無為自然 〜私のマネジメント〜
私のマネジメント方針
"無為自然"
人間には煩悩がある。知性と比例する人間の性である。資本主義において煩悩を排除することは適切ではない。人間の煩悩をブーストさせるのが資本主義。現代のゲームは資本主義ルールで進行している。よって悟りを開きたければビジネス以外でやればいい。ビジネスは煩悩のまま進もう。
だがビジネスでさえも過度な煩悩は人を狂わせる。人間は物事を主体的に捉え自分で歩んだ時にこそ実のある成長を手にすることができる。言い換えると主体的になっていない状態での一方的な強い指示は人間を不自然状態に陥れるだけである。不自然状態の中、力量以上の仕事から得れるものはあるのだろうか?
もちろん、ある。それは全く否定しない。
今活躍しているエースたちは多かれ少なかれそれを乗り越えてきた人間たちだ。
だが相反して全く成長のない人間、自主性を失った人間、いつも怯えている人間、実力以下のパフォーマンスしかできない混乱した人間、心が壊れてしまった人間、なども同時に生み出してきた。
果たして落第者が発生するこのやり方は最適なのだろうか?そもそも日本人は減っていく。日本人は日本文化でコミュニケーションが取れる貴重な存在へとなっていく。エースにはなれないにせよ、その人間なりの能力で主体的に働き学び、チームの戦力になってもらう方が全体最適という事にならないだろうか?
どうすればエースを育てながらも落第者を出さない運営ができるのか?
個別対話だと思う。一律の答えはない。
人間が主体的に働くにはどんな環境が適切なのだろうか? 簡単だ。怒られない環境、安全が担保されている環境だ。まず大事なのはメンバー全員が自然状態である事。
だが実行するのは意外と難しい。チームリーダーの環境作りが全てを決める。リーダーには誰も指導してくれない。本能的に上長は怖い存在だ。どんな権力を行使されるか分からないから。ゆえに孤独な自問自答で最適解を導き出すほかない。
ここからがさらに難しい。次は各々主体的に働きたくなるテーマを設ける事。働きたいと言う意思が重用だ。人間の性である煩悩を刺激する。カッコよく見られたい、カッコ悪く見られたくない、賞金が欲しい、出世したい、褒められたい、世界の役に立ちたい、かわいい商品が作りたい、特殊技能を身に付けたい、前向きなら何でも良い。
それに並走する。引っ張るでもなく背中を押すのでもなく、並走する。パートナーとして。安全性を担保しながら、主体的に取り組んでもらいながら、転ばぬよう迷わぬようアシストする。ちょっとしたミスなら代わりにカバーしてやれば良い。マイクロマネジメントの結果、働く意思が削がれてしまう方がよっぽど害がある。
エースになる人間は自ずとテーマのハードルが高くなるはず。引っ張らなくとも良い。落第者になろう人間は安全を与えるだけで良い。背中を押さずとも良い。自主的なテーマに沿って本人なりに取り組むその姿勢こそが重要なのだ。
自主的であればあるほど学びは深いはず。その繰り返しが人間が成長できる最大だ。
無為自然。
上司は部下に何事も押し付けない。自然である事が、何よりも豊かな成長を促す土壌となる。もうその例を見てるじゃないか。たぶん正しいと思う。何より私の性に合っている。
部下育成は私のコピー品作りではない。人間には千差万別の個性がありそれを上司一個人の価値観で歪める事はあってはならない。
そしていつか出るその結果は粛々と私が受け入れたら良い。誰にも迷惑はかけていない。たかがサラリーマン。人に恨まれてまでやる仕事ではない。
これ以上もこれ以下もない。
そう思う。
皆んなの可能性を信じよう。