変しい変しい私の変人 映画『青い山脈』1949年版 誕生秘話
『青い山脈』は
朝日新聞に連載された 石坂洋二郎の青春小説。
ラブ・レター「恋しい恋しい私の恋人」の誤字
「変しい変しい私の変人」のエピソードなどで
連載中から大人気となった小説を
東宝と松竹が 映画化権を争い
東宝は今井正監督
松竹は木下惠介監督と発表された。
木下惠介とは、あまりにピッタリという感じで
東宝は諦めかけたが
映画化の交渉権を任されていた
朝日新聞の学芸部が 味方をしてくれて
東宝に決まった。
これは東宝のプロデューサーだった 藤本真澄が
東宝を退社し設立した 藤本プロダクションと
東宝の共同作品ということだったが
それは契約上のことで 製作は藤本プロだったので
とにかく予算を切り詰め、切り詰め
しかも文芸超大作に見えるように 創るのであるから
事務所はいつもぴりぴり 緊張の空気で満ち満ちていた。
脚本は当初、小国英雄で すんなり脱稿したが
今井監督と意見が合わず 小国は降板。
しかし巨匠・小国の本を
おそれ多くも 改訂できるライターはおらず
それにまた二度書きする脚本料の予算もないので
藤本プロの井手俊郎が 手直しすることになり
これが 井手の脚本家デビューとなった。
キャスティングは
主役に まだ俳優養成中だった杉葉子
そして 原節子、龍崎一郎、若山セツコ・・
高校生役の 池部良と伊豆肇は 共に30歳を過ぎていた。
東宝映画宣伝部で半世紀ちかく勤務された
斎藤忠夫さんのご本「東宝行進曲」、その他から抜粋しましたが
とにかく、この時代ならではの
面白いエピソードがてんこ盛り。
とにかく製作費が足りないので ロケは極力少なくし
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