【非モテ問題】女は敵なのか?
元イさんなのだ。
今回は趣向を変えて思いつくままにポエム的なお気持ち文章を書いていこうと思うのだ。
女は敵なのか?
フェミ、アンチフェミの終わりが見えない百年戦争や非モテ界隈の恨み節を見るにつけこういう言葉が出てきたのだ。
女は敵なのか?
男にとって女は敵なのか?非モテにとって女は敵なのか?
良いnoteは結論を最初に書いて、残りは説明を書け!とあるのだ。元イさんはひねくれてるのでやめとくのだ。noteを普段から読んで頂いている人にはもうどんな結論かはわかりきってる気もするのだが…
長くて回りくどい結論までの説明は以下なのだ。
ミソジニーとアンチフェミと非モテ
ミソジニーという言葉があるのだ。女性嫌悪、女性蔑視なのだな。詳しく学んでいないのでふんわりした認識なのだ。こう書くと、この記事がミソジニー批判に見えるかもしれないのだが、そういうわけではないのだ。
そして「非モテ」について改めて書いておくと、
「アンチフェミ=非モテ」ではないのだ。
もちろん「アンチフェミ=ミソジニー」でもないし「ミソジニー=非モテ」でも無いのだな。
アンチフェミは「反フェミニズム」。フェミニズムに対する反発であって必ずしも女性嫌悪、女性蔑視とはイコールにはならないのだな。
そして、非モテは「恋愛できてこなかった人、異性から求められてこなかった人」と、定義してしまうなら、アンチフェミやミソジニーと必ずしもイコールとはならないのだな。
非モテの定義の「異性から求められてこなかった人」を「異性から求められない人」にするかどうかでもかなりの差が生まれるのだ。元イさんはあえて「異性から求められて‘“こなかった”人」と書いてるのだ。「恋愛できてこなかった人、困難な人」と「恋愛が不可能な人」とでは、大違いなのだな。
人によってはイコールだったり、そうでなかったりする、あやふやな位置関係にあるのだ。
アンチフェミ、ミソジニーの親玉みたいになってるようなインフルエンサーには既婚者もいるというのだから驚きなのだ。
上の定義から行くとアンチフェミでミソジニーだけど非モテではないという事になるのだな。
起こってしまった事実はいつも正しい、なのだ。生きた証拠なのだな。
非モテにも多様性がある
そして複雑なことに「非モテ=恋愛がしたいのに出来ない人」とは限らないのだ。LGBTQにもかかってきそうな話題なのだな。まあふんわりさせておくのだ。本題ではないのだ。そういう人もいる、という話なのだ。
なぜその人が非モテ“状態”に陥っているのか、その原因も様々だと思うのだ。
元イさんは「人との新規の出会いの少なさ」を増やしていこうという事を常々言ってるのだが、それがクリティカルな要因の非モテじゃない人もいるのだな。
新規で出会い続けても関係性が人と結べない人もいるのだ。そうなるの別の手を講じないといけないのだ。
お金の無いこと、経済問題が原因の非モテの人もいれば、お金が有り余るのに非モテの人もいるのだ。これはガチなのだ。
見た目、顔の作りで非モテの人もいれば、イケメン俳優にそっくりの人で非モテの人もいるのだ。
背の高い非モテ/背の低い非モテ、毒親持ちの非モテ/よい家庭で生まれた非モテ、デブな非モテ/標準、ヤセ型の非モテ
ありとあらゆる非モテがいるのだ。そして非モテを考えるととにかく難しくなるのが、お金が無い、背が低い、デブ、ブサイク、犯罪者、努力してこなかった人たちでも非モテじゃない人、恋愛、恋人にありつけた人がいるのだな。
審判を下す女は残酷な神様
なんで俺は非モテなのか!?原因がわからない!!となると、
なぜそんな「自分たちが思う非モテ要因」を持った人たちを、女が選んだのか?
という疑問が残ると思うのだ。
ここがかなり根深い「女は敵なのか?」という疑問にも関連することだと思うのだ。果たして女は敵なのか?
自分たちじゃない人たちを選び続ける女の呪い
インターネットは個人の声が大きくなる、便利で厄介なツールなのだ。
twitterを開けば、自分たちじゃない男を選んだ、きっと今後も自分たちを選ばないであろう女性の声に溢れてるのだ。
「年収○円以上が女性に相手をされる基本スペック」とか「こういう店を選ぶ人はありえない」とか「こういうファッションの人は最悪」とか、まーほんとによくよく流れてくるのだ。
と言いつつ元イさんは見えなくなるように対処してしまってるのでそんなに見ないのだが。
いわゆるスペックが上の男を嗜好する女の人たちの残酷な選別は、限りなく“そうじゃない”男の心をえぐるのだ。
しかし問題は“スペックが上なのにモテてない”非モテ男のことも違う形でえぐるのだな。
なんで「その条件を満たしてるのに俺は選ばれてないのか」なのだ。そういうツイートもよく見るのだ。
なぜ選ばれないのか。
また逆の問題もあるのだ。明らかにスペックが下、嫌悪する属性を持つ人を選んだという女性の声なのだ。暴力性、加害性のある男はモテる論の内容にすこし触れているのだが、そこは言及しないのだ。
なぜ自分より嫌悪する属性の人やスペックが下の人が選ばれて、自分は選ばれないのか!?女の判定ガバガバじゃないか!!ということになるのだな。
しかしそんな自分を選ばない女たちが言う「こんな男を私は選ぶ」は、当てはまっていても当てはまっていなくても「それは自分ではない、自分は選ばれない」という呪いに変換されて非モテの男たちに刺さってしまうのだな。
悲しい話なのだ。残酷なのだな。
女はなんなのか?
