2024年版facebook投稿抜書き
誰も頼んでないのに毎年やっている一年分のfacebook投稿の抜書きを今年も。
ちなみに1年分の抜書きを分析して僕の考え方を簡潔に解説してほしいとの要請に4oが答えた答えが以下。
ーーーーーー
書き手の価値観を一言で言えば「漸進的で内省的な拡張と、慎重な調和の中で自らを高め、社会や組織とつながり続ける姿勢」と表現できる。書き手は、極端な行動や速さを避け、「ゆっくり動く」ことでリスクや摩擦を抑え、小さな機会を拾い続けることを重視する。また、「自由」や「成長」は楽なものではなく、責任や憂鬱と共に引き受けるべきものであると認識し、そのプロセスを肯定する。感情においては情動・空気・気分を分解し、冷静に観察するメタ認知を大切にしている。一方で、組織や人材育成には「クラフト」的なアプローチを取り、再現性よりも個々の身体知や技能の価値を見出している。政治や社会に対しては、単純な二項対立を排し、保守と革新、リベラルと権威主義といった多軸的な視点を提示。これらを通じ、慎重ながらも自己や他者、社会の可能性を広げ、真摯に向き合う価値観が根底に流れている。
1. 4月10日
何かにハマり始めたように見える時、
例えばK-POPとか、アートとか、ジュエリーとか。
そうすると、
「青木さんは〇〇が好きなんですね!」って言ってもらうことが多くて、それは確かにそうとも言えるんだけど、
「好き」とまでは言えない「きっかけ」と「ささやかな衝動」があるだけで「もしかしたら好きになるかも」とか「そもそもこれは自分にとってどういうものなのかが知りたい」と思って集中的にそれに浸ったり、発言したりしてる段階なんだよなーってことも多い。なんならその「きっかけ」と「ささやかな衝動」だけでやり続けている期間が1年くらいあったり。
そのうちようやく「あー好きなのかもなー」とわかってきたりする。
恋愛でも友情でもそうだと思うんだけど、先に「きっかけ」があって、運とか縁とか好奇心とかで接点が持続して、気がついたら「好きかもな」と思うっていう順番かなと思うんだけど、「好き」って思わないと誰とも接点持たなかったら恋愛も友情も生まれない。
それはコトでも同じかなと思っていて、先に行為や経験があって「好き」が生まれるから、「好き」とまではいかないけど、なんか気になる、なんかたまたま接点ができたみたいなことに一歩グッと踏み込んでみたら何が起きるのかなというのをみてみたい感じ。
自分って面白いなーって自分で自分にささやかに驚きたいってことなのかなー。こんなことも好きになるのかとか、前はなんか遠いなとか、なんならダサいなとかイタいなとか思ってたことでも、そっか自分も好きになるんだな、みんなもこういう気持ちだったのかみたいに変わってしまいたいんですよね。
表面的にはもっともっと一貫性がなくなってしまいたい。
でも別に修行がしたいわけではないので、頑張って興味ないことや嫌いなことをやることはないし、そんなに根性ない。
なので運、縁、好奇心、ささやかな衝動に気づいたら、一旦身を任せてみてるだけではあるのですが。
2. 4月15日
コロナになって50代に入り、いろんなそれまでは手をつけなかったことや、触れなかったことに触れ、少なからず影響を受け、自分の人生が変化している。
だけど「人生が変わりました!」「自分の人生を取り戻しました!」みたいな大袈裟な言葉だと自分の実感からは遠くて、この感覚はなんなのかな〜どんな言葉ならしっくりくるだろうかとこの二日くらい考えていたんだけど
「50代から人生を『味変』できたなー」という表現が今一番しっくりきてる。
食べてるラーメンは変わらない。
食べたくて食べにきているし、基本的に美味しい。
もちろん熱くて舌を火傷したり、急いで食べ過ぎて喉詰まらせたり、冷めないうちに食べたいし、伸びないうちに食べなきゃみたいな焦りもなくならない。
だけど食べたくて食べ始めて、基本的には好きなラーメンにちょっと飽きてきてた感もある時に、別の視点、別の味わい方、別の機会、別の出会いをちょっと混ぜることで「味変」させられたことで、ちょっとだけ新鮮に自分の人生を味わえている、ちょっとだけ驚けている、ちょっとだけ別の味変しても面白いかもと未来に期待できている。
そんな感じ。
これからも美味しいラーメンをぶち壊さない範囲で味変しながら、でもこのラーメンを腰を据えて生涯食べていきたいなとおもいました。
3. 4月22日
飲み会の是非みたいなのがXで流れてきていて、どちらの意見もなるほどなと思いつつポイントは
