文理融合のスタンスへの切り替えと自分自身の想い
文理の世界線を自由奔放に生きるnoter
2025年からこの名称を掲げて、学問と新たな気持ちで向き合うことにしました。これまでのように、学校における「学業成績」という単純な枠から自分自身を解放するために。
日本では、文系と理系を区別した進路決定が主流でした。そのため、子どもたちは高等教育で各々の興味や関心から、その場で文系と理系のいずれかを選択していました。
昨今では「文理融合」という言葉が台頭してきており、従来の文系と理系を分断するスタンスは転換期を迎えています。そうした潮流に、自分も今後は乗り継いでいきたいです。
今回は、文理融合に対する自分自身の想いなどを少しばかりお伝えできればと。
文系と理系の区別を解消する流れ
以前に書いた記事(参考のところにリンクを載せました)の引用ですが、文系と理系の決定的な違いとして、物事を考える際のスタート位置(基盤)にあると考えています。
自然科学やコンピューターをはじめとした技術を基盤とする「理系」に対して、多様性を前提とした人間社会を基盤とする「文系」という違いです。
人間が使う様々な手段(道具)の利便性を向上させるために、理系は必要不可欠な存在。一方で、それらの手段(道具)を人間社会の中でどのように浸透させるのか。それを考えるために文系は必要不可欠だという考え方です。
この文系と理系の区別を解消する流れは、数年前に登場した「STEAM教育」がひとつのきっかけだと自分は考えています。
これらを横断的に取り組む教育を「STEAM教育」と言います。なお、STEAM教育が世界的に注目を浴びたのは、バラク・オバマ元大統領(アメリカ合衆国の第44代大統領)の時代と言われています。
STEAM教育の理念は、前述した自分の考える文系と理系の違いとは少し方向性が違うものの、文系と理系を区別することが時代の流れに合わないという点では、概ね一致していると思います。
文理融合のスタンスへの想い
今度は自分自身の話です。学生時代は、学業成績こそ良いものの、人間関係ではかなり苦しみ続けてきました。半ば逃避してきた状況でしたが、この年でようやく部分的に緩和されてもきました。
自分自身の感情と折り合うこと。社会の中で人間関係に関しても折り合うこと。様々な人間の考え方を拝借しながら、状況を安定させてきました。
人間は生まれながらにして、果たすべき「宿命」が与えられるそうです。自分が苦労して獲得してきた理系の知識を社会の中で活用させること。これこそが、自分の宿命なのかもしれない。
後に暫定的に行き着いたのが、文理融合という道でした。理系と文系の考え方(スタンス)を自分の中で調和させる方向に、人生を切り替えたい。
自分のスタンスとしては、文系も理系も「学問」をスタート位置にする点では同じです。しかし、字面ばかりの理論だけで終わりにせず、自分の行動による結果と結びつけながら、学びとしてアウトプットしていきたい。
そのアウトプットを叶える手段のひとつに、noteの活動があると思います。
noteであれば、ライティングということになるでしょうか。ひとまず、文章を書くことが好きな自分には最適な環境のひとつであり、引き続き深化させていければと思います。
おわりに
これまで理系の方向を突き進んできました。学生時代の学業成績だけを見れば、明らかにそちらの方が有利に進められそうでしたので、進路選択については特に後悔はありません。
しかしながら、これまでの苦しみ続けた先に人間社会(社会学)に対する興味と関心を抱くように。同時に、実は理系だけの道を猪突猛進に突き進むにも限界を感じていました。
2025年(巳年)ということで、人生の転換期を意味する年でもあるそうです。本格的に自分自身を脱皮させるつもりで、自分の未来を再構築できたらと思います。
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最後まで読んで頂き、ありがとうございます。この記事があなたの人生の新たな気づきになれたら幸いです。今後とも宜しくお願いいたします♪♪
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参考:過去記事より引用
今回はこちらの過去の記事の内容を引用して、さらに2025年を迎えてのアップデートを加えました。
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