アカデミストへの至りストーリー
今年の12月に、それまで働いていた文部科学省を退職し、「開かれた学術業界(Open academia)」の実現を掲げるアカデミスト株式会社に転職をしました。せっかくなので振り返りも兼ねて、理由というか、そこに行き着くまでの至りストーリーをまとめたいと思います。
大学事務職員として
私は大学卒業後、国立大学に事務職員として就職しました。正直、仕事を選んだ理由はあまり褒められたものではないのですが(ずいぶん前に書いた記事で少し触れています)、実際に働いてみていろいろと気づくことがありました。
最初は契約担当部署に配属され、運営費交付金を中心とした調達・執行(物品購入・旅費謝金)と研究費管理を担当しました。この時に、運営費交付金と科研費等の競争的研究費の存在と違いや、使用ルールを知りました(いわゆる「ローカルルール」に触れたのもこの時です)。研究者は試薬ひとつ買うのにもこんな手続きがいるのか、と思い、良いことか悪いことかはわかりません(仕事の属人化が必ずしも組織にとって利にならないという観点です)が、少しでも先生が楽になる方法はないかと考えて、できることは巻き取ってみたり、小さいことでも既存のやり方ではない方法を試したりしていました。
2年経って、今度は薬学部の学務に異動になりました。小さな部局だったこともあって、以下のように非常に多様な業務に関わらせてもらえました。
教務(履修登録、カリキュラム、シラバス、成績管理、進級・卒業判定、研究室配属、進学振り分け、学生窓口、国家試験関係、教務委員会)
入試(センター試験、個別入試(前期・後期)、推薦入試、秋入学、オープンキャンパス)
6年制薬学教育評価
会計の時よりも先生の近くで働くことができ、また学生さんとの距離も近かったので、おそらく一般に想起される「大学職員」イメージとかなり近い仕事をしていたと思います。特に、6年制薬学教育評価は初めての受審で全く前例がないなか、先生と協力しながら試行錯誤ができ、やりがいがあったと思います。
一方で、教務も入試も、先生方がやらなければならない仕事がたくさんあり、もっと教育研究に時間を割けるようになればいいのに、というもどかしい気持ちがどんどん強まるのを感じていました。
文部科学省への出向と転任
さらに2年後、縁あって人事交流の一環として文部科学省へ出向させてもらいました。大学からの出向者や行政実務研修生は高等教育局への配属が多いのですが、私はほんとうにたまたま、科学技術・イノベーション政策に関わる部署への配属になりました。
そこでは、科学技術・イノベーション政策をデータや調査、統計の側面から支援する業務を主に行いました。中でも、「大学等におけるフルタイム換算データに関する調査」という、政策的には研究者の研究時間の劣化を示すデータとしてよく参照される調査に設計から実査、公開、分析までトータルで担当させてもらい、私が大学職員時代に感じていた問題意識が、政策的にも"そう"であることがわかりました。
仕事は充実しており、その他にも科学技術・イノベーション白書の執筆や、OECDの下にあるNESTIという、各国の研究開発やイノベーションに関する統計情報の収集や指標開発を行う作業部会にも関わらせてもらいました。この期間で、科学技術・イノベーション政策に関するデータリテラシーはかなり鍛えられたと思います。同時に、日本では研究時間だけでなく研究資金、研究人材、あらゆる資源が偏在しているということをデータからも理解できてしまい、よりその問題を解決したくなりました。
3年ほどつとめた後、大学には戻らず文部科学省に転任させてもらいました。この問題を解決するなら、現場で先生を個別に支援するよりも、中央からアプローチしたほうがいいと考えたからです。
丸山隆一さんとの出会い
転任後は、JSPS(日本学術振興会)で補助金事業の審査・評価を行ったり、海外特別研究員をはじめとした国際事業に関する予算要求のような役人らしい経験も一応はこなした後、立場を変えて出向時の部署に戻ってきました。