深い情報共有と信頼関係をつくることが組織としても個々人としても成果につながるという真理がまずあり、それをどのように実現するかの手段の選択肢の一つとして「飲み会」があると。
「飲み会」しかそれを実現する方法がないとか、それがあらゆる観点から最もコスパの良い施策なのであれば「飲み会」すべきだし、参加する方が得だと思う。
一方で飲み会をやらなくてもフォーマルな仕事の場での仕事やコミュニケーションでそれが可能なら飲み会をやることは不要だし、なんならそれ特有のコストがあるからやらない方がコスパが良くなることもある。
僕らは後者を試行しているし、それしか選択肢がなかっただけなんだけれど、飲み会の是非というよりはそれって飲み会でしか達成できない課題なのか?を一旦考えてみるのはアリな気がします。
4. 4月22日
先週末ネイティブアメリカンのラコタ族の儀式であるスウェットロッジというものにほぼ予備知識ゼロで参加してきました。100度を超える灼熱のテントサウナの中でロウリュウの凄まじいやつにさらされつつ、インターバルを挟みつつ3時間ほど。
極限のクライマックスでシャーマンが受け取った人智を超える大きな存在からのメッセージが伝えられる。
端的に言えば、進むべき道はより自分が自由を感じる方を選べばすぐわかるよということだった。
言葉だけを聞けばある意味普通のことだ。
だけど僕はこのメッセージを聞いた瞬間に以下のことがわかった。
——
自分にとっての自由は解放じゃない。重責から解放されたり、しがらみから解き放たれたら、たいした志も無い僕は心地よい自分という檻の中に閉じ込められて、何も知らず、何にも気づくこともなく、誰とも出会わず生きていってしまう。だけど重責があるから、しがらみがあるから、心地よい自分の中から引っ張り出されて多くを体験し、気づき、出会い、自分と世界に驚き続けられてる。この状態こそが僕が望む自由そのもので、僕は心の底から望んでる生き方をしてるんだな。
——
ずっと自分にとって経営の最終的な責任者であり続けることを向いてないし、上手くやれてないし、その状態が憂鬱で苦しいと感じてきた。
ため息と共に起きて布団からで出て、ため息をつきながら毎日眠りについてるこんな人生がいつまで続くのかと恐ろしくさえ感じてきた。
でも僕は自分に向いてない、身の丈にあってない責任を引き受けて、その経験から成長することも、慣れることもなく、ただひたすらに薄く薄く引き延ばされて最大限に拡がって行くこの日々のことを苦しくて憂鬱ではあるが、望みうる最大限の自由を享受していると感じてるのだとわかった。
僕にとって自由は楽しく、愉快で、心地よいものなどではなく、苦しく、退屈で、憂鬱なものだった。
だから僕はこの心から望んだ憂鬱な自由を与えてくれている全てのステークホルダーに感謝して、望まれている限り長く力を尽くして仕事をしていきたいと心から思った。
——
ここからは余談だが、ヴィムホフメソッドや密教瞑想の体験やスウェットロッジはどれも変性意識状態に自らを持って行くことで意識の外にある真理に身体的に近づこうとしている取り組みだと思う。
そして少ない経験からこの「変性意識状態」を体験してみた事でわかったことは、それがいわゆるトランス状態とかトリップ状態とかハイな状態という感じのものでは無いということ。
極限状態に身を置くことで、感情や思考の癖、コンプレックスや虚栄心や自意識のようなものはどんどん剥がれ落ちていき、残るのは極めて純粋な理性的な思考だった。
より動物的になるとか、錯乱するのではなく、その他全てが剥がれ落ちて極めてソリッドな理性だけが残ったようなそんな感覚になるのだ。
そのような状態で前述のありきたりではあるがシンプルで本質的な質問をされると、ものすごくはっきりと判断できる気がした。
また別の変性意識体験の際も同様か試してみたいです。
5. 4月23日
東京吉祥寺から立川の間くらいに自分たちの街をつくることをやりたい。
郊外の街をセンスよくマイクロデベロップメントしてみたいな。
6. 4月26日
円高で1ドル80円くらいの時には、それはそれでみんな世界の終わりくらい騒いでた。現在その頃から比べると円の価値は半分近くまで目減りして、まあ大騒ぎだ。
でもなんでもそうだが、その時の自身にとってちょうどいいところなんて細い綱くらいの幅しかなく、あとは全部どこか不本意な状況だ。
今の状況に対応できている人は、以前の状況には対応できておらず、この先の変化にも対応できないかもしれない。
