【翻訳】パレスチナ人の命も守れ:ユダヤ人の学者ジュディス・バトラーがイスラエルの「ジェノサイド」を非難
第一部
ネルミーン・シェイフ:
イスラエルのガザ空爆について続けて話していきます。ここからは哲学者でありジェンダー・スタディーズの研究者であるジュディス・バトラーに参加していただきます。ジュディス・バトラーはバイデン大統領に即時停戦を求める公開書簡に署名をしたユダヤ人の作家・芸術家たちの一人です。『非暴力の力』や『分かれ道 ユダヤ性とシオニズム批判』をはじめとする多数の著書があります。ロンドン・ブックレビューに掲載された最新の論文の題名は「追悼のコンパス」〔日本語訳〕です。今日はパリからの参加です。この方はカリフォルニア大学バークレー校大学院の著名な教授で、欧州大学院 the European Graduate School のハンナ・アーレントチェアを務めています。平和を求めるユダヤ人の声の諮問委員でもあります。
デモクラシー・ナウにようこそ。バトラー教授。先ほどまでアシュラウィー博士と話していたのですが、博士はパレスチナ人が「人間性と権利を認めることを拒否されてきた」と語りました。あなたは、異なる生が異なる価値をつけられることについて、広く書かれてきましたね。
ジュディス・バトラー:
ええ。まず言わせてください。この番組で、あなた方がパレスチナで取材した人は皆、「ジェノサイド(大量虐殺)」という言葉を使いました。私たちはこの言葉を極めて真剣に受け止めなければいけないと思います。というのも、この言葉は、全住民が軍人と民間人の見境なく標的になり、爆撃され、強制的に住む家を追われている現状を説明しているのです。この作戦の目的は、ガザの強制移転あるいは完全なる更地化です。ご存じのように、憲法権利センター Center for Constitutional Rights のような法律家達の団体が、パレスチナで今起きていることはジェノサイドと呼ぶべきであると立証する、40ページにわたる調査報告書を発表しています。他の団体は国際法を調査し、ジェノサイドはナチ党政権のような形をとるとは限らず、生活・心身の健康・幸福・生活を維持する力 the capacity to persist を組織的に根底から破壊するという形をとりうることを示しています。これが今正しく起きていることなのです。
なぜ、アメリカのほとんどのメディアと、アメリカ政府は、大量虐殺という犯罪に加担することにしたのでしょうか。本当に疑問です。これは憂慮すべき事実です。ハナーン・アシュラ―ウィーの言う通り、この者たちは単にイスラエルの大量虐殺の暴力を正当化するイデオロギー的支援やメディアアドバイザー spin doctorを提供しているだけではないのです。大量虐殺のための一連の政策の達成するために、実際に武器や支援、助言を与えているのです。
私の知る限り、パレスチナ人はその死を悼むに値しない ungrievable 存在だというレッテルを貼られてきました。つまり、この世界においてパレスチナ人は、その命/生活が価値を持ち、生き続け繁栄するに値する人々とはみなされていないのです。もしパレスチナ人の命が失われても、それは真の損失とはみなされないのです。というのも、パレスチナ人は単に人間未満なのではなく、シオニスト政治が擁護する人間という概念に対する脅威だからです。それはイスラエルやアメリカをはじめとする西側諸国に共有されています。
「パレスチナ人は一人残らずハマースだ」とか「ハマースは武力解放闘争ではなくテロリストだ」とか「イスラエルの暴力は正当化される、パレスチナの暴力は野蛮だ」と主張するこれらの風刺 caricatures が公的言説に根を下ろした時、イスラエルの命令による家・病院・学校にいる人々の爆撃、逃げている人々の爆撃、これを説明することが適切でないのはなぜでしょうか? なぜそれが野蛮ではないのでしょうか? つまり、私たちが目の当たりにしているのは、単に戦争の犠牲者、戦争の副産物の類としてのパレスチナの民間人の命の損失ではないのです。これらの民間人は〔積極的に〕標的にされているのです。特定の人種集団・民族に属する民間人を標的にすること、それがジェノサイド行為です。私たちはそれを目の当たりにしているのです。
