千葉ロッテ3年目の佐々木朗は、オリックス戦(ZOZOマリン)で、日本球界では28年ぶりとなる完全試合を達成(1994年5月18日に巨人・槙原寛己が広島戦で達成して以来。パ・リーグでは1978年8月31日のロッテ戦で記録した阪急・今井雄太郎以来)。同日に記録した13者連続奪三振はプロ野球記録(初回三死目から5回まで。1957年の阪急・梶本、1958年の東映・土橋が記録した9者連続を更新)。ゲーム19奪三振も、1995年4月21日に千葉ロッテ戦で記録したオリックス・野田に並ぶプロ野球タイ記録。佐々木朗は翌週4月17日の北海道日本ハム戦(ZOZOマリン)でも先発登板し、初回から8回まで打者24人の出塁を許さず、17イニング連続無走者を記録。
5月12日 東北楽天はシーズン33試合目で初の連敗。開幕から33試合目で初の連敗は1979年の近鉄(32試合目)を更新するパ・リーグ記録。
10月2日 レギュラー・シーズン最終日にオリックスが26年ぶりリーグ連覇を達成。2位福岡ソフトバンクとゲーム差なし、勝率も並んだが、直接対戦成績(オリックス15勝、福岡ソフトバンク10勝)で上回る。リーグの1位、2位の勝率が同率となるのはリーグ史上初で、直接対戦成績によるリーグ優勝決定は初。パ・リーグの最終日に優勝が決定するのは1952年(南海が優勝)、1963年(西鉄が優勝)以来3度目のこと。オリックスがシーズン中に首位に立った日数はわずか3日間(開幕の3月25日、9月10日、10月2日)のみで、優勝チームの首位日数としては2008年巨人、2019年埼玉西武の11日を抜いて史上最少の日数。
10月12日~15日 クライマックスシリーズ・ファイナルステージ(京セラドーム大阪)、オリックスが福岡ソフトバンクを4勝1敗(アドバンテージ1勝を含む)で下し、2年連続14度目の日本シリーズ出場を決める。