今の状況に対応できていない人は、昔対応できていて、この先にはまた対応できるのかもしれない。
でも今の状況に今から対応しようとし続けていると、もしかしたらいつまでも時流と自分がピッタリと会う瞬間に出会うのが難しいかもしれない。
円の価値が目減りすること、インフレが一定進行することは、過去に巨大な債務を積み重ねてきたがそれらの大半が国内向けの円建て債務である我が国にとっては、ソフトランディングさせられる契機になることだって想像できる。
年金基金、日銀が金融緩和のために買い続けた金融資産。
どちらのポートフォリオも想像だが大きくプラスになっているのではないか。
それなら日本の社会保障費についての問題にとってもプラスの部分もあるのではないか。
先進国の出生率が下がるのはもはやどの国でも避けられないことであるわけで、97年から人口が減り始めていたのに、労働市場にでてこなかった女性と年配者という埋蔵金を掘り起こし、実質的な外国人労働者も増やしながらなんとか社会を成り立たせてきた。
保育園の待機児童問題も全体で見るとピーク時の10%程度まで減っているとの話も聞く。
国民の大半がidecoやnisaのような制度を使って資本市場にお金を循環させるようになっている。
世界中から外国人が日本を目指してやってきて、BtoCのグローバル戦略の初手から海外で展開する必要が薄くなり、日本で外国人に自社の商品やサービスを知ってもらえることで逆に海外に売って出やすい環境になっている。
地政学リスクは高まっているが、だからこそ西側諸国は貴重な東アジアの盟友である日本をとても大事にするように変化している。
課題もたくさんあるし、問題もたくさんある。
だけどたとえ将来が見通せず、大した戦略が描けなかったとしても、目の前のものをなんとか丁寧にやりくりし続けた30年を経て、極端な治安の悪化、社会基盤の劣化、インフラの崩壊などを起こさずこの状況を迎えられてるって、大したもんだなと思う部分も多い。
7. 4月28日
日本人の休日や労働時間が少なくなって、GDP等為替の影響を受けるものじゃない、円ベースの一人当たりの売上総利益が休日増加、労働時間の減少に伴って下がっていることを示すエビデンスってどこかにあるんですかね?
僕の浅ーーーい認識では直近10年の上場企業の収益性や効率性はそれ以前と比較すると向上しているのかなと思ってました。
連休とかがあるたびに日本の労働時間が少なくなって、他国と比べて生産性が低下して競争力が失われてるっていうような意見がSNSとかで投稿されてるのですが、ドイツにも抜かれて、インドにも間も無く抜かれて、、、って書いてるのはだいたいGDPの話で、その大半が為替影響の話で労働時間との相関関係なさそう。。っておもうのですが、やっぱり円ベースの一人当たりの売上総利益が減ってるんですかね?
もし労働時間減ってて円ベースの一人当たり売上総利益が維持もしくは上がってたら時間効率上がってて素晴らしいことじゃない?と思いますし、労働時間の減少分しか下がってないなら効率は維持できてるので、あとは社会として何を選ぶかかなーと思う。
ただここが労働時間の減少分を超えて下がっていて、効率悪化してるのはまずい。
なんかポジショントークじゃない真実がしりたいなー
8. 5月11日
「ブランディングしよう」
というかまえでいろんなことをすることは
「モテよう」「人気者になろう」「尊敬されよう」
としてなんでもやることに近くなって、どうしても
「サムい」「イタい」
という雰囲気が出ることを避けられなくなる。
じゃあブランド化された状態つまりは興味と好意と敬意を勝ち得てる状態があるとすればそれはなぜ得られたのかといえば、それらを実証するエピソードがたくさんあるからじゃないだろうか。
だからまず自分が興味深いと思うことを実践する。
素敵だなと思うことを実践する。
見習いたいな、目指したいなと思うようなことを実践する。
そしてそれを絶え間なく続けていけば、
興味と好意と敬意を抱く裏付けとなるエピソードが積み重なっていくはず。
そしてそれは他者に見せるためにやってるわけではないので無理のない、その時々の身の丈にあったものになるはず。
そうやって積み重ねた魅力的な、でも自然体なエピソードを、掛け合わせてみる「見立て」を提供することでエピソードのポテンシャルを引き出したり、一つのエピソードの持つ力を長持ちさせる。
エピソードが生まれていく順番やそれが伝わる経路を多少意識することでそもそものエピソードが持つ魅力がわかりやすくなるようにする。
