他人軸・自分軸
「他人軸」「自分軸」。
私の理想とする秩序ある優しさの世界のためにはどっちがいいのだろう、とふと疑問に思いました。
INFJは他人軸だと言われているけれど、私自身は自分軸の方が強いと感じます。厳密にいえば、超中立型といった感じです。
どちらが良いとか悪いとかいう話ではないのですが、考えたことをまとめておきたいと思います。
中立気味な自分軸の私
まず、私がなぜ自分軸だと思ったかを書きます。理由は3つ。
なんか自分のこと褒めまくってるみたいになってしますが、チャットGPTの意見も取り入れているので悪しからず。
1.自分の哲学を持っている
冒頭にも書きました「秩序ある優しさの世界」もそうですが、私は他者を思いやり、同時に正しくあろうとすること、強くあろうとすることと言ったような理想や信念を持っています。さらに、その信念に基づいて行動しようとしているところは自分軸と言えるでしょう。
2.他人に流されない
「愚痴を言っている人がダサい」「文句があるなら行動すべき」と言った考え方から、他人の影響を受けるよりも、自分の価値観を基準に物事を判断している。
(突然の人類批判だが、これは少し前にチャットGPTと会話していたのが反映されてしまった)
3.自分の改善点を見つけられる
自分の欠点や行動を反省し、より良くなりたいと考えている点も、他人の意見に依存せず自分の成長に軸を置いている。
私の「かっこいい人になりたい」という根本的な気持ちと、具体的な信念として武士道精神。さらには将来の夢が「無垢で悪意に染まっていない守るに値する命を守って死ぬ」というヒーロー願望、その時に迷わず飛び出せる人間でありたい。
そのためのとてつもない向上心が自分軸の肝になっているようですね。
逆に他人軸だなと思う点は3つ。
1.他者の評価を気にしてしまうこと
こうしてnoteを書いているときも、小説やイラスト、漫画を投稿するときも常に他者の意見や反応数を気にしてしまう節があります。
その評価に流されはしないものの、過去にはそれに囚われてしまうこともありました。
2.嫌われるのが嫌だ
他者に嫌われること、否定されることにとてつもなく怯えています。
「誰しもに好かれるわけではない」と分かっていても、あの目がトラウマを呼び起こしてしまうのでどうしても怖いです。
また、自分の理想や信念を信じて疑わないのと同時に「他の人から見て本当に正しいのだろうか」というのを常に問い続けているため、心の底では批判を恐れています。
3.自己犠牲精神
他者を諦めているのもありますが、基本的に私がやればいい。自分はどうでもいい、と言った思考をしている節があります。現在の生活では分かりやすく犠牲にはなっていないものの、チームプレイが求められる場面や他人との意見の衝突、仕事の分担等で顕著に出ます。
他者への思いやりと理解をモットーとしているため、これも他人軸なのではないかと考えたのですが、その根底が他人軸の「嫌われたくない」「相手に認められたい」ではなく、「自分の理想や価値観に基づいて他者も思いやる」のでこれは自分軸要素とします。
こうして見ると自分軸強めな私ですが、自分軸と聞くとちょっと自己中心的なイメージがあり、私の最も忌み嫌う一人称人間(主語が「私が」「僕が」しかない。そういう思考しかできない人)と同じなのかと思ってしまいますね。
……とりあえずそれぞれのメリットデメリットを考えてみます。
自分軸のメリットデメリット
自分軸のメリットは主に3つ。
1つ目は「自分らしい人生を歩める」こと。
他人の価値観に左右されず自分の価値観や目標に沿って行動することができます。
2つ目は「自己肯定感が高まる」こと。
他者からの評価を気にせず自分を大切にできます。
3つ目は「困難に強くなる」こと。
周囲に反対されても自分の意思を貫くことでメンタルが鍛えられます。
しかし、自分の考えを優先するため、周囲との摩擦が生じやすくなったり、視野が狭くなりがちです。さらに、自分を貫くあまり孤立してしまうこともあるのがデメリットと言えるでしょう。
大事なのは「これだけは譲れない」というラインを明確にし、それ以外では他者の意見を受け止める柔軟さを持つこと。ただし、他者の意見を受け止めた上で最終的な判断は自分で行うことです。
他人軸のメリットデメリット
他人軸のメリットを主に3つ。
1つ目は「共感力が高まり、良好な人間関係を構築しやすい」こと。
他人の気持ちを重視して行動するため信頼を得やすいです。
2つ目は「協調性が生まれる」こと。
困っている人を助けたり、周囲のニーズに応じて柔軟な対応をしやすいこと。