私たちは一人残らず立ち上がって異議申し立てをし、このジェノサイドの終結を求めなければいけません。私は確かにいくつかの嘆願書に署名しました。その内の一つは即時停戦を求めるものです。即時停戦は必要最低限のことです。実際には、いま私たちが目撃している暴力は、75年におよぶ暴力の一部なのです。組織的な強制退去・殺害・投獄・拘留・土地の収奪・生活の破壊を特徴とする、長年にわたる暴力の一部なのです。実際、私たちはこの現状に対してより完全な政治的解決を必要としています。パレスチナが自由にならない限り、パレスチナの人々が自分たちの手で作り上げた世界の市民や政治的主体として生きられるようにならない限り、つまりパレスチナ人の自治が実現し民主主義に属するようにならない限り、私たちは暴力を見続けることになります。ハマースのような抵抗運動を生み出す構造的暴力を見続けることになります。だから――
エイミー・グッドマン:
ジュディス・バトラー
ジュディス・バトラー:
最終的に、私たちは絆創膏を貼るだけではなく――はい
エイミー・グッドマン
お聞きしたいのですが――
ジュディス・バトラー
どうぞ
エイミー・グッドマン
イスラエルの政治家モーシェ・フェイグリンは、第二次世界大戦で約25000人の死者を出したドレスデン空爆を持ち出して、「ドレスデン爆撃をガザに」と求めました。
ガザ全域に火の嵐が吹き荒れています。前首相ナフタリ・ベネットは10月7日にイスラエルの民間人が1400人殺されたことについて質問されると〔実際は、電力の供給停止で新生児が命を落とすことについての質問か〕、スカイ・ニュースのキャスターに「あなたは本気でパレスチナ人市民の話をしているんですか?〔つまり、パレスチナ人の話などするに値しないということ〕」と答えました。あと45秒しかない。あなたはどう思いますか?
ジュディス・バトラー
問題の一つは、パレスチナ市民がそのように認識されていないことだと思います。言い換えれば、レトリック的に、あるいはメディアを通して、パレスチナをテロリズムと同一視し、全てのパレスチナ人をテロリスト・野蛮さ・獣性 animality と同一視するとき、パレスチナ人に暴力をふるっている人々の頭の中に市民は一人もいないのです。しかしそれは間違いです。反対しなければいけません。ありがとう。
エイミー・グッドマン
ありがとうござました。私たちの議論は第二部に続きます。
第二部
ネルミーン・シェイフ:
まずお聞きしたいのは、あなたが他のユダヤ人の作家や芸術家と共に署名した、バイデン大統領にガザでの停戦を援助するよう求める公開書簡についてです。手紙から一節を引用します。「私たちはイスラエルとパレスチナの民間人に対する攻撃を非難する。私たちは、ハマースの行為を非難すると同時に歴史的に行われ現在も進行しているパレスチナ人の弾圧を認識することが可能であり、実際そうしなければいけないと考える。私たちは、ハマースの攻撃を非難すると同時に今これを書いている間にも展開し加速しているガザの人々に対する集団懲罰に反対することができ、そうしなければいけないと考える」。ではバトラー教授、これについてお話いただけますか? ハマースの行ったことを非難すると同時にガザで進行している残虐な強襲に反対することができるのは、自明なように思えます。
ジュディス・バトラー:
民間人の殺害には反対することができるし、反対すべきだと思います。それは戦争の基本的な道徳的教訓です。だから、両陣営の民間人の殺害に反対するのは当然のことです。問題は、自身をシオニストだと思っている人の多くが「ハマースの攻撃がイスラエル軍の目下の報復を正当化する」と盛んに主張することです。しかし、ご覧の通り、軍事力は根本的に非対称です。そしてこれは、双方に等しく非がある紛争ではないのです。私たちはガザをはじめとするパレスチナに振るわれてきた暴力の歴史を理解する必要があります。この暴力の中には、飲料水・医療・最低限の食糧と電気をパレスチナの人々から奪ってきたことも含まれます。言い換えれば、生の条件そのものが組織的に攻撃されてきたのです。
私はあの書簡に署名した人たち全員を代弁することはできません。しかし、ユダヤ人として、私たちはこう言ってるのです。「ユダヤを口実にするな Not in our name」と。イスラエル国家がしていること、イスラエル軍がしていることは、私たちユダヤ人を代表するものではありません。私たちの価値観を代表するものではありません。これまで述べてきたように、ジェノサイドの国際法上の定義に従えば、今私たちが目の当たりにしているのはジェノサイド計画の実行だと思うのです。だから、ユダヤ人として、道徳的にも政治的にも、声を上げてジェノサイドに反対することは義務なのです。同様に、新たな難民層を生み出すことや、1948年難民を含む多くのパレスチナ人の難民としての状況をさらに強化することに反対しなければいけません。それが、署名の基本的な考え方だと思います。
