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「上野千鶴子」を否定するために 反60年代のススメ

後期高齢の過激派たち


上野千鶴子が朝日の媒体で「憎まれ口」を叩き、案の定、下の世代から憎まれる、という、最近よく繰り返される構図ーー


私たち団塊の世代は物わかりのよい老人にはなりません。暮らしを管理されたくない、老人ホームに入りたくない、子どもだましのレクリエーションやおためごかしの作業はやりたくない、他者に自分のことを決めてほしくない、これが私たちです。上の世代のように家族の言いなりにはなりません。

上野千鶴子さん「若い世代は親の介護から学ぶことが大事」 自分の老後前に備えるべきこと(AERA dot. 2024/12/18)


若い頃は全共闘活動家としてゲバ棒振り回し体制に反抗しておいて、自らが老人となり多数側に回るや否や、介護を通じた若者への搾取を肯定化する
こんなに自己中心的でダサい生き方ある?
(すぽこんくん 2024/12/20 13:51)


いまや後期高齢者(75歳)になった彼ら、彼女ら。

私が「過激派老人」と呼ぶ彼ら、彼女らを、どう成敗すべきか。

もちろん、この世代全部が悪いわけじゃない。

そして、「成敗」はもちろん、思想的な意味ですけど。


68年の思想


まず、上野千鶴子(1948年生まれ)は、ここで「団塊の世代」と自己規定しているけど、正しくは「68ers(シックスティエイターズ<元はドイツ語>)」と言うべきです。

1960年代の学生反乱時、とくに1968年にピークを迎えた新左翼運動に参加し、その影響をずっと引きずる人たちのことです。


「68ers」は、世界中にいるし、いわゆるベビーブーマー(団塊の世代)より、もう少し広い年齢層になる。

佐高信や落合恵子らの1945年生まれはもちろん、椎名誠(1944年生まれ)、鳥越俊太郎(1940年生まれ)、田原総一朗(1934年生まれ)あたりまで入る。

生まれた年が重要なわけではなく、どの時代の思想に影響を受けたかが重要ですから。


そういう意味では、もっと若くても、いわゆる「68年の思想」を信奉する者は、すべて「68ers」と言える。

そうすると、浅田彰あたりから、若手まで含めて、人文・社会系「大学の左翼」の多くがこれに入ってくる。

ここでは、そこまで話を広げませんが。


「制度内への長征」


世にはばかる上野千鶴子的老人たちを否定するためには、68ersの思想とは何かを知らなければなりません。

そこで「ゲバ棒を振り回した」というイメージだけでは、不足なんですね。

ゲバ棒を振り回した後のことが重要なんで。


ここで必要なのは「制度内への長征 a long march through the institutions」という思想への理解です。

これは、60年代の有名なドイツの学生活動家、ルディ・ドゥチュケが提唱した思想でした。

日本語のwikiでも、簡潔にその内容が説明されています。


アルフレート・ヴィリ・ルディ・ドゥチュケ(Alfred Willi Rudi Dutschke, 1940年3月7日 - 1979年12月24日)は、1960年代後半の西ドイツにおいて非常によく知られた学生運動家、社会学者、政治運動家。
彼は、社会の機構の完全な一部となることにより、政府や社会の中から過激な変革を実現するという「制度内への長征」を提唱した。これはアントニオ・グラムシやフランクフルト学派から得た着想であり、1970年代には当時生まれたばかりの環境保護運動に加わることでこの思想を実践してゆく。


60年代の学生反乱は、だいたいどの国でも、混乱と内ゲバの悲惨な結末を迎えました。

「革命」の夢が潰えた時、彼らは次に何をすべきだと思ったか。

「社会の機構の完全な一部となることにより、政府や社会の中から過激な変革を実現する」

これが、彼ら60年代過激派の生き残りが日本でもやっていることであり、大学とかマスコミとか行政機構とかの「制度」の中で実践していることです。

彼ら彼女らは、左翼思想の洗脳が解けるまで(おそらく死ぬまで)、この「長い行進(長征)」を続けているのです。


*長征(ちょうせい、簡体字中国語: 长征; 繁体字中国語: 長征; 拼音: Chángzhēng; 英語: Long March)は、国民党軍に敗れた紅軍(中国共産党)が、中華ソビエト共和国の中心地であった江西省瑞金を放棄し、1934年から1936年にかけて国民党軍と交戦しながら、1万2500kmを徒歩で続けた移動をいう。「西遷」(せいせん)、「大西遷」ともいう。(wiki「長征」より)


日本に不足する「反60年代論」


こうした左翼に対抗する時、1960年代の思想への批判がぜひ必要なのですが、日本では、「反60年代論」が少ないんですね。

たとえば、たまたま目についたので引き合いに出すと、若手保守評論家の浜崎洋介さんは最近『小林秀雄、吉本隆明、福田恒存ーー日本人の「断絶」を乗り越える』という本を出した。


ここで吉本隆明が出てくるのに新味があるとはいえ、小林秀雄とか福田恒存とか、お馴染みの名前は、要するに1930年代のプロレタリア文学の流行に反発した人たちなんですよね。

吉本隆明も、全共闘世代に影響力があったとはいえ、基本的にはプロレタリア文学論から発した人。

それが悪いとは言わないけど、話が古すぎないか? 