みたいなことがいわゆるブランディング活動ができることで、それは「よく見せよう」というよりは「エピソードのポテンシャルを活かそう」という態度なのだと思う。
日々のエピソードづくりは自然体で自分が受け取り手として見たら面白い、素敵、尊敬できるなと思うことの実践をずーっとし続けて、同時にダサいと感じるようなことはできるだけしないということに全力を傾けること。
そしてそのエピソードが十分溜まってから客観的に見てこれら散らばった魅力的なエピソードを繋げてコンテクストとして見てもらえる工夫をしていくことがブランディングというものなんじゃないかなー
まあブランドという言葉の定義もそれぞれなので自分の理解のブランドづくりはって感じか。
あとよくブランドか収益や成長かみたいな二者択一的な議論があるけど、ビジネスのブランドづくりであれば、そのビジネスにとってイケてるレベルの収益性や成長性がそれぞれにある気がしてて、それが大きすぎてダサくなることもあり得るし、無さすぎて興味や敬意が得られないこともあるので、それらはブランド価値を構成する一要素なんじゃないだろか。
ブランドと収益性や成長性はレイヤの異なる概念なので。
そういう意味でただ会計的な規模を追求して自分とステークホルダーに最大限の利益を与えることが目的だったとしてもブランドがないよりあったほうが達成しやすいのは自明なわけだが、一方でビジネスであればそのビジネスにとってフィットする収益性や成長性を持たないこと自体がブランドとしての興味や好意や敬意の獲得を阻害する可能性があるわけで、それらを蔑ろにしたブランド形成など絵に描いた餅であるのはその通りな気がする。
ただありえるのが成長性と収益性の最大化だけをストイックに追求しているように見えて、適切なブランド構築を怠っていて、結果長期的な観点での収益の最大化に失敗するというパターンなのかも。
9. 5月12日
最近双極症についてのYOUTUBEや記事をいくつか見て、自分が病気としての双極症だとは思わないけれど、結局これは程度問題で健常と病気に分けられているだけで、人間の本質として意識してそのスコープで自分や他者を観察してみるととても面白いなと感じた。
アイディアがたくさん湧いて、テンションが上がって、勢いよくいろんなことを始めたくなったり、仲間を作りたくなったりみたいなことはあるし、一方そんな自分が喋ったことを後で後悔したり、そういう状態で決めたり始めたりしたことに、落ち着いた後苦しめられたりというのは誰しも程度によってはありそうな気がする。
僕のこれまでの人生を振り返っても、双極のスコープで考えると躁っぽい時にに決めたことで世界が広がり、鬱っぽい時にそれをコツコツつくったり、整理したりすることを行き来しながらここまできたような気がする。
そしてとにかく強烈な刺激を受けて調子に乗ってしまうことをすごく恐れていて、いつもそうなってないか?基本そうなってる可能性があるので大胆な判断や決断をせず、小さく刻んで退路も残して意思決定することを自分に強いてきた。
多分それは自分の中にもある双極性への懸念を経験的に直感していたからなのかもなと思った。
また大きな注目や、成功や、賞賛や、さまざまな物事や人との出会い等は強烈な刺激となり、どんな人でもある種の躁状態に追い込んでしまう可能性があって、躁状態になるということは、その後に鬱状態が待っているということなので、鬱に気をつけるよりも、躁状態になり得る状況に注意して、極力色々なものから適切な距離を保ちながら適度に低刺激な生活することを割と強い意志をもってやってきたのかもなとも。
病気としての双極症じゃなく、人間のプロトコルとしての双極性を日々意識してみるともう少し自分の無意識を掴めそうな気がする。
10. 5月13日
特殊意志や集合意志は「人」の意志であるが故に、それによる制限は「反抗」という「悪」を生むので、ある「意志」を「神」の意志にする、「法」の精神とする、神授した「王権」の意志とする、選挙結果という顔の見えない「民意」とすることで、意志の主体を「モノ」化して物理法則に対峙するように人がそれと付き合える状況を作る(高いところから飛び降りると重力のせいで怪我したり死んだりするので飛び降りるべきでない的な制限に対してその制約を加える主体である自然界に反抗する気持ちは持ちようがないのと同じ状態に近づけようとすること)ことを人間は延々とやってきていて、今はそれがAIに期待されることになっていると。
ルソーの言う「一般意志」をどう実現するか、一般意志の本質的な脆さをどうにかする実験がずっと行われてきているんだな。