エイミー・グッドマン:
バトラー教授、ここで、今週ホワイトハウスで記者会見をした国家安全保障会議の報道官ジョン・カービーの発言を見たいと思います。
つまり、これから起こるのは、民間人の殺戮です。ジュディス・バトラー、もしあなたがイスラエル政府の人々、例えば「本気でパレスチナ人の話をしているのか」と放言するナフタリ・ベネットような人々に、ユダヤ人の教授として応答できるのであれば、もしあなたがパレスチナ人について懸念を表明するなら、10月7日に起きた1400人のイスラエル人殺害、つまりホロコースト以来最悪のユダヤ人大量殺戮という事態は矮小化されてしまうのでしょうか?
ジュディス・バトラー:
まず、国家安全保障担当の報道官が「ガザで民間人の命が失われるのは残念なことだ、そうならないことを願っている」と主張したのは、実のところ嘘です。民間人が〔積極的に〕標的にされています。今まさしく起きていることの一つ、そしてここのところ起きていることの一つ、それは、イスラエルが今まで撃ってきた民間人の標的を軍事施設の盾なのだと主張していることだと言うことができます。それはとても都合のいい説明ですが、住居を爆撃し、北から南へ逃げる人々を標的にして爆撃していることへの説明にはなっていません。だから、これは良く言って「不誠実」であり、率直に言えば「残酷な嘘」ではないでしょうか。
また、残念ながらユダヤ人団体やシオニスト団体の中には、完全かつ排外的な形でユダヤ人の生〔命/生活〕を第一に気に掛ける団体があり、その者達の立場は、ユダヤ人の生の破壊こそ世界で起こりうる最も最悪の出来事であるというものです。本当にひどいものです。しかし、ユダヤ人の命がパレスチナ人の命より価値があるわけではありません。そして、このことに抽象的なレベルでは同意しつつも、ガザに対する大規模な虐殺作戦を正当化する人も少なくないと思います。というのも、いくら暴力をふるっても、その者達は傷つけられたという意識を埋め合わせることができないのです。
ガザの苦しみをメディアや新聞に生々しく詳細に説明させるのは非常に難しいということも付け加えておきたいと思います。例えばニューヨークタイムズではイスラエル人の生活やイスラエル人の被った損失ばかりが語られています。しかし、私たちはパレスチナについて同じような類の報道を目にしません。私たちが目にするのは数字だけです。そしてこれらの数字は国連のようなきちんとした現地機関が発表したものにもかかわらず、バイデンでさえ疑いをさしはさむ可能性があるのです。ようは、パレスチナ人の死者を最小化し非現実化する、つまり嘘や幻にする方法がいくらでもあるのです。学者・活動家・ジャーナリストとしての私たちの仕事は、パレスチナ人の直面する現状を明らかにし、これらの人々の生と死をより多くの人々にとって意味のあるものにすることではないでしょうか。
ネルミーン・シェイフ:
バトラー教授、あなた自身の研究についてお聞きしたいと思います。あなたは「なぜ特定の生が他の生よりも価値を持つのか」という問題について、特に書かれてきました。それがどのような形で、先ほど聞いたジョン・カーヴィーのコメントだけでなく、戦争に関するアメリカの主流メディアの報道に反映されるでしょうか、具体的にお話しいただけますか? あなたの2009年の著作『戦争の枠組み 生はいつ嘆きうるものであるか』から引用します。「道徳心に起因する恐怖を「人間性」の顕れだと考えるとき、私たちは問題の「人間性」というものが実のところ暗に人々を選り分けているということに気付いていない。感情的に差し迫った心配を感じる人と、その人の生と死に心を動かされることのない人と、もやは生として立ち現れることのない人に」。バトラー教授、ニューヨーク・タイムズのようなアメリカメディアで先にお話になったように、このことについて、これがどうして明白なのかについて、お話しいただけますか。またあなたは今パリにいますが、ヨーロッパメディアではどうなのかも、お話いただくことはできますか?
