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「エンタテイメント学問」は邪道か?

この記事を読んであなたが得られるかもしれない利益:学問とは何か。その対極にある「エンタテイメント学問」ははたして邪道なのか。世の中は、でも、エンタのほうに流れているという現実。いずれにせよ、若い君達に学問の可能性を託したい。

皆様に御礼:
昨日インフル罹患の報を書かせていただいたら、多くの皆様からお見舞い、励ましをいただきましてまことにありがとうございます。

なんとか薬の力で快方に向かっております。

大衆性のない学問

さて、だしぬけに「学問はどうなのか」などと、書きましたが、あくまでこれは僕のジャンルである経営学に限ってのことであり、そしてそもそも、オマエごときに学問が語れるのか、というツッコミは最初から入ることをお断りしておきます。

学術的な知見が世の中を良くすることは、間違いなく、その点で学問は尊く、意義深いものであることそのとおりです。

しかし、僕が気になるのは、この一点なんです。

「大衆性がない」

大衆性がない、とは、わかりにくい、面白くない、ということです。

https://x.gd/nyMXE

そういうと、学問畑の手練れの皆様は、「オマエは学問をわかってない。学問ていうのは、「学者文法」ってものに沿って書くものだから、結果的にわかりにくくなるんだ。つまり客観的に物事を記すってことは、一般の人が読んで面白くなくていいんだ。」そうおっしゃると思うんですよ。

僕のような学問の世界の落ちこぼれが言うのは、100年早いのですが、今後の学問は2つの方向で行くべきだと思うんです。

一つは従来の大衆性のないわかりにくい方向、もう一つはズバリ「エンタテイメント」です。

エンタテイメントとは、わかりやすさであり、面白さであり、大衆が納得するという方向のことです

学問の欠点

オマエが言うな、ですけれども、あえて言わしてもらいますと、学問の欠点というのは、学者がわかってない、ということなのです。

何をわかってないか、というと、「わかりやすく表現する」ということがわかってないのです。

それはさっき申し上げたように、学者の言葉遣い自体が「わかりにくい言葉を使うのがルール」ので、当然かも知れません。

そして学者になろうなんて言う人は、真面目で、よくもわるくも頭が硬い人たちですから、必然ともいえるでしょう。茶目っ気がないんです。

しかし、一般の人に難解な文章は、学問の可能性を縮めている、と思うのです。

学者だからこそ、その知見をわかりやすい言葉で伝えるべき、そう考えます。

もちろん、わかりやすく面白い書物や本を出している、エンタテイメントなセンセイもいらっしゃいますが、しかし、学問自体がエンタテイメントという枠を作るべきだと思うんです。

「教授になりたい」という学生たち

特に学生に教える段になると、大衆性っていうのは欠かせない学者のスキルだと思うんですよ。

彼ら、彼女らは「わかりにくい物言い」には耳を傾けません。

ずばり、あの子達が求めているものは、「共感性」なのです。

共感性とは、学問が今の彼らが直面している問題を解決してくれそうな感じ、のことです。

それには、現代、特に若者がハマっているものに対しての理解と、おもしろい学術理論を彼らにわかりやすく、応用して見せるスキルが必要なんです。

そこで学生たちは、「おっ、学問て面白くね?俺も大学院行ってやってみるか。のろのやつ洋物が好きだけど、面白いこと言うから、おれも米国でMBA取ってくるか、何、あいつが取れたんだから俺も取れるよ」と思うわけです。

僕が嬉しいのは、最近数は多くないけれど、「教授になりたい」と言ってくる子がいることです。

聞くと、「のろちゃんがなれるんだから、私もなれるはずだ」と言うんですね。(若者はよく見てますよね)

学問に興味を持ってくれた、のであれば、これは文句なしに嬉しいことです。

エンタテイメント学問が日本を救う?

まあ、考えてみると、エンタテイメント学問をおそらく唯一やってきた、のろが教授になれたってことは、驚くべきことです。

授業は「プロレスの経済学」だし、論文や本にも東スポ的なことを平気で書いちゃうし、それで拒否られることもたくさんあったけれど、2つの大学が教授のポストをくれています。

https://x.gd/zxHfb

僕も、もっとわかりにくい学者文法を散りばめて、真面目にやればいいんですけれど、それが性分的にもできないし、僕の信念(笑)として、「エンタ学問こそ王道!」なんて邪道があるんですよ。

https://x.gd/qAkc1

まあ言ってみれば、このnoteも、「オレ流、エンタテイメント学問」なんですね結局。

わかりやすく、楽しい学問っていう方向は、最近僕の中で強くなってきたんですよ。

それは、去年の日本経済新聞から取材を受けたことと、おとといある大手の出版社から原稿依頼(人事関係)が来たことです。

両社とも、硬ーい、ジャーナリスティックだけれど、ある種の学術的な記事を売り物にする会社です。

そんなおかたいところが、僕のnoteを゙見てくれていて、「これで行く」と取材や原稿依頼をくれたんです。

「俺の時代かな」、いや、そんな事はいいませんけれど、(言ってる)これは、学問的な方法論に関して、そろそろ、世の中がアレルギーを感じていることの現れではないか、そう思ったんです。

そもそも、経営学の本質っていうのはね、「革命」ですよ!

だから、そういう意味で僕のような跳ねっ返りがいてもいいんです!(きっぱり)

病み上がりで、いつもよりさらにひどい、乱文乱筆お許しください。

野呂 一郎
清和大学教授




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