11. 5月17日
今期のストレスチェックの結果が、お願いしている事業者さんが担当されてる650社くらいの会社のうちストレスの少なさで1位になった。ずっと3位くらいだったので1位は初めてだから嬉しい^^
ストレスが少ない理由を見ると、仕事の質と量の要求のプレッシャーは高いものの、上司や同僚からのサポートが強く感じられるために結果的にストレスが少なくなってたのが本当に素晴らしいと思いました。
あと一番嬉しかったのは、仕事の量と質の項目以外の全ての項目でマネージャーのストレスが一般社員のストレスを下回ったこと。
マネージャを支援し、孤立させないこと、必要な道具をしっかりと渡すことで、マネジメントエクスペリエンスを上げることにここ3年くらい取り組んできていたので、とても嬉しい結果だった。
12. 6月5日
英国の貴族制が現段階で国会に貴族院が存続する等世俗権力や財産保持、名誉等が維持できている理由は、時間をかけて(でも遅すぎずに)漸進的に税制の優遇や政治的特権を手放し、それでいて国家や地域社会への貢献はしてきた歴史による。
フランスは貴族が特権にこだわったこと、元々国家予算の大半を平民からの直接税で賄っていたこと、絶対王政で国王の権力が強大だったことで領地にいるより王宮にいる方が政治的、経済的に貴族にとってメリットが大きかったことで、領地経営の責任が十分に果たされていなかったなどの理由で革命が起こり、共和性となってしまった。
スペインも君主制を維持し、貴族制も残っているが、実際の政治にはほぼ関与できない状況になったのも、負担格差における貴族の特権への執着が革命を引き起こしたことに一つの原因がある。
なので現代においても富裕層への課税強化等は足りない予算を補うためにはほとんど機能しないが、富裕層を社会から分断せず、むしろ立場を一定保全するため(革命を起こさないため)に必要な手立てなんだろうなと思う。
アメリカで起きているトランプ旋風もまさにこの(革命)に近い動きな気がする。
なので税率が高いと金持ちが逃げ出して国が貧しくなるという言説は疑ってかかる必要があるように思う。
むしろ安定した住みやすい国に住めるというお金では代え難い価値を富裕層がこの先も長年享受するための必要な代償なのではないだろうか。
13. 6月5日
意識してゆっくり動くのって実はめちゃくちゃむずい。
フォックスウォークというネイティブアメリカンの偵察者の森の中で音を立てないように極限そーっと歩く歩き方の練習をした時、ゆっくり、全身に神経を行き渡らせながら動くってこんなに難しいのかと驚いた。
まずそもそも長い時間体の隅々に神経を行き渡らせ続けるのが難しいし、体幹が弱いと早く動くよりグラグラしやすい。自転車を極限ゆっくり漕ぐ時の感じ。
この動き方の良いのは周囲の環境に影響を与えない、シグナルを発しない、変化に気づきやすい、気づいたらすぐに動作を止めたり変えたりできるなどがある。
それによって偵察される側からすると突然近くに現れる、そもそも存在を捉えられないなど、めちゃくちゃ動きが早いものに感じるような脅威を感じさせることができる。
最近このとても遅く、なんなら止まってる?っておもうほど遅く、でも長く継続的に動き続けることができることが社会でも、企業のような組織でも、個人でも、本当に意味ある変化、成長、成果を実現するのにとても有効で身につけるべき身体操作な気がしてる。
遅いと気づかれないので抵抗や摩擦がほとんどなく、シグナルに気付ける上に、変更や停止が容易なことから、失敗や失策のダメージを受けることが少なく、小さな好機に気づいて生かしやすい。
一方動きの速さにこだわると、視野が狭くなり、リスクにもチャンスにも気づきにくくなり、気づいてから修正するのにも時間と労力がかかり、早く動くことで周囲に変化を察知されやすく、抵抗や摩擦を生んで、早く動こうとするエネルギーを消耗してる割に進めてないみたいなことが起きやすい。
現実的な範囲でどこまでゆっくり遅く動けるかの訓練が大事だし、僕らはせっかちだった僕が、遅さを身につけたことでここまで来れた気もするな。
14. 6月9日
直近2週間くらい一日何度か今の気分を普通とか憂鬱とか快適とかこたえで記録するジャーナリングをやってみてるんだけど、結論から言うとほとんどの時が普通で、たまにちょっと気分いい時があって、憂鬱と答えたのは1,2回でほぼ夜寝る前くらいの時間だった。
この結果を受けての気づきは、例えば先月どんな月だった?今年はどんな気分の年だったと聞かれるとほぼ例外なく、いや憂鬱でしたねーと答えてきたと思う。