ジュディス・バトラー:
まず、私が明白かつ事実であると考えていることを述べましょう。イスラエルのパレスチナ占領における入植者植民地主義的枠組みは人種差別の一形態です。パレスチナ人は人間以下とみなされています。パレスチナ人達は非ヨーロッパ人です。〔イスラエルには〕明らかに非ヨーロッパ系のユダヤ人もいます。しかし、パレスチナ人達は人種差別され、人間以下の存在として扱われています。だから、パレスチナ人達の命の損失は損失として記録も認識もされないのです。もちろん、それはパレスチナの中だけのことです。つまり、集まって、死者を悼み記憶にとどめ、死者の尊厳を取り戻す方法は常にあるのです。私たちは、パレスチナ人の命の抹殺や絶え間ないパレスチナ人の殺害が何らかの形で正当化されると信じている人々の視点からしか話していません。その者達は、自分達の人間の概念に基づいて、パレスチナ人達の命を人間の命としてみていません。
その証明として、ネタニヤフはパレスチナ人達を「動物」と呼び、他の人々は「野蛮」と呼びました。あるいは、これは覚えておくべきですが、パレスチナ人達は単に「戦略的問題」として理解されました。「ああ、ここに処理しなければいけない人々がいるぞ。上手くいけば追放できるかもしれないな」といった具合に。イスラエル政府の誰かが「パレスチナ人をシナイ半島に強制移住させエジプトに問題をなすりつけよう、カイロ郊外に住居を作れるか調査しよう」と話すとき、その者達は、あだかもパレスチナ人が家畜や商品であるかのように、その者達にそうする権利があるかのように、その者達が人々を所有しているかのように、人々が勝手気ままに動かせる商品であるかのように、強制追放について話すのです。これはすでに過激な非人間化であるだけでなく、目下の強制追放や殺戮といった〔パレスチナ人の〕残虐な扱いを可能にしています。私たちは無差別な空爆を見ているのではありません。私たちは計画された空爆が展開しているのを見ているのです。アメリカや他の大国がこれを中断させない限り、それはますます破壊的になるでしょう。
もちろん、ヨーロッパ、とくにパリでは、公の場での抗議行動においてパレスチナを支援することが一時的に禁止されました。しかし、幸運なことに、フランスの憲法裁判所はその行政の決定を破棄し、20000人以上の人々が先週末に街で声を上げました。アメリカの学界だけでなくヨーロッパの学界においても、抗議の声を多くみかけるようになりました。人々はハマースを非難しない限り受け入れられません。そうしなければ反ユダヤ主義者とみなされます。明確にイスラエルを支援しないと反ユダヤ主義者あるいはテロリストに加担しているとみなされます。そして、そうなった途端、公の場や大学で不正義に反対の声を上げようとする者は、支援や職を失ったり汚名を着せられたりするリスクを負います。私はフランスやスイスで停職処分を受けた研究者を知っています。ドイツでも、声を上げようした研究者が反ユダヤ主義者であるという非難を浴びました。
イスラエル国家が異常な暴力をふるう入植者植民地主義国家であるなら、イスラエル国家を非難することは反ユダヤ主義ではありません。ある人は暴力に反対し、ある人は入植者による植民地支配に反対し、ある人は不正義に反対します。実際、ユダヤ人として、あなたは不正義に反対する義務があるのです。もしあなたがこの不正義に反対しないのであれば、あなたは良いユダヤ人とは言えません。だから、私はユダヤ人に共有された価値観を支持している〔のにイスラエルを非難している〕ということで、自分を敵視する人間に何年もの間、反ユダヤ主義者だと呼ばれてきましたが、それにはただただ呆れるばかりです。
エイミー・グッドマン:
ベルンでの出来事について説明いただけますか。実は、私たちはスイスであなたのインタビューをするつもりでしたが、あなたは講演をキャンセルされました。
ジュディス・バトラー:
