駐妻生活のプラスアルファの副産物①
こんにちは。
12月になり、イタリアの街はゆっくりと個々のペースで商店などのクリスマスの装飾が増えてきました。クリスマスの装飾が、一気に始まらないところが面白い。
数年おきに転々とする私の駐妻生活のプラスアルファの副産物。
それは、ママ友達の存在です。
初めての駐在だった台北。
当時の台北には、日本人学校もあったので、すごくたくさんの駐在員の家族が住んでいました。
我が家は、まだ子供が幼稚園に入る前だったので、日本人学校からは少し離れたエリアに家を借りて住んでいました。
(日本人学校に通う予定がある方は、当時は天母という学校のそばに多く住んでいました)
少し離れたエリアでも、マンションが多くある場所だったので、恐らく30世帯以上の日本人駐在員が近隣のマンションに密集して住んでいたと思います。
その中で、数校ある日系の幼稚園に行く子供、英語系、台湾の幼稚園に行く子供、ご家庭の方針でいろいろな幼稚園に行っていました。
幼稚園も子供の年齢も違くても、同じマンションや近所に住んでいるので、ママ達の交流は活発でした。
パパ達は、当時、台北の飲み屋街(林森北路)の同じ店や道でばったり会うことが多かったようで、「今日は〇〇さんの旦那さん見たよ」なんてことは、しょっちゅうあり、家族ぐるみで日々の暮らしぶりはお互いに筒抜けのような状態でした。
当時はそれが、心地よくもあり、しんどいなぁと思うときもあったり、日本人の人数が多かったので、まぁ小さな日本社会のような一面もありました。
色々あっても、みんな駐在員なので、数年すれば日本に帰る人、他の国へそのまま引っ越す人、また新しく来る人。同じ状態は長くは続かない。
私は2人目は台北で妊娠、出産したので、当時のママ友達には一生感謝しかないくらい助けてもらいました。
当時、夫は忙しく、平日は中国大陸に行っていたので、週末しか台湾にいない生活が続いていました。
それは分かったうえでの妊娠だったので、2人目は一人で頑張ろうと思っていたのですが、妊娠5か月ごろに切迫早産気味になってしまい、数日間の入院のすえ、1か月以上、自宅で絶対安静の指示が出てしまいます。
日本にいる親に来てもらえたら良かったのですが、当時はまだ私の両親は現役で働いており、夫の両親は介護の真っ只中。
八方塞がりの状態になります。
日本のサラリーマン。
当時は、そんな状態でも夫が在宅勤務なんて選択肢はありませんでした。
そんな時、会社の方やマンションのオーナーさんの協力で、とりあえず掃除や洗濯を臨時でやってくれる、台湾人の奥様が来てくれることになりました。
そして、その状態を知ったママ友達が、一人、また一人と夕飯のおかずを作って届けてくれるようになりました。
買い物も変わりに行ってくれたり。
そんなママ友達のサポートは、出産まで続きます。
当時ママ友達だって、日本のサラリーマンの妻たち。
子供は小さいし、海外で自分の生活を維持するのに忙しく、時間に余裕があったわけではなかったと思います。
産気づいた時も夫は出張中だったので、同じマンションのママが付き添ってくれて、入院手続きは、中国人のママが電話でサポートしてくれて、上の子は別のママが幼稚園から帰ってくるのを迎え入れてくれて、夫が帰ってくるまで、一緒に過ごしてくれていました。
遠い親戚より、近くの他人。
特に海外にいると、近くにいる他人様に助けてもらうことが圧倒的に多くなりますね。
長くなりそうなので、今日はこのあたりで。
続きはまた、次回。
読んでいただき、ありがとうざいます!
では、また^^