しかしそれを瞬間瞬間の今に細分化して確認し、記録してみると、憂鬱な瞬間などほとんどなく、ハイでもローでもない普通の時間がほとんどなのだ。
一方「気分最高!」みたいな瞬間は全くなかった。
これを憂鬱な人生と解釈するのか、穏やかで静かな人生と解釈するのかで、自分の人生の捉え方はすごく変わるなと。
そしてもっと自分の人生や時間の過ごし方を細かく厳密に見ることで、気分から現実を解釈するのでなく、現実から気分が生まれるようにした方がいいよなーとも思ったり。
普通の気分は記憶に残らず、気分最高!みたいな瞬間は存在しておらず、ごくまれに憂鬱な気分の瞬間があるという状況だと憂鬱な気分の記憶だけが残り、振り返るとその印象で過去を解釈してしまう。
でも瞬間瞬間の刺激もないが穏やかで冷静な時間がこんなにあることをもうちょっと踏まえて自分の人生の時間を解釈したいなと。
15. 6月10日
僕らがほんと10年以上前から言ってきて実践している「カテゴリの花束」戦略とは、今っぽく言えば「コンパウンド戦略」ってことなのかもなと思った。
インテリア、キッチン雑貨の仕入れ販売から始めて、アパレル、寝具、アンダーウェア、コスメ、スキンケア、家具と同じ顧客の可処分所得に答えられるスタイルの一貫性を保ったマルチカテゴリブランド化していくことで成長してきたのが僕らなので。
僕らの規模でこれほど多くのカテゴリの商品を自社企画開発して売り切るケイパビリティを保有できてる会社はあんまりないもんなー
16. 6月11日
なんか自分のマネジメントスタイルは大学のゼミの教授が学生を指導するようなスタイルなのではという仮説が生まれたのだが、いかんせん自分が大学に通った経験がないのでゼミがどんなとことで、どんなやり取りが行われてるのか、どんな空気なのかがわからない。
ゼミに通ってみたい。
17. 6月11日
たった今自分的に発見したんだが「感情」を有用に取り扱うためにまずは「emotion=情動」「sentiment=空気」「mood=気分」を分けて考えることから始めて、自分の「感情」だと思っているものから「空気」と「気分」を分けて「情動」にフォーカスできる状態になると、「感情」を武器として使えるようになるなと。
そして「空気」は否定せず、認識しても自分を同化させずの距離を保ち、「気分」は自分の状態を表すバロメーターとして観察するに止め、無駄に変化させようとしたり因果関係を考察しようとしたりしないでいることで、正しく取り扱えそう。
18. 6月12日
半年くらい前まで、自分の手持ちのカードを使い尽くした。。。みたいに感じていたのだが、ここまで手持ちの特殊なカードだけで勝負して規模を拡大してきたおかげで、普通の人たちはもっと早くから使っているドでかいカードが複数枚手付かずで残っており、このタイミングからカードを切れるからこそ副作用もほぼない状態で使えるかもしれんなーと思えてきた。
ぼくらの初めてのエクイティファイナンスがIPOだったように、普通の人が普通に使う道具を使わずに成長させて、十分な余力を持って大きなカードを使うと副作用がほぼなくメリットだけを享受できるってのはあるな。
特殊カードで勝負してきたタイプの経営者は、普通で、だからこそパワフルなカードが手元にあることを忘れがちなのかもしれないな。
19. 6月12日
リモートワーク中心の会社だと、会社が大きくなって人数が増えたことを感じにくいことがかえって組織上の問題を引き起こしにくいというメリットにつながっているのかもしれないという仮説。
とにかく人がいっぱいいるという認識は疎外感や自分ごと化のしにくさ、自分がone of themに感じられてしまうなどのデメリットを引き起こしやすいが、そもそも個人が関われる人数は会社全体の人数が増えてもそんなに増えないわけで、実態としてのコミュニケーションパスの量は変化がないのに、会社の人数が増え、話したことがない人を多数認識し、そのことを絶えず意識させられることで上記のようなデメリットを引き起こしている可能性がある。
しかしリモート中心の会社だとそもそも人数が増えたことを体感することが少ないため、人数が数倍になっても良い意味でピンとこないことによって、拡大期特有の課題が表出化しにくいというメリットがあるのかも。
これってBtoCのサービスがアプリやwebだけで提供されていると、どのくらいそのサービスが大きなサービスになっているかを意識されにくく、拡大によって昔からのお客様が離れるみたいなことがフィジカルなサービスに比べて起きにくいというメリットがあるのに似てるのかも。
