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不登校娘の親が登校拒否児だった話

私は不登校娘を2人抱えている。
1人は通院、服薬し、だいぶ登校できるようになった。もう1人は、ほぼ行ってない歴もうすぐ丸2年。

そんな私も登校拒否(時代的にこう呼ばれていた)だった。当時はまだ珍しく、田舎の小学校だったので全校で私1人だったのではないかと思う。
どのぐらい行ってなかったのかは覚えてないが、おそらく1年以内だと思われる。
両親は理解がなく、とりあえず朝は登校させられていた。でも、結局、保健室に行き、検温すると不思議といつも微熱。保健室のベットでしばらく休んで、親が迎えにくるというパターンだった。

保健室の先生がとてもやさしく私を受け入れてくれたのを覚えている。
ある日、牛乳たっぷりのぬるめのコーヒーとお菓子を出してくれたことがあった。
初めてコーヒーを飲んだのがこの時。すごくおいしくて、一気に飲み干し、お菓子もあっという間に食べたのだと思う。
保健室の先生がこの話を親にしていたのを聞いた記憶がある。私は何も食べさせてもらってない子みたいだったのかもしれない。今でも、豆乳たっぷりのぬるーいコーヒーが大好きだ。

保健室に迎えに来るのは、決まって父親。
うちに着くと一応、布団に入っていた。
私はただただ休みたかった。家にいたかった。

日曜日のサザエさんの終わりの歌が、せつなかった。あぁ、月曜日が来てしまう。学校だ_
憂鬱だった。
大人になり、これは『サザエさん症候群』と呼ぶことを知り、私だけじゃなかったんだと驚いた。

学校に行くと、すぐそこで笑っているクラスメイトの声が私には遠くに感じた。なんだか私だけ違う世界にいるみたいだった。見える世界が灰色だった。誰かにいじめられた訳でもないのに。

保健室の先生から、両親が『愛情不足です』と言われていたことを後から聞いた。誰から聞いたかは覚えていない。うちの両親はよくわからなかったのだと思う。愛情って。
父親から、私は初孫で親戚中から可愛がられたんだ。亡くなる前の身内にも会っている。愛情はたくさん受けている。そんなことを言われた。
確かに、それも愛情だと思う。でも、それとは別。
私の好きな食べ物知ってましたか?
いつも母親が買ってくるパンは『母親』が好きなパンであり、私は好みではなかった。それを言い出せる雰囲気でもなく、言ったことはないけれど。『買ってきてやってる』としか感じなかった。基本、母親が選ぶものは私の好みではないのだ。押し付けないで欲しかった。
それは、親の好みであり、子どもは好きではない。私にも好みがあるって知ってましたか?
知ろうとしましたか?
こういったところにも『愛情』を本能的に感じるか感じないか嗅ぎ分けていたと思う。

私は『愛情不足』と言われていたと聞いて納得した。何か足りてない、満たされない想いでいっぱいだったから家で充電したかった。(家にいたかった)

今でも父親に、その頃の話をされることがある。その度に『お前はよく立ち直ったな』と言われる。(その後、登校できるようになったから)
立ち直る?あの時の感情や傷は一生ものだ。ずっと私の中で生きている。
そして、何年か前、あの時は何だったんだ?と聞かれた。私は『鬱だったんだと思う』と答えた。子どもが鬱なんかなるか!と言われたが、それが大きな間違いだ。子どもだからって、無邪気に自由に生きてるわけではない。
子どもの頃から生きづらさを抱えている場合もある。

悲しいことに、同じことが繰り返しおきている。立場を変えて。私がそんな状態のときは祖母がとても苦しんだらしい。(私が学校に行かないことに対して)私は周りの大人を苦しめてきたんだと知った。今度は私が苦しめられる番になった。

学校に戻すことだけが正解ではないと分かっている。
私は結局、一度外れた道から戻ってなんとかやっているが、娘はこのまま外れて大丈夫なのだろか?というか、もう外れても、私がOK出せるかどうか試されている。苦しい。





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