『絢爛たるグランドセーヌ』はインターネットで天下をとるマンガである
チャンピオンREDで連載中の本格クラシックバレエ漫画『絢爛たるグランドセーヌ』がチョーおもしろい。つまりはそういう話です。
これがインターネットで天下をとれるポテンシャルを持ちながらインターネットで大バズり(※『K2』くらい)して毎分毎秒ファンアートが流れてくる状況になってなおらず、26巻まで出ているので確固たる人気があるのは理解しているものの、このようなインターネットは間違っているという義憤によって筆をとらせていただきました。元からの読者は「26巻も続いてる人気漫画に今更なに言ってんだ」という感じかもしれませんが温かい気持ちで見守ってください。わかったか。
そもそも『絢爛たるグランドセーヌ』が連載されてるチャンピオンREDといえばエロと暴力とニンジャな雑誌というのがなんとなくのイメージだが(偏見かもしれません)『絢爛たるグランドセーヌ』には猥褻が一切なく、例えるなら「コンプティークで連載されていたニンジャスレイヤー」に近い。つまりチャンピオンREDの読者層とちゃんと一致しているのか不安になる。逆に言えば読者層と一致してなさそうなのに26巻も続いているのでポテンシャルの高さが伺える。
実は筆者もチャンピオンREDでずっと『ニンジャスレイヤー キョート・ヘル・オン・アース』を読んでいながら『絢爛たるグランドセーヌ』にノータッチでした。最近ふと「このチャンピオンREDの表紙になってる漫画なんだろな」で読み始めてみたところあまりにも面白すぎて全巻買って3周くらいして今この記事を書いていたりします。ありがとうチャンピオンRED。というわけでインターネットで天下をとる漫画『絢爛たるグランドセーヌ』についてご紹介。
多くの名作がそうであるように『絢爛たるグランドセーヌ』のあらすじに複雑なところははない。簡単に言えば「一人の少女がバレエと出会い、やがてバレエの世界にのめり込んでいく」というものであり、シンプルであるが故に魅力を伝えるのは難しい。恐らくあらすじだけ読んでピンとくる人はあまりいないのではないかと思う。
だが、ちょっと考えてみてほしい。このシンプルなあらすじの作品が26巻も続いているという事実を。『絢爛たるグランドセーヌ』は「本格クラシックバレエロマン」と銘打ってある通り、本当にバレエをやる話しかしない。無駄を削ぎ落とし、洗練された刃の切っ先のようにただひたすら主人公・有谷奏がバレエに注ぐ熱意を描いている。主人公に降りかかる試練は常にバレエにまつわる現実的な問題(学費やコンクール、コロナ渦)であり、いじめや悪の組織などわかりやすく物語を盛り上げるような理不尽は襲いかかってこない。
そしてこの「バレエをやる。そしてプロを目指す」というシンプルで決断的な物語を支えるのは綿密な取材と豊富な知識、魅力的なキャラクター、洗練された漫画表現であり、読んでいて「基礎漫画力が高い……!」となる。
というか自分はずっと「漫画におけるダンス表現」が苦手だったのだが、こと『絢爛たるグランドセーヌ』の踊りには泣かされることもある。絵としては動的でない、むしろ静止画的な絵(この表現で合ってるのかわからないが)の連続なのだがそれが流麗で躍動感に溢れ、バレエの知識がなくてもどのような流れの動き、どのような表現なのかが直観的に理解できる。
これが古典作品の振り付けならともかく、劇中のキャラクターが振り付けたオリジナル作品でも魅せるのがわけがわからない。上記の「泣いた」踊りも劇中のキャラクターが振り付けた『パエトーン』だったりする。そして魅せられるが故に、劇中のキャラクターが振り付け踊りを実際に見ることができないのが残念でならない。というか劇中オリジナルの踊り、多分最初から最後まで(漫画で描かれてない部分まで)振り付けが決まってる気がしてならないのだけど、どうなんだろう。実際のところはわからないけどそう思わせる情報密度がある。
そんな『絢爛たるグランドセーヌ』でも唯一無二であり、特に面白いと思っているポイントがあって、それが「嫌味なライバルキャラ」が出てきても奏のコミュニケーション能力が高すぎて何話かすればハチャメチャ仲良しになってしまうところだ。
しかもこれ「バトルを通じて友情が芽生えた」とかではなく、ちゃんとしたコミュニケーションを通じて仲良くなってるんですよ。大抵のキャラは数話もあればハチャメチャ仲良しになる。第一印象が悪い相手でも言葉が通じない相手でも奏によればなんのその。劇中でも「コミュ力お化け」と評される奏のコミュニケーション無双は『絢爛たるグランドセーヌ』の独自性であり、突き抜けておもしろい部分だ。
そしてこの独自性は多分バレエという題材でないと成立しないんですよね。バレエは舞台芸術であり、様々な競争はあるものの競技ではない。あくまで観客に魅せるためのものであり、周りにいるダンサーは切磋琢磨するライバルであり共に至高の芸術を作り上げる同志なのだ。
あと本作に出てくるライバル風味のキャラは第一印象がちょっと悪いだけでほとんどは良い子なのも忘れてはいけない。これは『K2』とかと同じで本気でバレエをやってるやつに悪事を働く暇はないんですよね。なので『絢爛たるグランドセーヌ』は『K2』以上に悪人が出てこない漫画だったりする。基本善性輝くリアル寄り医療漫画なのにたまにスーパー化して悪のテロリスト組織が出てくる『K2』のほうがおかしい。
