計算式に順番に書くこと に固執する無意味さの話
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「計算式を正しく、順番に書くこと」
最近SNSで議論が多い事柄のひとつですよね
議論の様子を傍からみていると
一部の教員や計算に一家言ある人が自分の正しさを貫こうとしている
固執しすぎてる
話が通じない
そしてそれが、お子さんや保護者、支援者、専門職の気持ちを逆なでしている状態
このような印象を受けます
気持ちが逆なでする気持ち
私は大いに理解できますし、逆に計算式にこだわる人の気持ちが私には一向に分かりません
私自身発達支援の領域にいたからというのもあるのかもしれません
これは 誰にとって正しいことなのか
私の意見を記事としてまとめたいと思います
●そもそもの目標は何か
子ども達は人それぞれに、異なる「個性」「能力」「学び方」を持っています
計算に挑戦し、解を出したその子が「なぜそのような考え方に至ったのか」を一人一人の状態を確認することが大切なのです
計算式を順番に厳密に従わせることは、お子さん自身が答えにたどり着くはずだった多様な「解」やその「道筋」への気づきを潰す結果になりえます
これは「数学的な思考力の育成」につながるものでしょうか?
私はそうは思いません
「順番を守ること自体」をゴールにするのではなく、
「なぜその順番があるのか」
「異なる考え方でも正しい場合があること」
を伝える方が、より深い学びにつながるのではないでしょうか
学習指導要領、少なくとも「算数」の第一目標には
「算数的活動を通して,数量や図形についての基礎的・基本的な知識及び技能を身に付け,日常の事象について見通しをもち筋道を立てて考え,表現する能力を育てるとともに,算数的活動の楽しさや数理的な処理のよさに気付き,進んで生活や学習に活用しようとする態度を育てる」
とあります
さて、「計算式を正しく、順番に書くことに固執する」のは、その目標達成にまっすぐ子ども達を導きけるものなのか
疑問が残ります
●計算式の順番に固執することの無意味さ
「順番が違うから間違い」とされるたびに、お子さんの自己肯定感は下がり、理不尽に晒されていることを実感するでしょう
そのまま、学校や教員に絶望してしまうケースもよく耳にします
教育は、「勉学の場」だけなく、
「日常生活の場」
「人格形成の場」
「集団活動の場」
などの場でもあります
一つの事柄に執着し、それを強要されることで、それらの場から得られるもの全て失う、可能性が閉ざされるのはバカらしくないですか?
全てを失う可能性の天秤にかけてまでやることなのでしょうか
大前提ですが、学校は子どもが長時間、長期間過ごす場です
そのため「学びの場」でもありますが同時に「安全基地」であるべきなのです
心理的安全性が保たれた環境であることが必要なのです
「順番を守ることに固執する」
「自分の正しさを強引に主張する」
ことで、
その安全基地が崩壊するのは、教育において「本末転倒」でしょう
「指導方法自体が見直されるべき」
とたくさんの人が声をあげているのはそのためです
●まとめ
我々大人はお子さんにどのような教育を提供し、どのような力を身に着けて、どのような人間になっていってほしいと願っているでしょう
「主体性のある人」
「間違いを恐れず、様々なことに挑戦する人」
「柔軟な思考を持つ人」
少なくとも、そういった大人に育つことが願われているのではないでしょうか
「勉強」はその過程でしかありません
自分たちの提供しているものの「目指すべきもの」が何か
もう一度見つめなおしてもいいのではないか と思う次第です