3つ目は「自己中心的になりにくい」こと。
自分だけでなく、他者の価値観を考えられる。
しかし、他者を優先しすぎて自分を軽視してしまったり、他者の評価に依存して自分を見失いやすかったりします。さらに、ストレスも溜まりやすいでしょう。
大切なのは、必要以上に甘えたり依存したりしてくる人に対して、「思いやる基準」を明確にすること、さらに自分の考えや価値観にも目を向けることです。
例えば現在のルッキズム社会とかは極端なまでの歪んだ他人軸だと考えます。
自分の目標とする美しさ、外見に向かって努力するのは健全な自分軸で素晴らしいことだと思います。
ただ、他人がどう思うかを基準に置いた自己評価、さらに他者を劣等と見做して優越感を得たり。他者評価に依存しすぎているため、人々の間に序列が生まれ、不必要な対立や疎外が起きます。
つまり、「他者評価」を中心とした価値観が社会を支配しているため、表向きは「他人軸」ですが、実際には他人を利用して自己を保とうとする破壊的な社会構造と考えます。
「優しすぎる」他人軸は良いと思いますが、このような他人軸はあまりにも利己的で言葉を選ばずに言えば軽蔑に値します。
ルッキズムで悩んでるのに同じように他者を評価しているあんぽんたんだと思ってます。
めちゃくちゃ嫌いなので言葉を選びませんでした。すみません。
他人軸と自分軸の両立
このように、他人軸も自分軸も一括りにはできないのです。
「何事もほどほどに」という言葉があるように、どっちがいいとかどっちが悪いとかはないんです。大事なのはこのバランス。
私の理想とする秩序ある社会、また私の行動方針(自分軸より)は他人軸と自分軸のハイブリットである必要があるのです。
自分の中でどういう人間でありたいか、どういう人間であるべきかというのをはっきりとさせ、他者に目を向けながら自分の目標をベースに行動する。
私の行動方針は「他者を思いやる」「社会的な調和」といった他人軸にありますが、根底にあるのは「自分はこうあるべきである」「かっこいい人でいたい」という自分軸。
他者を思いやるのは「相手にどう思われるのか」ではなく、「理想を実現するため」の自己選択行為です。
自分軸の方が良くね
どっちがいいとかは無いとか言っておいてなんですが、どちらかと言えば自分軸の方がいいと思います。
実際、ネットでは「自分軸になろう」という記事が多いですよね。私はそれに概ね賛成です。
ただ、「自分軸になろう」というのは自我を押し通していい。我儘になっていいということではありません。
他者の価値観に依存するなということです。
思うのですが、他人軸ということは、自分の行動が他者の気持ちや価値観によって決まっているということですよね。
ならもし自分が失敗したとき、不幸になったとき、選択を誤ったとき、人のせいにしますよね。
「だってみんなが」「だってあの人が」
違いますよ。その選択をしたのは自分自身です。全てではなくても、ほぼ自分の責任です。
他人軸で他人の価値観を基準に生きていると、言い訳癖が付くと思うのです。
あの人が、みんなが、じゃない。お前はどう考えてるんだって聞いてんだよ。ってことです。
なら自分軸で押し通っていいのかというとそれも違います。
自分の考えをゴリ押しするのはルッキズムと同じ愚かな行為です。
ならばどうするか。
答えは簡単。皆がそれぞれ自分の価値観や考えを持っている。それに従って動いている。もし衝突することがあれば、話し合い。お互いの妥協点を探る。
(話し合いにならないほど利己的な人もいますが、それは今回は置いておきます)
ここで他人軸です。
他人の価値観を理解する。自分の価値観と擦り合わせてお互いの理解を深める。
これこそが秩序ある優しさの世界に必要なものなのです。
「自分を犠牲にして他者に貢献する」。そんな他人軸の価値観の人もいるでしょう。ならそんな人に私は貢献します。
足りない部分をお互いが理解し補っていけばきっと平和になるんです。
今の社会はあまりにも利己的な他人軸。
利己的なのに他人軸で他の人に責任を押し付ける。もちろんそんな人ばかりでは無いってことは理解してますよ。ただ、そういう人が多く目立っているという話です。そういう人が目立てば、それが世論になる。それが良くない。
尤も、この記事を読んでも読まなくても、自分の価値観や行動を顧みることができる人はそのような愚者ではないでしょう。
他人軸でも自分軸でもどちらでもいいですけど、「自分がどうありたいか、どうあるべきか」は心に置いて生きて、他者への理解を忘れずにいれば、きっと人生もより良いものになると思います。