『絢爛たるグランドセーヌ』にも挫折や試練自体あるものの、奏のコミュニケーション能力の高さと周囲のキャラクターの魅力によってノンストレスで爽やかなものにしてくれている。「嫌味な感じで登場したキャラが数話後にはハチャメチャ仲良しになる」は間違いなくこの作品でしか味わえない魅力です。
そしてこの「嫌味な感じで登場したキャラが数話後にはハチャメチャ仲良しになる」の筆頭であり、この記事を書き始めた最大の目的であるキャラクターがいる。そう、奏最大のライバルである栗栖さくらだ。
『絢爛たるグランドセーヌ』をインターネットで天下をとれる漫画と呼んだが、栗栖さくらはインターネットで天下をとれるキャラクターである。今はそうではないが、いずれインターネット上すべての人間が栗栖さくらの話をするようになる。
高慢で性根が屈折している上に目がほんのり死んでいて癇癪もちでバレエに対して強迫観念的なところがあるものの誰よりも努力家でバレエが上手い女。それが栗栖さくらである。
彼女はまさに嫌味ったらしさ全開なライバルキャラとして2巻で本格的に登場する。
余裕の笑みを浮かべながらねちねちと嫌味を吐く栗栖さくらだが、バレエに前向きな気持ちを持つ有谷奏の存在が彼女の心をかき乱す。互いの主義主張が受け入れられないさくらと奏は、次のコンクールで勝負することになる(補足すると奏が「勝負」を口にしたのは栗栖さくらの時だけです)。
が、後のライバルキャラが例外なく同じ末路を辿るように速攻で絆され、3巻の終わりには奏のことを「カナ」と呼び始める。
高慢で性根が屈折している上に癇癪もちで目がほんのり死んでる人間が光属性の主人公に絆されるとどうなるか。もしあなたが百合に精通する読者であれば既におわかりだろう。
栗栖さくらは作中でもぶッッッッちぎりの奏大好き人間と化す。
物語に出てくる大抵のキャラクターは奏のことが大好きだが(コミュ力お化けなので)栗栖さくらはその中でも質、量ともに他者とは一線を画す。
自分以外の人間が奏と仲良さそうにしている姿に眉を顰め、奏が怪我したと聞いた時にはなにはともあれ駆けつける。時には一緒に自撮りしてくれるし、留学前に奏が見送りに来てくれた時には号泣して抱きしめる。
全編を通して「ほんとうに奏のことが好きなんだね」という感じだが、コロナ禍編に突入してからの栗栖さくらの奏大好きぶりは特にすごいことになってる。
コロナ渦で色々あってメンタルが最底辺にまで落ち込んだ時はまず奏が踊っている動画を再生して泣くし、心配した家族友人全員からの着信を拒否しておきながら奏からかかってきた電話だけは勢いよく出る。そして泣く。
『絢爛たるグランドセーヌ』で流れる涙の半分くらいは奏に対する栗栖さくらの感情でできている。
また、奏はコロナ禍で多くの公演が中止するさなか有志の学生ダンサーによる「オンライン・ガラ・コンサート」を企画する。奏の友人をはじめ各々が自分の踊りたい演目を提案するなか、栗栖さくらだけは「カナが自分に踊って欲しい演目」を鼻息荒く要求する。
こんな感じでバレエにも奏にも全力な栗栖さくらがLOVELY(素晴らしいの意)なんですよね。これで奏にとっての栗栖さくらは「常に自分の一歩先を行っている存在」なのが良い。良すぎる。本当に良い。わかるか。奏がプロの道を意識しはじめたのも栗栖さくらとの出会いがきっかけだったりするんですよ。
あと栗栖さくら、奏から「さくらは強い子」と思われているのでそれを必死に守るために「強い自分」を演じているところがある。なので奏から電話が来るとすぐ泣くけど必ず涙を拭いてから出るんですよ。ビデオ通話でもないのに。そういう、複雑なね……君、わかるか?この良さが。
というか俺は栗栖さくらが世界中のインターネットで知られてないのはあまりにも勿体ないと思うんですよ。だって高慢で屈折していて目が死んでいるけど光属性の主人公にワッとなっているキャラがインターネットで毎分毎秒語られていないんですよ!!!!!!
『絢爛たるグランドセーヌ』は百合漫画ではないが、栗栖さくらが出てる瞬間は百合漫画指数が5000000倍くらいになる。しかし忘れてはいけないのが『絢爛たるグランドセーヌ』はバレエに本気すぎる漫画ということだ。それぞれがバレエに対して真摯に向き合うが故に奏とさくらは別々の国のバレエスクールに留学してしまう。なので栗栖さくらの出番は「たくさんある」とは断言できない。とはいえ栗栖さくら単独回は結構あるし、逆に言えば『絢爛たるグランドセーヌ』は栗栖さくらほどクリティカルなキャラクターを出さずとも高水準の面白さを保つことのできる漫画なのだ。
なにはともあれ『かげきしょうじょ』の野島聖が好きな人は栗栖さくらが好きだと思うし、出てくる度に絶大なインパクトを残してくれるのでこれを読んで少しでも「ムッ」となった人は『絢爛たるグランドセーヌ』を読むといいと思います。
未来へ…
26巻も出てる人気漫画をいまさら紹介する必要がないのは重々承知ですが、栗栖さくらの話がインターネットで毎分毎秒されてない現状が自分にこの記事を書かせてくれました。あと栗栖さくら以外のキャラクターも普通に大好きなので栗栖さくらの出番が奏の留学先のクラスメイトに比べて少ないことに全然不満とかはなく、全編チョー面白いので是非読んでみてください。