非モテの人にはわからない事だと思うのだな。容赦なく女に選ばれない男を傷つけることができる女とは何者なのか、わからないと思うのだ。
自分を簡単に傷つける事ができる未知の存在は、恐怖の対象でしかないのだ。
人は未知の存在の恐怖から心を守るために、未知の存在を「何者である」と定義づけするものらしいのだ。
そして最初の疑問「女は敵か?」にやっと触れるのだが…
女という未知の恐怖に対抗するための一番簡単に出てくる心の防衛策が「女は敵だ」と定義することなんだと思うのだ。
女は敵、敵の言うことに耳を傾けてはいけない、敵に何かを譲ってはいけない、敵は攻撃しないといけない…
こうして心の平和は保たれるのだ。
たった一つの難点、非モテが克服できない、恋人が作れないという問題だけ残して、なのだな。
女も男もよくわかんない
ぶっちゃけた話、よくわからないのだ。35年ほど彼女いないところから恋人ができて、色々あって結婚して改めて思うのだが、
ここまで来ても女はわかんないのだ。よくわかんないのだ。奥さんに関してはわかったことは多いのだが、奥さんは女であっても、女はすべて奥さんではないのだな。しかも結構変わった人なので、同じ様に理解してはいけないことがしばしばあるようなのだ。
そして男、そして非モテ男子、なのだ。
同じ男でも非モテだったことがない男や、普通にやれてる男のことなんて全然わからないのだ。そもそも元イさんは普通がわからない、普通に恋愛できてきた男のスタンダードな行動様式や思考回路がわからないのだ。
非モテも千差万別で、実際に会って「ああそのパターンか」というのはあっても、あくまで前例と似てるだけで実態や内心、経歴などはきっとバラバラなのだな。
つまり異性という女だけじゃなくて同性も、似た属性のものも、突き詰めてしまえばよくわかんないのだ。よくわからないもの、特に自分にとって脅威なものを「わかった」と思わないと我々の心は不安でグラグラになって耐えられないようにできているのだな。
未知のものに相対する時の勇気
女は敵か?明確に答えるのだ。敵ではないのだ。
自分を敵視してくる女はいるかもしれない、そして攻撃してくる女の人もいるかもしれないのだ。
非モテを克服しようとしている男性は、そんな人たちと戦う必要はないのだ。断言するのだ。必要はないのだ。戦う必要は無い。
パートナーを作るという目標に対して、そういう敵と戦うことは一切の無駄、むしろ足を引っ張ることになるのだ。
「女は敵」
そういうスタンスをとった時点で、大多数の女を敵に回してしまう可能性が高いのだ。極めて良くない、最大の悪手と言っても過言ではないのだ。やめたほうがいい。
自分たちを「選ばない、選ばれるはずがない」と攻撃してくる人たちは「not for me」なのだな。
自分のためになる人たちではないのだ。自分向けの人たちじゃない、それだけなのだ。
自分たちは彼女らに合わない、彼女らも自分に合わない、それだけなのだ。
絶対的な評価や、最終審判をくだされたわけではないのだ。互いにマッチングしなかった、それだけなのだ。
未知の存在、女の不可解な言動に傷ついて安易に敵と決めつけ攻撃をするのは、恋人づくりや婚活をするという戦略的には良くないのだ。敵を増やすのだ。
それは恐怖や怯え、怒りや葛藤などを落ち着けて、慰めて、解消させる一番安直で将来の恋人を遠ざける簡単なやり方なのだ。
恐怖を受け止めるのだ。未知の存在であるということを未知なものとして受け止めるのだ。
よくわからない怖いものを真正面から見つめる勇気を持つ、そういう勇気を、心を奮わせて持ってほしいと、心から思うのだ。
できるなら、そこから視界を広げて、自分に友好的な女性を探し、未知を解明してみてほしいのだ。たぶん、女性の数だけ新鮮な答えが見つかると思うのだ。
勇気あるのみ、なのだ。
女性も恐怖している
逆もまたしかりなのだな。女性もまた怯えてるのだ。
男のあまり知らない痴漢あるあるで、割と女に不自由してこなかったようなアラサー、アラフォーの痴漢も多いようなのだ。
男の想像する気持ち悪い脂ぎった小太りのハゲのおっさんの痴漢、というイメージ図は男のイメージ図なのだな。
実際に被害に何度も何度もあった人のコメントからすると「そんなんじゃなかった」なんてことがあるから、事実と想像、推論は大きく離れることがあるのだ。
どうか、想像や推論で敵を作って、その敵を心の中で大きくしないでほしいのだ。
「心の底から自分が欲してるものは何か」
それを得るための地道で確実なやり方を、どうか考えていってほしいのだ。
敵を増やすよりも、味方を増やすやり方で、なのだな。