このような状況でベルン大学で講演すれば、論争を生み、主催者や学部が中傷されかねないと思ったので、私は自分の講演をキャンセルしました。しかし、反シオニストやBDS運動を支持する人が集まる場所があるのは事実です。今、抗議があり、検閲しようとする動きがあり、〔事実の〕認知の形態を奪おうとする動きがあり、ゲートを塞ごうとする動きがある。つまり、これはアメリカの大学において激化する一方なのです。もちろん私たちは集会や抗議、デモの権利を守る必要があります。パレスチナに連帯することは必ずしもハマースの軍事行動に賛成することではなく、むしろ大量虐殺という方法で標的にされる人々の側に立つということなのです。
ネルミーン・シェイフ:
バトラー教授、現在の危機に対してどのような解決が可能だと考えますか? また、あなたの2020年の著書『非暴力の力』のコンテクストに従うなら、この状況をどのように終わらせられるかを理解するためにも、あなたの非暴力の要求を私たちはどのように受け止めればいいでしょうか。もちろん、あなたがとる立場は複雑ですが。
ジュディス・バトラー:
第一に、停戦が直ちに必要です。ただし、ガザの人々が家に戻って家を建て直し、喪に服したり生活を営んだりすることが許されない限り、解決はありえないと思います。占領は終わらせなければいけなせん。ガザの封鎖は占領の一部です。時々言われます、「ああ、ガザはもう占領されていないよ、占領は2005年に終わったんだ」と。でも、それは間違いです。確かに軍は撤退しました。しかしラファ検問所を除くすべての国境がイスラエル当局に監視されコントロールされています。これは物と人の行き来がイスラエル当局抜きに出来ないということを意味します。だから、そんな状況下で政治的自律性などあるわけがないのです。
今私たちが目にしている類の強制移住は、1948年、ナクバが始まったときにも起きていたと思うのです。ナクバは1948年に起こったきりの出来事ではないのです。ナクバは今起きています。なので、今目の前で起きている暴力、つまり殺害・虐殺・強制移住は、ナクバの続きなのです。現在が、最も生々しい瞬間です。しかし、「この今起きている紛争を解決すれば、問題を根本的に解決できるんだな」などと考えてはいけません。問題の根源とは、パレスチナ人達が完全な自決権を得て、民主的な社会に暮らす道を模索することであり、祖国追放に終止符を打ち、奪われた土地が返還あるいは認知され、賠償がなされ、過酷な環境下で離散を強いられた多くの人々に帰還権を認めるという道を模索することです。
エイミー・グッドマン:
ジュディス・バトラー、今日ははありがとうございました。衛星放送が切れるまでまだ2分ありますが、ハンナ・アーレント・チェアを務めていらっしゃいますよね。今日、ハンナ・アーレントが生きていたら、どんな立場に立ったと思いますか?
ジュディス・バトラー:
まず、ハンナ・アーレントには〔時期によって〕いろんな側面がありますが、1948年当時のアーレントは非常に賢明だったというべきでしょう。アーレントは「イスラエルがユダヤ人の主権というものに基づいて建国されたことはひどい間違いだ。数十年にわたる軍事的対立を引き起こすに違いない」と述べたのです。彼女はユダヤ人とパレスチナ人が共存し何らかの形で平等が保障される多民族ニ国家構造を主張しました。彼女の計画が完璧に練られたものだったのか、私にはわかりません。マルティン・ブーバーに着想を得たのでしょう。しかし彼女は、別の民族や宗教に属するすべての人々を強制追放しない限り、どんな国家も民族や宗教に基づく主権を礎にすることはできないと考えていました。だから、アーレントはイスラエルが大量の難民を生み出し、その後何年にもわたって紛争の泥沼にはまるということを予言していたのです。
そしてこれが、私たちが帰還権を忘れてはならない理由でもあります。何百万人ものパレスチナ人達は、その家族が長年にわたって強制追放を生き抜いてきました。私たちがそのことを理解し、パレスチナ人達の存在と権利を認め、何らかの賠償をし、何らかの形で帰還権を尊重しない限り、根本的な問題解決など不可能です。
エイミー・グッドマン:
ありがとうございました。
翻訳:ريحان السوغامي