20. 6月26日
研究は革新的かつ果敢に。
開発は保守的かつ丁寧に。
企画は魅力的かつ精緻に。
業務は持続的かつ柔軟に。
という家訓を考えたw
21. 6月29日
保守とリベラルという立ち位置を二項対立的に捉える人が散見されるけど、そこは対立する概念ではなく別軸の話。
保守に対立する立場は革新だ。
保守は過去から時間の洗礼を受けながら残ってきたものを、理性的な視点からだけでなく、身体性、情緒性、コモンセンスの観点から一定価値のあるものであることを認めて肯定的に捉えつつ、そこを始点として漸進的に改善改良を積み重ねていくことで良くしていこうという立場のこと。
だから政体、家族制度、宗教、習俗などを尊重し、いかなる理由があれ急速に変化させるのではなく、必要なら部分的な手直しを必要に応じて行い時間をかけて良くしていくことが社会の秩序を保ちながら、過度の痛みや混乱を招かずより良い状態に近づくあり方だと考えている場合が多い。
急がば回れとかゆっくり急げ見たいな考え方。
一方革新は理性的な思考に基づく合理的な判断もしくは現時点の価値観に立脚した倫理的な判断によって、不合理であったり、非倫理的であったりするものはあるべき形に作り変えるべきであるという態度のことである。
多くの人がその変えるべき対象を擁護しているような場合でも、革新の立場はその人たちは理解が不十分であるから啓蒙すべきであると捉えることが多い。
なので基本的にはなる早で根本的に合理的なもの、倫理的なものに作り変えることを志向するため、コンフリクトを厭わない。
ただ自身の主張の正当性が、今の視点で見た合理性、現時点の倫理観にのみによって立つ場合が多いため、一旦革新を起こし既存のレジームを破壊してその上に自らが構想した新しいレジームを打ち立てた後で見つかる瑕疵や矛盾や非倫理性を認めることが難しく、革新後に継続改善していくことが極めて難しいケースが歴史的には大半を占めている。
ではリベラルという概念に対置するのが保守ではないならなんなのか。
それは権威主義である。
リベラルは基本的に社会の構成員は生来それぞれが他者を害しない範囲において自由であり、だからこそ権利の平等が大事であるという考え方である。
現代の先進国を中心とした社会は基本的に保守であれ革新であれ、リベラリズムにおいては程度の差こそあれ基本的には一致しており、どこまで個人の自由を保障するのか、どの程度の権利の平等が相応しいのかの程度問題の議論しか残されていない。
一方の権威主義は
権利や権限を統治者に集めて、構成員個々の自由と平等は抑制することがより効率的であり、社会全体の繁栄につながるという考え方である。
中国や北朝鮮、ロシアなどはこうした国に分類されることが多い。
面白いのはこれらの国が革新勢力によって保守勢力が排除される革命を経てできており、革新かつ権威主義という成り立ちの国も多く存在する。
つらつらと書いたが、
保守とリベラルは別軸のはなしであり、
保守でリベラル 日本や英国
保守で権威主義 中東の族長国家
革新でリベラル 理想的ではあるが脆く容易に権威主義化する
革新で権威主義 中国北朝鮮ロシア等
の4象限で捉えるべき概念である。
アメリカとフランスはどちらもリベラリズム革命によってできた革新国家なのだが、キリスト教を重んじることを受け継いだこともあり、リベラリズムの立場は共通しつつも、保守と革新が合い半ばで争う国家となっている。この二国の内戦の歴史や暴動の多さなどはこの辺からもきてるのでではないか。
自分の思考の整理のための長文。
自身の個人的なスタンスは保守主義かつリベラリストになるのではないか。
22. 6月30日
僕はずっと哲人皇帝のコンセプトにシンパシーを感じてきたけど、今はっきりわかったのはその奥に詩人皇帝というコンセプトがあり得て、僕は明確にそちらににじりよってる。
23. 6月30日
そうか
再現可能な状態をつくろうとするのではなく
説明可能な状態を目指すべきなのだ。
再現性は再現に取り組む他者の能力、資源、環境に依存するが説明できる、つまりはメイクセンスする状態にするのは自分だけでできる。
よって目指すことができるのだ。
説明可能性を高めることを目指すと、結果論として再現性が高まる。
再現性を高めようとすると、誰でもできる、誰でもわかるに落とし込もうとする結果として、卓越性や競争力を低下させることにつながる。
でも説明可能性を高める取り組みにはそれがない。
