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服装がずっと同じ問題

この原稿シリーズは、老いの初心者である伊藤ガビンが、特に調べもせずに日々感じている「老い」について初心者視点でメモしているものです。

「はじめての老い」を生きていくなかで、何度も「問題」として私の頭のなかでグルグルグルグルして、そして特に答えを見つけられないまま放置し続けているものに「服装」があります。つまり、老いてなんの服を着ていくのか? これからどんな服を着ていきゃんだよ俺は? という問いですね。
この「服装」について、シャキッとしない台詞をあーでもないこーでもないと家庭でぶつぶつつぶやいていると、家族から「ど〜〜〜〜でもええわ」という真実が告げられますね。そうなんですよ、おっさんの服どお〜〜〜〜〜〜〜でもええ! なんも考えんで好きな服着たらええんやで、と。まあ、そうなんですけど、実際んとこ、そうなんですよ。そうなんですけど(ぐるぐるぐる…)

というかですね、自分が服を買う瞬間には特に迷いはないんですよね。そして昔の写真を見ると、だいたい今と同じような服を着ている。
で、そのずっと同じ服を着ていることを、自分は「よいこと」だと思っている。にもかからず、なにかが引っかかる。このままこの服を着続けていてよいのか??

ティーンの女子がフードコートでサーティワンを片手に
「将来、絶ッ対におばさんぽくなりたくない。年をとってもずっと今のスタイルを続ける!!」
「わかる!  わたしも!」
って。
こんな会話はフィクションの中にしかないものであって実在はしない、と思われるでしょうが、度々耳にするから始末に困ります。記憶しているだけでも似たようなものを聞くのは4度目? 「可愛いおばあちゃんになりたい」発言の1/3くらいの頻度で耳にしていることになります。

いや、そうした考えは悪くない。まったく間違っていないというか、むしろ好きのですが、同時に毎回同じ言葉を飲み込むことになるのです。

(「その若い時のスタイルを守り続けているのが、いまのおじちゃん、おばちゃんたちのファッションやで」)

一部のおばちゃんがなぜ溶岩のようなソバージュというヘアスタイルをかたくなに守るのか? それは、おばちゃんが若いころのスタイルだからなんじゃないでしょうか。社会に反抗する若者の象徴であったジーンズ。いつの間にやらリーバイスにボタンダウンシャツが典型的におじいちゃんファッションになるなんて、当時は思ってもいなかったし、今でも思ってもいないかもしれない。
若い頃のファッションを続けることが、いつの間にかおじいちゃんファッションになっていくのは、素敵なことのように思えるのです。変動ユースファション制。

でも、なにかが引っかかる。

自分自身は、思春期にこそテクノやニューウェイブの洗礼を受けて、髪の毛が少々尖ったりしたものの、基本的には労働者ファッションが性に合うため、コットンのシャツにパンツにキャップを被るということで何十年も過ごしてきてしまった。特にここ10年くらいは、同じ色の同じシャツとズボンをガバっと買い、それを毎日着続けるということになっている。色もほぼネイビーブルーのみで、要するに紺色おじさんである。
クローゼットに同じ服が並んでいる様は、貧者のジョブズという感じであります。
ついでに、時代的にも、日本経済が急激に力を失って、下層のファッション界にはトレンドそのものの姿が見えなくなり、ファストファッションしか選択肢がなくなったことは、私にとってはある種の救済だった。選べないことは、選ばないことを正当化してくれるからラッキーとも思えました。
要するに、なんでもない紺色の服をひたすら着ている。何の意味もない。
特に、改める気持ちもない。だから問題ない。

だけど、な〜んか引っかかる。

その引っかかりについて、いくつか書いてみます。
ひとつは、自分の長年の行動原理に「自分の心地よい場所を避ける」というのがありまして、言い換えると「好きなものに囲まれて生きたくない」ということですね。これは天の邪鬼な態度と思われるんだけど、自分として危機感の現れってところもある。自分が好きなものっていうのは、なんつーか、自分が理解できるもの・自分が理解していると思っているも、のなんじゃないかと思ってるフシがあるわけですね。これが不安になる。もっとわからないものに触れていないと怖いんです。わからないものに囲まれていたい。性癖ですかねこれは。

もうひとつは「服装」ってその人の価値観の反映だとしたら、それを「変えずに着続ける」ってどういうことなんだ? と思うわけですね。これを考え出すと怖い。
すごく乱暴に言えば、昭和の服を着続ける人は昭和の価値観を脱ぎ捨てられない感じがしちゃうわけですよ。
だから昭和の服を着ている人は怖いので、なるべく近寄らないようにしております。

ただ、ずっと着てきた服を脱ぎ捨てるのは勇気がいるというか、なにかさみしい気持ちもするんですよね。昔の写真を捨てるような気持ちというか。でも捨ててみようかなと思う今日このごろです。

古い上衣(うわぎ)よ、さようなら
淋しい夢よ、さようなら (「青い山脈」 by 西條八十)

ではでは何を買おうかね? と考え始めると非常に面倒くさい。結局、どおおおーーーーでーもええわッ! と振り出しに戻るのです。

このシリーズの過去記事はこちらからどうぞ


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