いま日本で保守思想を問うなら、1960年代の新左翼思想への批判から始めるべきではないでしょうか。それこそが、今の左翼リベラル思想の主流なのだから。


アメリカ保守派の「反60年代論」


私は最近 noteで、「トランプの出現を予言したアメリカの保守派」のデヴィッド・ホロウィッツと、ロジャー・キンボールのことを書きましたが、彼らはそれぞれ、「反1960年代論」の本を出しています。

そして、その両方で、上記の「制度内への長征」思想に触れています。

その部分を、以下に訳出しておきます。


つまり、左翼は冷戦から文化戦争へ、マルクス主義から多文化主義へ、急速に移行したのである。 60年代に大学を焼き払うことに失敗したラディカルは、ドイツの新左翼ルディ・ドゥチュケの「制度内への長征」の呼びかけに応じて、70年代に大学院に戻った。そして今、彼らはテニュア終身在職権)審査委員会の委員となって、自分と同じ思想の者だけを大学の教授に採用している。
大学は、60年代の不朽の遺産の一つである反米主義の最後の避難所となったのだ。

So it was that the Left made a swift transition from the Cold War to the culture wars, from Marxism to multiculturaliam. Having failed to burn down the universities in the Sixties, radicals went back to graduate school in the Seventies in responce to German New Leftist Rudi Dutschke's call for a long march through the institutions --and now they sit on tenure committees, making sure that only those who think as they do hired.
The universities have become the last refuge of the anti-Americanism that is one of the enduring legacies of the Sixties

ピーター・コリヤー、デヴィッド・ホロウィッツ『破壊の世代 60年代再考(Destructive Generation)』(1996)p371

Destructive Generation (1996)


60年代と70年代、過激な政治革命の幻想が消えた後、多くの学生ラディカルたちは、支持者たちに向かって「制度内への長征」を促した。このフレーズはドイツの新左翼ルディ・ドゥチュケによって広められ、カウンターカルチャーの旗手としては非の打ち所のない権威であるイタリアのマルクス主義哲学者アントニオ・グラムシの著作に依拠するとされることが多い。しかしもちろん、この「長征」という言葉には、毛沢東が共産革命時におこなった長征と、彼の文化大革命といった、さらに高次の権威のオーラも漂っている。

西洋社会学の文脈では、「制度内への長征」とは、ヘルベルト・マルクーゼの言葉を借りれば、「既成の制度の中で働きながら、それに反対する」ことを意味していた。マルクーゼのようなラディカルのカウンターカルチャーの夢が勝利を収めたのは、主に、対立ではなく、ほのめかしと浸透という手段によってであった。ベルボトムのジーンズ、長髪、マリファナといった小道具は必要なかった。重要なのは、それらが象徴する快楽主義的な無軌道主義であった。その意味では、学生のストライキやデモの記憶が、ノスタルジーの歪んだ輝きの中で薄れていくほど、カウンターカルチャーのラディカリズムが文化を支配していったのである。

In the Sixties and Seventies, after fantasies of overt political revolution faded, many student radicals urged their followers to undertake the "long march through the institutionas." The phrase, popularized by the German New Leftist Rudi Dutschke, is often attributed to the Itarian Marxist philosopher Antonio Gramsci--an unimpeachable authority for countercultural standard-bearers. But of course the phrase also carries the aura of an even higer authority: that of Mao Tse-tung and his long march and cultural revolution.
In the context of Western societics, "the long march thorough the institutions" signified--in the word of Herbert Marcuse--"woking against the established institutions while working in them." It was primarily by the means--by insinuation and infiltration rather than confrontation--that the countercultural dreams of radicals like Marcuse have triumphed. Bellbottems, long hair, and incense were dispensable props; crucial was the hedonistic antinomianism they symbolized. In the sense, countercultural radicalism has come more and more to define the dominant culture even as the memory of student strikes and demonstrations fades under the distorting glaze of nostalgia.

ロジャー・キンボール『長征 文化革命がいかに60年代のアメリカを変えたか(The Long March)」(2000)p15 


The Long March (2000)



私も、及ばずながら、自分自身の「反60年代論」を書きたくて、今年はnoteで1960年代の話題を多く書きました。

60年代に抵抗した日本人、として、まず思い浮かぶのは三島由紀夫です。だから、三島由紀夫について書きました。

次に私が思い浮かぶのは、1960年に自殺した火野葦平です。だから、火野葦平についても書きました。

最近の「ビートルズとモンキーズ」なんて主題も、私自身のノスタルジアもありますが、やはり1960年代を捉え直したい、という動機にもとづきます。


「反60年代論」が難しいのは、私のような1960年代生まれにとっては、自分の人生の全否定にもつながるからですね。

若い人にとっては、もっと難しいでしょう。「60年代以前の日本」を想像できなくなっていますから。68ersたちが作った日本が、当たり前の日本だと思い込んでいるかもしれない。


でも、現代の日本を批判するなら、1960年代まで戻って批判しなければならない、という見通しは、正しいという感触があります。

来年も、この線に沿って、いろいろ考えてみたい。

上野千鶴子の話からだいぶ離れてしまったので、今回はこれまで。



<参考>


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