そこで出会ったのが当時CRDS(研究開発戦略センター)でフェローをされていた丸山隆一さんです。文部科学省では、比較的新しい取組みとして民間事業者が行う研究支援サービスを国として認定する「研究支援サービス・パートナーシップ認定制度(A-PRAS)」という事業を行っています。その制度を、丸山さんが「拡張する研究開発エコシステム 研究資金・人材・インフラ・情報循環の変革に乗り出すアントレプレナーたち」という調査報告書の中で、国内のメタサイエンス運動の一環として取り上げてくださったのです。
この報告書は衝撃でした。後にjoinすることになるアカデミストも含め、新しい研究支援のあり方を模索する民間事業者が数多く現れていることは認識していましたが、それ以上に、海外の財団やフィランソロピーを日本の研究資金の循環に巻き込むといった、私が解決したかった研究資源の偏在の問題を国内の構造的枠組みを超えて打破しようとする発想が私の思考を遥かに凌駕していたのです。
私はすぐにメタサイエンスに関する調査委託を企画しました。この時すでに文部科学省に来て5年が経過していましたが、科学技術・イノベーション政策の議論は当時から変わらず硬直化しているように感じていました。そこで、こうした新しい動きを意思決定者にインプットして政策に取り込んでいくことが行政官としてできるこのムーブメントに対する最大の貢献だと思いました。
アカデミストへの転職
結論から言うと、この仕事は成功とは言えなかったと思います。今年の10月にイギリスのメタサイエンス機関Research on Research Institute (RoRI)のJames Wilsdon氏が来日して講演するなど、一定のチャンスを生むことはできましたが、Funding the Commons TOKYOやDE-SILOのような国内のメタサイエンスプレーヤーの動きには到底追いつけず、また、作成した調査報告書も届けたい層までリーチすることはできませんでした。
話は少し変わって、私はここ1〜2年ほどアカデミストを通じた研究者のサポートを勢力的に行っていました。研究者への寄付を通じててきる縁に魅力を感じていたためです(このあたりはアカデミストで"1,000 True Fans"に挑戦している櫃割仁平さんとの対談で詳しく話しています)。
そんなアカデミストがフルコミットスタッフを募集しているのに気がついたのが今年の秋のことてす。おりしもアカデミストは、研究者のVisionを実現する新たな職種としてResearch Relations(Re:Rel=リレル)を提案しており、またクラウドファンディングに加えてQuadratic Fundingを活用した新たな資金配分のあり方を実践するなど、Visionも、それに向けたアクションも共感できることばかりでした。私は自分の問題意識を解決するならここしかない、と思い、すぐに応募フォームを送信しました。
さいごに
採用はトントン拍子で進み、12月からフルコミットスタッフとしてアカデミストにjoinしました。現在はコーポレート業務とCrowdfunding業務をほぼ半々のエフォートで勉強しながら取り組んでおり、チームにも恵まれて充実した毎日を送っています。一方で、文部科学省に様々なことを置いてきてしまったのを申し訳なくも思っています。私はある意味で構造から逃げた恰好だと思っており、構造の中で今なお頑張っている方々がいることを決して忘れないようにして、自分は今いる場所でできることをし、結果を出したいなと思います。
「至りストーリー」をまとめようと思ったら思いのほか長くなってしまいました。私が何を体験し、なぜ行動したかはある程度書けたかなと思います。最後まで読んでいただきありがとうございました。よいお年をお過ごしください。
追記
自分の中で溶け込みすぎて書くのを失念していましたが、「至りストーリー」というワーディングは、丸山さんの企画運営するOpen academia Lecturesシリーズの第一回で、雲研究者の荒木健太郎さんが仰っていたことで、オリジナルではないのでここに追記しておきます。また、Open academia Lecturesは次回1/17に寄付募集の研究者でありファンドレイザーの渡邉文隆さんを講師に実施予定なのでぜひそちらもチェックしてください。