メイクセンスすることを目指す、そしてそれを厳密に言語化し体系化しようとすることは、卓越性や競争力を毀損しない取り組みだ。
なるほどやっとわかったぞ。
24. 8月2日
個人と組織と社会を統合するナラティブを編み、繕い続け、個人が組織の中での位置と役割を、組織が社会の中での位置と役割を認識し、腑に落ちた状態を作ることが、機能する社会をつくり、機能する社会はより生産的になりイノベーションも起こりやすくなり、機能する社会に位置と役割をもって統合された組織は機能する組織となり、機能組織に位置と役割をもった個人は生産的になる。
だから経営者は個人と組織と社会がどう繋がっているのかを一貫性を持ってものがたりつづける、物語を一貫性を失わずに変化させ続ける必要があるんだな。
全てのマネジメント活動の根本はこれに資するかどうかなんだな。
25. 8月9日
国のトップのミッションは
安全保障
治安維持
経済活性化
の3つ。
企業なら
安全保障=競争戦略
治安維持=組織開発
経済活性化=ビジネスモデル構築と成長戦略
かな。
26. 8月10日
先日とあるメディアさんの取材を受けた時に自分たちの人事施策について問われて、あまりに身体知、身体的な技巧でやっていて、説明は可能なんだけど再現性は低すぎることに話しながら気づき、僕らの人事は「クラフト人事かもですねー」と冗談まじりに言ったのだけど、結構芯食ったコンセプトな気がする。
現代におけるホワイトカラーの仕事は担当する本人に極めて複雑な身体知と身体的な技巧を時間をかけて身につけててもらえれば、その効果はテクノロジーの力でかなり広範囲に高効率に影響を与えることができる。
道具の生産性が高まりきったのだから昔はよく効率や規模とトレードオフしていた身につけるのに時間もかかり、再現性も高くはない身体知、身体的技巧の方がものすごく高くなってるのかもしれないし、そういったクラフトの豊かさと効率や規模がトレードオフの関係ではなくむしろ掛け算的に価値を高めるものにすでに変わってしまってるのかもしれない。
人間がそれをいまだしんじることができないだけで。
27. 10月20日
もはや今、最も勇気が必要な主張は、いろいろ課題はあるけど僕らそれなりにうまくやれてるよね、ということを過去の実績とか、他者からの評価とかを抜きに、またそれに基づくプロパガンダとしてでなく、フィジカルにそう感じる、あるいは感じれる意思ある楽観を持ってエビデンスなく自分はそう感じるという主張だと思う。
昔は良かったでも、日本は素晴らしい国だでもない、自分は少なくとも今ここで悪くないよと。先はわからないけど、今ここでいい気分だぞと。
そしてそういう主張が積み重なることでセンチメントが変わることだってあると思う。
28. 10月21日
「自家自証自悟」という言葉を知るとともに、その価値を再確認できた。
まさに僕がやりたいこと、ありたい姿そのものだ。
29. 11月26日
自分の強みを活かす、自分の経験を活かすというと聞こえはいいが、中学生が小学生の勉強で無双したい、みたいなことと何が違うのだろうとも思う。
いつも苦手なこと、未知のこと、不確実なことに向き合い続けるのは、葛藤もあり、自己効力感を感じるという快感も少なく、ずっと思春期のようなよるべのなさが付き纏うが、小学校が終わったら中学校に入り、中学校が終わったら高校に入りという変化を繰り返していくことはみずみずしく、より多くの真実を知り、より多くの人と人生を分かち合うことができる。
0→1から始めて成功した人は、ほぼ全員が0→1は得意だろう。なぜならそれは経験済みだから。1→10、10→100は苦手だろう。なぜならそれは成功体験が乏しいから。
「自分は得意なことに集中した方が社会の役に立てる」みたいな説も一理あるなと思いつつ、葛藤と憂鬱の先により広範な責任を負える人が増えていくことも大きな貢献だと思う。
得意か不得意かではなく、没頭できるかどうか、幸せかどうかではなく、ちゃんと卒業と入学を繰り返し続けることで、自分を最大限に広げ、最大限に磨き、世界の一部でも真理の深淵に触れるところまで行きたい。
そのためにはずっと自信が持てなくても、憂鬱でも、他者から侮られてもいいなと思うんだよな。
30. 12月18日 23:28
no-no-girl見てるんだけど、ちゃんみなとSKY-HIのリーダーシップ、マネジメントが素晴らしい。何より知覚力と共感力、真摯さ。現代のリーダーシップとマネジメントとは何かが詰まってる。
マジで昭和回帰してる場合じゃないよ。