日常とは〜人生Part2〜ほぼほぼでいいこと*
前回のの記事で、
「人間なんて地球のお荷物で、害でしかないもの」
などという、元も子もない偏った持論を唱えてましたが💧
今日、最後の勤務を終え、受付に行くと、部門のみんなからと、チーフからと、他部門のAさんから、それぞれ贈り物を頂き、
「さみしいね」
「遊びに来てね」
と、別れを惜しんでくれて、私も感謝の意を伝えて、
感激と外の熱風を車に乗せに帰ってきました🚙
以前の記事で、
「憎んでいるということは、愛しているということ」
という、ことについて書きました。
人間の存在意義や、人間というものに辟易している自分がいる反面、
人間の送る日常の素晴らしさについて、
一人ため息をついてしまうほど、心が熱くなる自分もいるのです。
今自分が送っている日常が苦痛で仕方がなくて、もう本当に人間を辞めて灰になって飛ばされたいという思いに駆られたことも、何度もあります。
「日常はすばらしいもの」
その当たり前の定理が見えなくなって理解できなくなってしまう時が、
大人も子供もあると思うんです。
そんな時は、少し休むのがいいのかもしれません。
ん?
「人生 Part2」
人間もその他の生物も、死んだ後にあの世に持っていける物なんて何もない。
お金も肩書きも、
人脈も装飾品も、
愛する家族も、
嫌いな人たちも、
見た目も、
あの世に持って行った人なんて誰もいない。
正解がないということは、不正解もない。
そんなある意味空虚でしかない、
答えのない、人の生きる道のり。
‥‥‥
だから、たぶん、みんな、
不祥事とかを起こした人たちの行く末やオチみたいなものに、
過剰に反応したり期待したりするんだと思う。
オチをつけないと怒りだしたりする人もいる。
それもこれも全部、答えのない人生を生きなきゃいけない、人間の悲しい性というか、フラストレーションから来てるんだと思う。
悲しくて残念な生物図鑑に載ったほうがいい種族、人間。
あ、また、人間をディスってしまった…。
でも本当に。
人生には答えがなくて果てしない感じがするから、
ゆっくり生きていいんだと思う。
ゆっくり生きても、急いで生きても、
辿りつくところは、ほぼ同じ気がする。
ほぼ。
うん、ほぼ。
ありがとうございました🙏
ちなみに、「人生 Part1」です↓
合掌🙏
@スター@